韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第5回

映画『リトル・フォレスト 春夏秋冬』イム・スルレが描く、生きとし生けるもの

伊東順子

見出されたファン・ジョンミンやパク・ヘイル、そしてワラナコ運動

 

 この作品が韓国映画史の金字塔ともいえるのは、その後への影響がとても大きかったことがある。作品としての完成度はもちろんのこと、この映画をきっかけに韓国映画と一般観客の関係なども大きく変化したのだ。

 映画『はちどり』のキム・ボラ監督は「キム・ボラが選ぶ映画ベスト10」の中で、韓国映画を4本だけ挙げているのだが、そのうちの1つは『ワイキキブラザーズ』であり、他は『子猫をお願い』(チョン・ジェウン監督、2001年)、『母なる証明』(ポン・ジュノ監督、2009年)、『わたしたち』(ユン・ガウン監督、2015年)というラインナップだ。

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 この中で『子猫をお願い』と『ワイキキブラザーズ』は同時期の公開作品であり、これに『ライバン』(チャン・ヒョンス監督)と『ナビ』(ムン・スンウク監督、邦題は『バタフライ』)を加えた4本の映画は、当時「ワラナコ運動」という再上映運動を巻き起こして大きな話題になった(ワラナコは4つの映画の頭文字をとったもの)。

 これは、作品がいくら素晴らしくても、「有名俳優も出ていない低予算映画だから」と劇場側が上映を渋ったり早々に打ち切ってしまうことに対する、映画ファンによる抗議運動だった。その後には、クラウドファンディングなどを通して、映画ファン自らが製作に関与する動きなども起こった。「ワラナコ運動」に始まる「行動する映画ファン」の存在は、その後の韓国映画の隆盛を支える大きな力となった。

 さらに低予算映画を盛り上げることは、埋もれた名優の発掘にもつながっていった。

 この時の「ワラナコ運動」の対象となった映画には、後のトップスターたちが勢ぞろいしていた。ファン・ジョンミン、パク・ヘイル、ペ・ドゥナ、さらにリュ・スンボムもいる。なんと豪華な顔ぶれなのだが、当時はみんなほぼ無名であり、特に『ワイキキブラザーズ』のファン・ジョンミンやパク・ヘイルにいたっては、この作品が実質的なスクリーンデビュー作だった。

 2人は当時「大学路の役者」(大学路とは小劇場が集まる演劇の中心地)であり、その界隈では名を知られていたものの、映画にはチョイ役をもらったことがある程度。本格的な映画出演は初めてだった。パク・ヘイルは大学路で彼の舞台を見た人の推薦だったが、ファン・ジョンミンにいたっては、オーデション会場につめかけた2000名の1人だった。

 ふてくされた顔でドラムと叩いていた、ちょっと太めで愛嬌のある男。あのドラマー役の男が、その後に韓国映画界を牽引する大スターになると予測した人はいただろうか。

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プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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