ディープ・ニッポン 第6回

青森(2)革秀寺、高照神社、岩木山神社、りんご畑、身代地蔵尊とハリギリ

アレックス・カー

ハリー・ポッターの世界にいそうな「木の妖怪」

 いただいたリンゴをバッグの中に大事にしまって、次の目的地に進みました。まず、岩木山神社の北東にある「身代みがわり地蔵尊じぞうそん」という小さな神社に向かいました。ここの境内には大きなハリギリ(センノキ)があることを事前に調べていました。

 ハリギリは多くの人にとって馴染みの少ない木だと思います。漢字では「針桐」あるいは「栓の木」となりますが、葉が桐のように大きく、先が五つから九つに裂けていて、その尖った先端が針のように見えるのです。

身代地蔵尊 ハリギリの葉

 敷地の入り口に立つ小さな鳥居のすぐ先に、比較的新しい地蔵堂があります。樹齢200年のハリギリが、そのお堂を大きな傘のように覆っていました。太い幹周りは目測6メートルほどで、幹から四方に広がった枝ぶりが圧巻です。

身代地蔵尊 ハリギリの木

 前日に見た「ニドムカムイ」は空に向かって真っすぐに幹が突き抜け、枝はケヤキのようにエレガントなゴシックアーチを描いていました。このハリギリはそれとは対照的で、幹から出た枝は上へ行ったり下に向かったり、宇宙人の触手のように縦横無尽に伸びています。その様子はハリー・ポッターの世界にいそうな「木の妖怪」のようでもあります。実はこの木は、元は三本の木だったらしく、それが一つになった結果、異様なまでに太い幹とハリー・ポッター風の枝振りになったといいます。

 ハリギリの根の付近には「庚申塚こうしんづか」の石碑が十数点、半円を描くように置かれていました。「ミニストーンヘンジ」ともいえる魔法陣で、輪の中で妖怪が踊っていてもおかしくない雰囲気です。

 庚申信仰は道教の六十干支の一つ「庚申かのえさる」から生まれてきたものです。平安時代、滋賀の三井寺の天台密教では、庚申の神は青面金剛であるように解釈されていました。そのようにして中国の道教的な発想が、日本仏教に合わせられたわけです。それが後に民間の信仰に幅広く広がり、呪術や医学と関連付けられるようになったのです。

 道教の教えによれば、人間の体内には「三尸虫さんしちゅう」という虫がいて、悪事はすべてこの虫に見られていることになっています。三尸虫は、60日ごとに回ってくる庚申の日の夜、人間が寝ている間に、天帝もしくは閻魔大王にその者の悪行を報告するとされています。それを避けるために、庚申の夜は徹夜で勤行や宴会をして眠らないという風習が、民間に生まれました。 庚申塚はその勤行を3年、18回にわたって続けた証として建てられます。当初は60日の周期でしたが、いつからか厳密に60日ではなく、月一回という「月待ち」の風習に変わっていき、十五夜、十九夜、二十三夜など、徹夜の行が多様化していきました。ここの庚申塚には天保、弘化、安政から大正、昭和までの年号が見られ、「二十三夜塚」と刻まれたものもありました。いちばん古いもので1830年(天保年間)。きっとそのころには、ハリギリの木はすでにこの場にあったと思われます。庚申の夜や二十三夜に、人間が家の中で宴会をしている間、庚申塚の輪の中では三尸虫が集まって、笑いながら踊っていたことでしょう。

身代地蔵尊 庚申塚とハリギリの木

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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