韓国カルチャー 隣人の素顔と現在 第7回

韓国の宗教事情を知る映画

『シークレット・サンシャイン』、『三姉妹』、『サバハ』
伊東順子

映画『シークレット・サンシャイン』は反キリスト教映画か?

 たとえば『シークレット・サンシャイン』(原題『密陽』、イ・チャンドン監督)という映画がある。2007年5月の公開直後、映画を見た時には正直驚いた。

「こんな映画を韓国で上映して大丈夫なのだろうか?」

 その頃「東京新聞」に『韓流通信』というコラムを連載していたのだが、感情を少し抑えて原稿を書いたのを覚えている。

 ディスク内を検索したら元原稿が出てきた。懐かしい気持ちになったのは、そこに共演のソン・ガンホではなく、ペ・ヨンジュンの名前が出しているところだ。時代の変化が感じられる導入部分を再掲しておく。

 韓国で今、もっとも話題の映画『密陽』(secret sunshine)。カンヌ映画祭で主演女優賞をとったチョン・ドヨンは、韓国でもっとも信頼の厚い女優だ。彼女の作品ならと、映画館に足を運ぶ人も多い。日本ではペ・ヨンジュンと共演した『スキャンダル』が有名だが、あれは彼女らしさがよく見えない映画だ。

『密陽』はシングルマザーである主人公シネ(チョン・ドヨン)が幼い息子を連れて、ソウルから亡夫の故郷、慶尚北道密陽に引っ越すところから始まる。生前の夫には他に女がいたらしく、それが彼女の「不幸」の前提となっている。物語の一つ目は息子の誘拐事件だが、それがこの映画のテーマではない。

 彼女の「不幸」を慰めようとする教会、ある事件をきっかけに入信する彼女。熱心な信者として活動を始めたが、ある日、神の「裏切り」を知る。

 

「これは反キリスト教映画なのか?」

 当時、カンヌ映画祭の会場ではヨーロッパの記者たちから、かなりストレートな質問が出ていた。それに対してイ・チャンドン監督は「映画は宗教ではなく、人間を描いた」と答えていたが、映画の中心に他ならぬ教会活動を置いたのは、韓国では教会の存在が日常に浸透しているからである。以前から韓国人によく言われたのは、「この国を本当に知ろうと思ったら、一度、教会に行ってみるべきだ」ということだった。

 幸いなことに、映画『シークレット・サンシャイン』を見れば、教会に行かずして韓国社会の素顔に接することができる。

 たとえば知らない土地で疎外感を受ける主人公に、自分を重ねてみる。主人公はピアノという特技もあるし、自分は強い人間だと信じている。シングルマザーへの偏見が強い田舎町では、時には虚勢も張ってみるのだが、初めて行った薬局では弱みを見抜かれて、教会への誘いを受けてしまう。もちろん一顧だにしない。しかし、自分の力ではどうしよもない、取り返しのつかない事件に遭遇してしまった後はどうなるか。自分は強いままでいられるのか。やはり何かに救いを求めるのではないか。身近な何かに。

教会が勧誘に熱心な理由

 韓国で暮していると、身近で宗教の勧誘をうけることはよくある。新興宗教などではなく、一般的なプロテスタント教会だ。すでに述べたようにカソリックとは違い、 韓国の主流であるプロテスタント教会は、それぞれの宗派の牧師が独立して教会を運営している。少しでも自分の教会や宗派の人間を増やしたいため、かなり積極的な勧誘が行われる。

映画では近所の薬局で勧誘される場面が出てきたが、子どもの絵画教室の先生とか、普通のママ友などもよくある。

「とても感動的なお話の動画があるから見てください」

「聖書の勉強会を始めたから参加しませんか?」

 ふとしたきっかけに、勉強会に入っていった日本人を知っている。彼女は熱心な信者になり、その一心不乱の祈りは周囲から称賛を浴びていた。

「あなたにも○○子を見習ってほしい。彼女もあなたと同じく日本から来たのだから」

 映画の中でも、半ばトランス状態になったように、一心不乱に祈る人々が登場している。そこで何かの「救い」を得る瞬間はあるのだろう。ただ、救われたと思った人でもさらに落とされる。祈りが足りないと言われる。ただし、この映画で描かれたのは、その連鎖ではない。「神の裏切り」は根源的な部分だった。

 韓国の教会が面白いのは、スピルチュアルでありながら、極めて世俗的な場所でもあるところだ。思いつきで信者になって日曜礼拝の際の交通整理を引き受けたり、議員に立候補するにあたって急に教会に通い出すような、下心あふれる人々の集いという部分もある。そういった韓国の宗教状況を、イ・チャンドン監督は巧みに表現している。ソン・ガンホの役どころが実に重要である。

 嘘みたいな本当の話もある。日本から来た友人は、通っていたポジャギ(韓国の伝統手芸)の先生にお金を貸したのだが、なかなか返ってこなかった。

 「夫が教会を建てるのでお金がいるんだって……、もうびっくり」

 驚くのはよくわかる。日本では教会を建てる夫はあまりいないだろう。しかし、韓国では教会を建てる夫も、尼僧用の僧庵をオープンさせる女友だちもいるのだ。

 教会の建設や増築には、牧師個人の貯金や信者からの献金を当てる。この夫は、見込んだ献金が足りなかったのだろう。それで妻に借金をさせる。世俗的すぎる。

 つまりイ・チャンドン監督が「反キリスト教ではない」といったのは、こういうことでもあるのだ。テーマは生身の人間であり、それを取り囲む社会のあり方。あくまでも教会は「たとえば」であり、しかしながら「特に」でもある。

 イ・チャンドン監督がすごいのは、単なる批判で終わらせないところだ。映画の後半で、タイトルとなった「密陽」という土地の意味が明かされていく。

「密陽は韓国のどこにでもある典型的な地方都市です。そんな平凡な街が詩的な名前をもっていることが、子供の頃から気になっていました。そこを舞台に、『シークレット・サンシャイン』を求める人間の、普遍的な運命を描こうと思ったのです」

 監督は当時、こんなふうに語っていた。

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プロフィール

伊東順子

ライター、編集・翻訳業。愛知県生まれ。1990年に渡韓。ソウルで企画・翻訳オフィスを運営。2017年に同人雑誌『中くらいの友だち――韓くに手帖』」(皓星社)を創刊。著書に『ピビンバの国の女性たち』(講談社文庫)、『もう日本を気にしなくなった韓国人』(洋泉社新書y)、『韓国 現地からの報告――セウォル号事件から文在寅政権まで』(ちくま新書)等。『韓国カルチャー 隣人の素顔と現在』(集英社新書)好評発売中。

 

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