ディープ・ニッポン 第15回

北海道(3)音威子府、ビッキ美術館、美深

アレックス・カー

「激流の滝」が墨絵のような景色を作る

 さて、音威子府からいったん逆戻りする形で、美深町へ南下します。

 美深は東京二十三区よりも広い面積を持つ町で、数千人が住む集落以外には森と湿原が奥深く広がっています。美深という漢字は何ともロマンチックなものですが、その語源はアイヌ語の「ピウカ」で、「石の多い場所」という意味だそうです。美深は稲作の北限とされる土地で、車窓からの景色も麦畑や牧場が目立ちます。

 私たちは美深東部にある仁宇布にうぷ地区の「仁宇布の冷水・十六滝」へ行ってみることにしました。「深緑の滝」「雨霧の滝」「高広の滝」などと名付けられた十六の滝は、それぞれに個性があるようですが、広域に散らばっています。この日の午後に降った激しい雨のせいで、一帯がひどくぬかるんでいたので、今回は「激流の滝」だけを見ることにしました。

 小雨の中、未舗装の山道を進んでいく途中には、濡れたシダやフキの葉が鮮やかな緑に輝き、周りの木々からは透明な雫が絶え間なく落ちていました。静まり返った森には私たち以外に人の気配はありません。滝の側まで来ると「熊・出没注意」の看板が立っていました。青森でも同じ看板にたびたび遭遇しましたが、北海道のクマは本州にいるツキノワグマより、はるかに獰猛とされるヒグマですので、緊張がより高まります。

「激流の滝」にいたる小径

 激流の滝は「滝」すなわち高台から落ちる水というよりも、岩の間に降り注ぐ急流といった趣でした。岩の並びに沿って、左右ジグザグに向きを変えながら流れる白く泡立った急流と、岸にある松の下り枝が古い墨絵のような景色を作り出していました。

「激流の滝」

 その眺めに見惚れているうちに、あたりが暗くなり始めました。熊が出没したら大変。名残を惜しみながらその場を後にし、美深の市街地まで急いで戻りました。

 天塩川にかかる紋穂内もんぽない橋という長い橋を渡った先に、青い星通信社があります。橋を渡る途中に見た川は、午後に襲ってきた激しい雨で増水し、川面は茶色く濁って、流れも速くなっていました。紋穂内橋の端から端までは、けっこう距離があります。左右に天塩川の大きな流れを見ていると、本当にこの先に宿があるのだろうかと思いました。橋を渡り切ったところに、石レンガの建物と灯りが見えてきました。

(つづく)

構成・清野由美 撮影・大島淳之

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ディープ・ニッポン

オーバーツーリズムの喧騒から離れて──。定番観光地の「奥」には、ディープな自然と文化がひっそりと残されている。『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』のアレックス・カーによる、決定版日本紀行!

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プロフィール

アレックス・カー
東洋文化研究者。1952年、米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。景観と古民家再生のコンサルティングも行い、徳島県祖谷、長崎県小値賀島などで滞在型観光事業や宿泊施設のプロデュースを手がける。著書に『ニッポン景観論』『ニッポン巡礼』(ともに集英社新書)、『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『観光亡国論』(清野由美と共著、中公新書ラクレ)など。
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