独特の生態系が織りなす植物の楽園
午後の自然ツアーでは、島の内陸にある東平()の森林生態系保護地域を案内してもらいました。ここは国の天然記念物のアカガシラカラスバト(あかぽっぽ)のサンクチュアリになっています。鳥だけでなく、自然林の樹木も保護されています。敷地内を歩きながら、島特有のヤシ、タコノキなどの植物について、島ちゃんから詳しく説明してもらいました。
東平の地形はなだらかです。小笠原は明治時代に、政府の指導で開墾が進められ、父島でも半分近くの土地に手が入りましたが、このエリアは開墾を免れました。土のすぐ下は岩盤で土壌が浅いため、畑を作ることもできず、放置された結果、固有の自然が残りました。
東平の自然保護区域は金網で囲われています。これはノヤギやノネコなど、生態系を荒らす動物の侵入を防ぐための囲いです。入り口には、靴に付着した昆虫や種子などを落とすための足ふきマットがあります。その近くには箱が置かれ、訪問者は「研究」「観光」など立場に応じて、決められた形や色の石を入れることになっています。それによって、保護区域にどれだけの人が訪れたかが分かるようになっているのです。私たちは「観光」を表す丸く白い石を箱に入れて、保護区域に足を踏み入れました。
アカガシラカラスバトに関しては、入り口の掲示板で目撃情報を共有できるようになっていましたが、滅多に遭遇できないようです。もちろん私たちも見ることは叶いませんでした。この希少種の保護に関しては、特に取り締まりを徹底しているようで、「繁殖期間中入林禁止」と記された看板をところどころで見かけました。
保護区内では、父島固有の植生が健全な状態で育っています。小笠原全体で見ると、自生する植物の約三分の一が固有の植物といわれ、この場所でほとんどを見ることができるとのことです。島ちゃんが先導して、それぞれの木について教えてくれました。シマイスノキ、ムニンヒメツバキ型乾性低木林、ムニンノボタンの保護増殖スポット、ツルアダン、タコノキ、オガサワラビロウ、そして父島特有のメヘゴなど、東平は珍しい植物の楽園でした。
木生シダの一種である「マルハチ」の成木は10メートルを超える幹になり、そのてっぺんにデリケートなシダのような形の葉が広がっています。ヤシと同じく、木が伸びると葉柄が落ち、樹皮の表面に落ちた跡が模様のように残ります。近くで見ると、丸い葉柄痕の中に逆さの「八」の字が見え、それが「マルハチ」というユーモラスな名の由来になっているそうです。小笠原の森林は全体的にあまり高さがないので、背の高いマルハチの木は、森の中でタワーのようになって目立ちます。見上げると、四方八方に広がる大きな葉が、青空を背に傘のようなシルエットになっていました。
これは私見ですが、東南アジアやニュージーランドなど内陸にある熱帯雨林は通常、樹高の高い木に覆われています。対して、小笠原やハワイのような島の熱帯の森は、そんなに背が高くありません。内陸では樹高が百メートルを超える木も珍しくありませんが、東平の森ではマルハチの10メートルが目立っていました。島は常に強い海風にさらされているので、高い木が育ちにくい環境なのかもしれません。
そのような特徴を含めて、父島には本土や沖縄にさえもない独特の生態系がありました。まさに日本のガラパゴスといえるもので、太平洋上の立地と、空路が開かれていないゆえ、外部からの大量輸送がないという条件に守られているからでしょう。また、16世紀に人が辿り着くまで、小笠原は長く無人島であった歴史にも由来していると思います。世界的に見ても、きわめて珍しい条件を持つ島だと思います。
ただし東平の自然保護区も、保護が始まった当初は手つかずの状態を保っていましたが、現在はそれが逆になっているとのことでした。放っておけば、船で運ばれてきた外来種がこの地にはびこり、従来の生態系を侵食して、もとの自然環境が荒らされるばかりというサイクルになってしまうのです。自然保護区の周囲に柵を建てたり、看板を設置したりして、入林をしっかり管理しなければ貴重な動植物は守れません。小笠原の動植物はさまざまな外来種に脅かされており、そうせざるを得ない状況に瀕しているのです。大自然が柵の中にしか残らない、そんな時代になりました。
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