遺魂伝 第3回 中村敦夫

ラクに生きられる方法はわかっている。でも、できない。そこが私と紋次郎は同じなんですよ

佐々木徹

【生】に対する覚悟を持った日本人が何人いるのか

――それにしても、ここまで話をうかがっていて思ったんですが、中村さんの社会に抗う魂の一部分は、まんま木枯し紋次郎ですよね。中村さんは、なんちゅう子供だと周囲の大人たちを呆れさせましたけど、それは自分の意思に従い噛みついていただけで、その姿勢はその後もブレていない。

 紋次郎もまた、10歳で自分の置かれた環境に危機感を覚え、三日月村の貧しい農家を飛び出し、放浪して生きるようになる。それも自分の意思に従っただけで、しかも中村さんも紋次郎も誰にも媚びたりせず、相手の顔色をうかがうこともせずに、戦うときはひとりだったりする。

「あの『木枯し紋次郎』は、新しい時代劇だったんですよ。それまでの時代劇における善、要は活躍する主人公とでも言えばいいのかな、そのほとんどが体制側、徳川幕府に関わっている者たちだったわけです」

――ああ、はいはい。南町奉行とか、水戸のご老公とか。桜吹雪の遊び人もいましたね。

「だけど、紋次郎の出自は貧しい農家の六男で、家を飛び出したあとも、まさに野良犬のようにあてもなく旅をしているだけでね。だから、階級的には一番低い。そのため、何の保証もない。命や金の保証がないということは、自分の身は自分で守るしかないんです。そういう境遇に立たせられると、敵が襲ってきた場合、自分は何のために戦っているかを考えなければいけなくなる。いわば、戦って死ぬ理屈を常に自分の中に持っていなければいけないというか。つまり、実存主義ですよね。その実存主義を初めて時代劇に取り入れたのが『木枯し紋次郎』だったんですよ。そこが新しかったし、茶の間も興味を持ったんじゃないですか」

――最近、衛星放送などで『木枯し紋次郎』や『続・木枯し紋次郎』(演出・中村敦夫)が放送されているので、楽しみに観ているんですけど、すみません、ご本人を前に失礼なんですが、中村さんって殺陣がヘタかなあ、なんて思っちゃったりして。もともと不器用なんですか。

「あれは市川崑監督の演出ですよ。ただね、紋次郎は渡世人であって武士ではないから、あれでいいんです。武士はほら、幼少の頃から父親に剣術を習ったり、道場で腕を磨く。そのおかげでちゃんとした構えもしているし、刀の動きも滑らかだったりする。逆に紋次郎は、殺されそうになって逃げ惑いながら覚えた剣法を使うんです」

――我流?

「我流もいいとこ(笑)。とにかく自分が助かるために必死で身につけた剣法といってもいい。例えば、何十人もの敵に囲まれてしまったとき、宮本武蔵のような豪傑ならバッタバッタと次から次に敵を斬り倒すことができるかもしれないけど、紋次郎には絶対無理(笑)。じゃあどうするか。今も言ったように囲まれたら逃げるんですよ、紋次郎は。すると、囲んでいた敵はいきなり紋次郎が逃げ出すもんだから、虚を突かれてビックリするわけ。その隙に紋次郎は逃げる、必死に逃げ出す。遅れて敵も追いかける。でも、なかなか距離が縮まらない。そりゃそうです。紋次郎は山道ばかり歩いて旅をしているから、足だけは丈夫で速い。さらに持久力もある。そうなると、バラついてくるんです、追ってくる敵の連中って。普段から不摂生な生活をしているせいか、足がもつれてしまう。そこで紋次郎はバラバラに追っかけてくる敵に対し、いきなり振り返りざまにひとりひとり斬りつけ殺していく」

――なんちゅう卑怯な戦法、もとい、考えつくされた戦略!

「敵は走り疲れて、自分の思ったように刀を操れず、最後は紋次郎に斬られるんです。そうやって紋次郎は生き延びてきたんですね。この泥臭い太刀さばきは、やっぱり武士とは違うものなんですよね」

――『必殺!』シリーズの中村主水も、けっこう卑怯な戦法で仕掛けた相手を殺していましたが、そうはいってもどこかに優雅さが漂ったりしていました。でも、紋次郎にはそれがない?

「ないねえ。武士・中村主水の剣法と渡世人・紋次郎の剣法はまったくの別物」

――紋次郎の魅力は、自らが望んでいないのに、勝手に騒動に巻き込まれ〝あっしにはかかわりのないことで……〟とつれないことを言いながらも、最終的には弱き者を助け、静かに去っていくところ。時代劇なのにハードボイルドであり、なにより助けても見返りをもとめないのが胸を熱くさせるんですよねえ。

「本当に紋次郎はかかわりたくないんですよ、厄介ごとに。渡世人がかかわると、必ず血を見ますからね。一歩間違えれば、騒動を起こしている連中に殺されてしまう。見返りとか考えている場合ではなく、常に生きるか死ぬかの選択を迫られているんです。私ね、一度、紋次郎が何人殺したか数えてみたことがあるんです。毎週、平均して20人以上は斬っているでしょ?」

――不器用にも泥臭くバッサバッサ斬ってますね、悪党どもを。

「それで画面を観ながら数えていったら、紋次郎は年間で900くらいは殺していましたよ。まさに大量殺人鬼だね」

――いえいえ、斬りまくったのは極悪非道の悪党連中ですから。

「じゃあ、渡世人の紋次郎も少しは世の中の役に立っていたのかな(笑)。そうとは思えないけどね(笑)」

――考えてみれば、紋次郎ってよくぞ大人になるまで生きてこられましたよね。普通は死んじゃいますよ、幼少の頃に親から捨てられたら。

「紋次郎は食い扶持を減らすために捨てられたんだよね。それを不憫に思った12歳上の姉、お光の機転で助けられたんです。そのお光も嫁入り先で死んでしまい、紋次郎は10歳のときに故郷を捨てた。つまり、生まれたときから【生】を否定された運命にあったんですよ。誰からも求められなかった。そう、まるで邪魔者扱いの野良犬です。どこに行ってもシッシッと手で追い払われ、薄っぺらい布団にさえありつけない。

 死のうと思えば、すぐに死ねたでしょう。しかし、紋次郎は生き抜く覚悟を決めた。たとえ野良犬のように這いずり回ってでも、口に入れられ物は口に入れ、雨粒を避け、野山に抱かれて眠りにつく。そんなささやかな営みを紡いでいくうちに年を重ね、自分の【生】を奪いにくる連中と戦い続けるようになる。そしてまた、泥臭く生き抜き、野良犬のように野山を走り続けていたんです」

――【生】をまっとうしようと心を定めたのですね、紋次郎は。やはり、紋次郎の【生】に対する覚悟と中村さんの生き方はシンクロしているように感じられます。

「いや、心を定めているのは紋次郎じゃない。生き神様に手を合わせていた、おばちゃんたちのほうがよっぽど心が定まっていますよ。自分たちは死ぬまで祈り続けると決めているんだから(笑)。そのほうがラクに生きられるとわかっているからね、別に生き神様じゃなくても、イワシの骨でも彼女たちは拝み続ける。

 もしかしたら、若い人たちも従順の遺伝子に抗えず、この国がどんどんひどくなっても、明日はなんとかなるだろう、いや、なんとかしてください、お願いします……と手を合わせ、祈ることしかしないのかもしれない。

 ただ、拝むだけではラクなだけで、誰も救われないですよ。

 それに比べ、紋次郎は野良犬。【生】を邪魔されたら、無意識に牙をむきます。祈るより先に、牙をむき出し、吠え続けます。果たしてこの国に、何匹の野良犬が這いずり回り吠え続けているのか。最近、そんなことをふと、考えたりしているんです」

 中村敦夫の言葉を聞いているうちに、僕の脳裏にはまた、ある映像が舞い降りてきていた。ずいぶんと昔の動物のドキュメンタリー番組で、北米に生息する野生の狼の生態を追っていた。カメラがとらえた狼は獲物を探していたのだが、運悪く見つからない日々が続いた。あと何日かすると、リアルに餓死がちらつくような最悪の状況だった。そんな狼の前に、鹿の死骸が転がっていた。その肉の塊にかぶりつく狼。その時だった。狼の背後に巨大なグリズリーが姿を現わした。自然界の掟では、こういう場合は狼のほうが退く。しかし、狼は怯まなかった。自分より何倍も体が大きいグリズリーを相手に一歩も引かない。体勢を低くし、うなり声を上げ続けた。グリズリーは鹿の死骸と同時に、確実に狼の【生】も奪おうとしていた。それでも、狼は逃げない。餓死するくらいなら、ヤツと戦ってやる。狼の低いうなり声には、その覚悟が秘められているようだった……。

 ネットの世界が世の中に定着して以来、日本人も匿名をまとい、激しく吠えるような書き込みをするようになってしまった。近頃では政治家や芸能人が何かしくじろうものなら、威勢よく無責任に飽きるまでキャンキャン鳴きまくる。そんな人たちも、実際に職場で上司から理不尽な仕打ち受けたときは吠えもせず、黙りこくってしまう。なぜなら、吠えたら最後、自分の立場が危うくなるのを知っているからだ。

 そんな変わり身の早さは、イワシの骨を拝んでいるだけのおばあちゃんたちと何ら変わらない。

 とりあえず、拝んでさえいれば自分の生活はかろうじて維持でき、【生】も誰かが守ってくれるはずだと信じ込んでいる。

 そのまやかしの裏側で。

 木枯らし紋次郎の、いや、中村敦夫の魂は今も、低く重たいうなり声を上げ続けている。

撮影/五十嵐和博

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プロフィール

佐々木徹

佐々木徹(ささき・とおる)

ライター。週刊誌等でプロレス、音楽の記事を主に執筆。特撮ヒーローもの、格闘技などに詳しい。著書に『週刊プレイボーイのプロレス』(辰巳出版)、『完全解説 ウルトラマン不滅の10大決戦』(古谷敏・やくみつる両氏との共著、集英社新書)などがある。

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ラクに生きられる方法はわかっている。でも、できない。そこが私と紋次郎は同じなんですよ