スポーツウォッシング 第9回

スポーツをとりまく旧い考えを変えるべき時がきている

筑波大学・山口香教授インタビュー後編
西村章

スポーツは、世界に変化のさざ波を起こし続けていける!

――大坂なおみさんのBLM支持や、NFLのコリン・キャパニックが始めた、ピッチに膝をついて差別反対の意思表示をする行為、そしてF1のルイス・ハミルトン、彼らは自分たちの行動を、政治的意思表示ではなくて人権問題だと考えているようです。では日本のアスリートたちはどうなのかというと、政治ではなく人権問題なんだと捉えてはいないようにも見えます。それは、日本のスポーツファンもそうなのかもしれないのですが。

山口 「差別は政治じゃなくて人権の問題なんだ」というのは、私も確かにそのとおりだと思います。でも、その差別を解消するために法律や制度を変え、決めていくのは、いったいどこなんですか、ということでもありますよね。
 差別は人権問題なんだとスポーツ選手が訴えて、その差別をなくすために何か法律や制度を変えるとなったら、そこはもう政治じゃないですか。「政治」という言葉を使わないところに意味があるとは思うけれども、でも、結局は政治のシステムに行き着くような気がします。
 たとえば、サッカーワールドカップのカタール大会だって、カタールの人権問題に対する抗議活動ということですが、あれは誰に向けて、誰を対象に抗議する行為だったんですか。

――おそらく、特定の誰かということではなく、広く世に訴えるということでしょうね。

山口 広く世に、というのは、カタールの人に向けて?

――いや、メディアを通じて大会を見ているであろう世界のサッカーファンやスポーツファンに、ということじゃないですか。

山口 そうやって訴えて変えようとすることは、国を変えようとすることでしょう。

――その国のシステムを、ということですね。

山口 ということは、つまり政治じゃないですか。システムを変えるのは政治だから、結局はそこに行きついてしまう。カタールにも当然ながら政治権力があって、その人たちが社会のシステムを作っているわけですから。
 つまり、あのような抗議活動やアピールは、短期的に劇的な効果を狙うのではなく、「世界はこう変わってきているんですよ」「あなたたちは世界からそう見られているんですよ」「世界のスタンダードとあなたたちの国はもう違ってきているんですよ」と知らしめる効果として、長い目で期待する、ということだと思うんです。
 だから私は、スポーツというものは何か大きな荒波を一気に起こすようなものではなく、たぶん小さなさざ波を起こし続けていって、それが少しずつ広がっていく、そういうことだったらできるんじゃないかと思っているんです。おそらく、スポーツ選手たち自身もそう考えていると思う。でも日本の選手たちは、それでさえも……。

――積極的に発言し、何らかの意思表示をするアスリートはほとんど見られませんね。

山口 そういう行為は今の権力や政治に対してモノ申している、反体制的な抗議活動だ、みたいに考えてしまう雰囲気があるように思います。そういった受け止め方は、おそらく国民の側にも共通しているのかもしれません。何か発言しようとしてもすぐに「政治を語るな」という反応になるのは、広く一般にそう考えている人が多いからでしょう。
 人権を守ること、人間の尊厳を尊重する意識は、皆で共有していかなければいけない。それをスポーツが「世界中のどこでも交通ルールを守ることと一緒で、一般常識だよね」と広めていくことができる。大坂なおみさんたちが言っているのも、要はそういうことですよね。そこはやっぱりスポーツ人として、人間として、ハッキリと主張していかなければだめだと私も思うんですが、日本のアスリートたちはたぶんまだそこには到達してない。
 そんなに大げさなメッセージではなくて、スポーツそのものが「皆でルールを尊重して楽しみ、競い合おう」ということを広く伝える存在なのだから、そんなにビクビクせずに良いと思えば、どんどん言えばいいしやればいい。やったからって別に何かを大きく変えられるわけじゃないんだから、と私は思うんですが、日本のアスリートたちが何も言わないのは、日本人の捉え方の問題でもあるんでしょうね。
 昔は「女子供は黙っていろ」と言われたじゃないですか。スポーツってたぶん、女子供の方に入っているんですよ。「お前たちはスポーツをやっていればいいんだ」って。子供は元気に遊んで勉強してればいいんだ、というのと同じ。
 でも、スポーツって遊びとか余暇だからいいんですよ。真剣に遊ぶ、真剣にスポーツする。素晴らしいじゃないですか。一所懸命に取り組むという点では、じつは仕事だってスポーツだって同じことなんですが、そこはなかなか理解されにくくて、難しいですね。
 日本の社会では、お父さんが一家の大黒柱という家父長制度的な考え方が長く続いてきましたよね。だから、スポーツや芸能というものは、どちらかといえば「お父さんの仕事」から一段劣る遊びの側だと捉えられてきた印象があります。
 たとえば、スポーツを通して何かを発信する場合に、「それって世の中に置き換えたらこういうことだよね」「家庭や組織だとこういうことだよね。大事だよね」、とアスリートの発言や行動の意味を解説してくれる人がいる場合には評価されるんですが、アスリートからダイレクトなメッセージが出てくると、それを発する人物がたとえば大谷翔平選手だったとしても、あるいはあのイチローさんだったとしても、たぶん……。

――メッセージがダイレクトすぎると、反発を受けるかもしれませんね。 大坂なおみさんや八村塁選手がBLM運動に賛同の意を示したときですら、日本では拒否反応を示す人たちが、多数だとは思わないのですが一定数いましたから。

山口 「なんか最近調子に乗ってるな」「ちょっと天狗になってるんじゃないか」という捉え方に、いかにもなりそうですよね。

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プロフィール

西村章

西村章(にしむら あきら)

1964年、兵庫県生まれ。大阪大学卒業後、雑誌編集者を経て、1990年代から二輪ロードレースの取材を始め、2002年、MotoGPへ。主な著書に第17回小学館ノンフィクション大賞優秀賞、第22回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞作『最後の王者MotoGPライダー・青山博一の軌跡』(小学館)、『再起せよ スズキMotoGPの一七五二日』(三栄)などがある。

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