スポーツウォッシング 第9回

スポーツをとりまく旧い考えを変えるべき時がきている

筑波大学・山口香教授インタビュー後編
西村章

〈スポーツウォッシング〉という行為やそれに伴う問題は、日本でも2021年夏の東京オリンピック以降、主に活字メディアを通じて少しずつ認知されるようになってきた。しかし、じっさいにこの問題を取り上げて積極的に発言をしてきたのは、研究者や一部のジャーナリストのみで、最大の当事者であるはずのスポーツ界からは〈完黙〉に近い状態がずっと続いてきた。そんなスポーツの世界で、当事者として内部から忌憚のない批評的発言を続けてきたのが、筑波大学教授の山口香氏だ。
 山口氏は、自身がオリンピアン(1988年ソウル五輪柔道銅メダル)でもあり、現役引退後は全日本柔道連盟教強化委員や日本オリンピック委員会(JOC)理事に就任。東京オリンピックの際には、JOC当事者でありながらどこにも忖度をしない冷静で積極的な発言を行ってきた。
 その山口氏に聞く今回のテーマは「スポーツは国家を超える価値を提示できるのか?」 そこにはスポーツウォッシングをなくすヒントがあった!

山口香(やまぐちかおり)1964年東京都生まれ。筑波大学教授。柔道家。1988年ソウルオリンピック52kg級で銅メダルを獲得したほか、世界柔道選手権でも活躍。 全日本柔道連盟女子強化委員、日本オリンピック委員会(JOC)理事、筑波大学柔道部女子監督などを歴任。8月に『スポーツの価値』(集英社新書)を発売予定

――前回の、オリンピックに個人資格の選手として参加するという話とも関連する質問なんですが、5月にドーハで開催された柔道世界選手権では、ロシアとベラルーシの選手が中立という立場で参加しました。その中から優勝選手も出たことは、この資格で参加する意義や、中立参加のシステムがうまく機能した一面であるようにも思います。
 ただ、その反面、たとえ中立とはいえロシアとベラルーシの選手が参加したことで、ウクライナの選手がボイコットしました。ああいうことを見ていると、スポーツが紛争と距離を置いてバランスを取るのはとても難しいとも思いました。
 柔道の世界に長く身を置いてきた山口さんは、あの世界選手権はどうご覧になったんですか。

山口 柔道は個人競技で、しかも格闘技でしょう。これは私たち第三者が考える以上に深刻な問題なんです。
 なぜロシアとベラルーシが出て、ウクライナが出なかったかというと、戦争をしている国同士が、直接対決で絶対に負けられないという理由もあると思います。似たようなことは今までにもあって、たとえばイスラエルとイランが当たると、イスラエルを国として認めないイランは選手に棄権するように圧力をかけます。この棄権行為は、要するに政治を持ち込んでいるわけだから、オリンピック委員会などは「政治的な理由で棄権をしてはいけない」と言ってペナルティを与えますが、棄権したイラン選手は母国では英雄扱いです。スポーツの勝負とはいえ代理戦争のようなものだから、どの選手も国のバックグラウンドに大きく影響されます。
 だから、単純な問題じゃないんです。ロシア選手が国旗を掲揚しない、国歌も流さないという中立の立場で出たからといって、ウクライナの選手は負けるわけにはいかない。なので出場しないという選択の理由はここにもあったと思います。
 現実にああやって戦争をしていたら、「スポーツは別だから……」と第三者が言ったところで、自国の人たちはどうしたってそう見てしまうし、出場している選手はその思いを背負ってしまう。だから、国の代表ではないから出てもいいんだ、というほどきれいごとの簡単な話ではない。
 ウクライナでは、多くのアスリートたちが今回の戦争ですでに亡くなっているわけです。そんな状況の人たちに、軽々に「オリンピックや世界選手権は平和の象徴だから、みんな出ようよ」って言えますか? 仮に日本がそういう状況になったとして、私の兄弟が死んで故郷が侵略されている時に、「いや、スポーツは別だから」と割り切れると思いますか? そこには、理屈では割り切れないエモーショナルな部分が必ずある。
 口では言えますよ、理想論はね。だけど、大事なのはやっぱり、そこに置かれている人たちの立場に立つ、ということ。そして、その人たちは私たちが知り得ない状況にあるわけです。それはロシアだって同じなんですよ。
 中立といって、たとえば踏み絵みたいなものを踏まされて、「私は戦争に反対です」と言ったりすると、国に帰ったときにどうなってしまうのか、という心配はしちゃいますよね。だから、その意味では「アスリートたちは政治のことに口を出すな」と言いたくなるのも、理解せざるを得ない部分もあるんです。
 ただ、それでは世の中がよくなっていかないじゃないですか。だからスポーツは、建前であろうときれいごとであろうと、いいことを言い続けていくしかない。そうやって言い続けていくことが、社会を変えていくし、何かに繋がっていく。当事者が言えないからこそ、第三者的な立場にいる者が言わなければいけないことだってあるわけです。でも、そのさじ加減や発言のタイミングや発言するポイントは、なかなか難しいなと思います。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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