現代魔女 第3回

魔術と魔女術(ウィッチクラフト)

円香

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。
今回は魔女がおこなうとされている「魔術」がどのような意味合いを持つのか。科学やアートとどのように隣接しているのか。そしてそれとは別に存在する「魔女術(ウィッチクラフト)」とは何かをひともといていく。

あなたも魔術を使っている

「いたいのいたいの、とんでいけ」

子どもの頃、誰もが経験したことのあるだろう、この「おまじない」。擦り傷や切り傷に優しく息を吹きかけながら唱えられるその呪文に、不思議と痛みが和らいだという記憶を持つ方も少なくないかもしれない。

千羽鶴を折って病気の人に届ける。てるてる坊主を窓辺に吊るして晴れを願う。お賽銭を投げて願い事をする。雷が鳴ったらおへそを隠す。塩をこぼしたら少量の塩をつまんで左肩越しに投げる。好きな人の名前を消しゴムに書いて使い切る。結婚指輪を交換する——。実は私たちの日常生活には、これら「おまじない」と呼ばれる小さな魔術的行為が溢れている。子供の頃、あるいは大人になってからも、私たちは「おまじない」を楽しんでいる。

誕生日には、ケーキにろうそくを立て、火を吹き消す。これはまさに「儀式」だ。この行為には重要な意味がある。それは単なるお祝いではなく、その人が無事に一年を過ごし、新たな年齢へと到達したことを認める通過儀礼なのだ。周りの人々と共にケーキを分け合い、互いに言葉を交わすことで、私たちは共同体の中での個人の成長を確認し、また未来を祝福している。季節に関連する儀式も日本には沢山ある。節分の日に豆を歳の数だけ食べて、残りを家の外に投げる。冬至の日には母親が用意してくれたゆずをお風呂に浮かべ、いつもとは違う香りを湯舟で楽しむ。

「魔術」や「魔女」と聞いて、身構えてしまう人がいるのは理解できる。非科学的で非合理的な迷信、あるいは反社会的なあやしげな実践を想像してしまう人もいるかもしれない。確かに、魔術は時として恐れの対象ともなってきた。日本の丑の刻参りのように、呪いの儀式は世界中に存在する。人類学的な調査では、呪いをかけられたと信じることで実際に体調を崩したり、最悪の場合、死に至るケースさえ報告されている。しかし、これは魔術が持つ力の一面に過ぎない。多くの魔術は精霊、祖先、または神々と協力して行われる、祝福的なものだ。

おまじないの事例から分かるように、魔術を行うのに魔女や魔術師である必要はない。私たちは誰しもが「なぜ思い通りにならないんだろう?」と疑問を持ったり、反対に思い通りにならない状況を少しでもコントロールできたらと願っている。上手くいかない時は「なんだか今月は運が悪くて、ついていないな」と感じたりする。上手くいかないことがあまりにも続けば「呪われている…」と感じたりするかもしれないし、誰かに「お祓いに行ったほうがいい」とアドバイスされるようなこともあるかもしれない。仕事、健康、恋愛、出産、災害、ギャンブル…あらゆる場面で私たちは自分には手の及ばない領域に対して祈り、出来ることならコントロールしたいという願望を持っている。そして、自分や家族、友達が少しでも健やかに生きることを願っている。

あなたが信じていようがいなかろうが、私たちの暮らしは魔術に包囲されている。私たちは誰もが魔術的な世界のとらえ方を持っている。

「類感魔術」と「感染魔術」

人類学者のジェームズ・フレイザーは、魔術的思考の基本原理として、「類感魔術」と「感染魔術」という二つの法則を紹介した。類感魔術とは「似たものは似たものを生む」という原理で、例えば、ワカメを食べると髪が生えるといった発想がこれにあたる。また、年越しそばを食べて「細く長い」長寿を願うのも、魔術的な思考である。さらに東洋の陰陽五行論をベースにした複雑なものでは土用の丑の日にウナギを食べるというよく知られたマーケティングがある。類感魔術はネガティブなものにも使われることがあり、藁人形を呪いたい対象に見立てて釘を打ち付けるのもこの魔術的思考の一例だ。

一方、感染魔術は「一度接触したものは、離れていても影響し合い続ける」という考え方だ。大切な人の形見を大事にするのも、この原理によるものと言える。例えば食べ残しや髪の毛などが呪いをする時に使われるのはこの原理だ。切り離された部分であっても本体に影響を与えると信じられているのである。この「接触による影響の伝播」という考え方は、世界中の文化に見られる「穢れ」の概念とも結びついている。日本における「穢れ(けがれ)」は、単なる物理的な不浄や汚れを指すのではない。それは目に見えない影響力を持つ霊的な状態であり、接触によって伝染すると考えられてきた。例えば、死に触れることで生じる死穢(しえ)は、その場に居合わせただけでなく、訃報を聞いただけでも感染するとされた。神聖なものに触れることによって生じる物忌み(ものいみ)も、一種の穢れと考えることができる。神職が神事の前に身を清めるのは、日常的な穢れを祓うためだが、逆に神事を終えた後にも祓いが必要とされるのは、神聖なものとの接触による特別な状態を解く必要があるためだ。

このような不浄観は、ある社会における秩序を維持するための象徴的な境界線として機能してきたともいえる。だが一方で、それは差別感情の源泉として、ある社会において被差別階級を生み出すこともあった。そして、その穢れについての感覚はまさに魔女狩りの中で女性やハンセン病患者に向けられ、イメージ操作、支配装置として機能した。この点については、また追って触れる。

魔術と意図

魔術を行おうとすることは極めて実践的な営みであり、それを具体的な目標達成を志向するひとつの技術として理解することもできる。

まず、魔術には明確な意図が必要である。

私たちは「もしかしたら〜かもしれない」というような曖昧な願望や漠然とした期待を持って魔術に取り組むことはない。むしろ、達成したい目的を明確に定め、スペルを実行する。その実現に向けて呪文やチャントを唱え、計画的に行動をする。ペテン師がそれで人をそそのかす事例を除けば、魔術を行う行為自体は現実主義的な姿勢だ。これが問題になるのはいつでも誰かが人々をそそのかそうとしている時だけだ。

例えば、一攫千金を願うような筋道のない非現実的な期待や、物理法則を完全に無視するような願望は、実際の魔術の実践においてはほとんど無意味である。魔術の実践者は意志を明確に方向づけ、それを通じて現実に積極的な働きかけを行うだろう。ここでいう「意志」とは、目的を達成するための強い決意と実践的な行動力を含む概念なのだ。言い換えれば、魔術とは世界に対して意図的な変更を加えようとする、極めて主体的で能動的な心の働きともいえる。魔術の実践者は明確な目的、現実的な期待、そして強い意志の力を組み合わせることで、具体的な結果を導き出そうと試みる。

魔術を行おうとするとき、単なる個人の意志や願望だけでは、世界は変わらない。そのため彼らは、世界を織りなす神々や、自然界に宿るスピリットたちに対して、彼らの周りのコミュニティと共に慎重に、そして敬意を持って働きかける。これは具体的には、特定の作法に則った儀式を通じて行われる。これがどのような形式で行われるかはそれぞれの文化的背景や魔術伝統によって違うだろう。

現代魔女術の祖(魔術と魔女術は異なるものであるが、これは後述する)の一人であるジェラルド・ガードナーは次のように魔術について語っている。「魔術的信念の基礎は、目に見えない力が存在し、適切な儀式を行うことでこれらの力に接触し、それらを強制または説得して何らかの形で助けてもらうことができるというものである。」

魔術は困難に直面した人々に「私たちは世界を変える力を持っている」という非常に力強い考えをその人の心の中に与える。それは個の力を限りなくエンパワメントするものでありながら、一方ではそうした個が世界から切り離されては存在しないという、微妙なバランスの上に成り立っている。

繰り返すように、こうした魔術的な思考や実践は、私たちの生活に溶け込んでおり、文化を形成している。それは人間が世界と関わり、意味を見出し、時には自然の中に住まう精霊や神々にも働きかけようとする根源的な欲求の表れでもある。現代の心理学研究においても、適度な「魔術的思考」は、不確実な状況での意思決定や不安の軽減に役立つことが指摘されている。「おまじない」はちゃんと「効く」のだ。おそらく、私たちは誰しも、そのことをよく知っている。

魔術と人類の歴史

ところで、人類の歴史において、魔術は決して独自に独立して発達してきたわけではない。魔術は芸術や宗教、そして科学とも歩みを共にしてきた。魔術は単なる迷信や非合理的な行為の集積ではない。魔術も宗教と同じように象徴体系を用いた技術であり、目に見えない霊的な世界との関係を維持する手段であり、生き延びるために必要不可欠な物語を語る実践だった。

洞窟の壁に描かれた絵画は、長らく狩猟の成功を祈願するための儀式、すなわち狩猟魔術のために描かれたものだと解釈されてきた。新たな獲物を仕留めたり、獲物が増えることを願って描かれたと考えられてきたのだ。しかし、考古学者のデヴィッド・ルイス=ウィリアムズは、著書『洞窟の中の心』において、この通説を覆す新たな解釈を提示した。彼の研究によれば、これらの壁画は、洞窟の中で行われた儀式において、人々が変性意識状態に入ることで描かれたものだという。彼の洞窟壁画研究が明らかにしたのは人々が具象的な世界を描いただけではなく、半人半獣の姿や幾何学的な共通の模様を描いたということだった。これらの壁画は、人々が神話的世界や死んでいく動物たちの霊との間に何らかのつながりを見出そうとした痕跡なのかもしれない。人々は夢、変性意識の世界で一時的に動物の姿になることで、動物の霊とつながりを持とうとしたのだ。芸術の起源の一つは、このような意識を変容させる儀式的な実践の中にあるのではないかという仮説が提示されている。

一方、人類がなぜ歌うようになったのかという問いは、また別の視点から私たちの起源を照らし出す。ジョーゼフ・ジョルダーニアは、地上で声を発する生物の分布から、驚くべき仮説を導き出した。地上で堂々と鳴く動物は、ライオンや狼など、生態系の頂点に立つ捕食者たちに限られている。同様に、海の中ではクジラやイルカといった強大な捕食者が歌い、木々の上では地上の猛獣の手の届かない位置にいる鳥やサルたちが声高らかに鳴く。声を出すということは、捕食者に位置を特定される危険性を高めるため、弱い立場にある哺乳類の多くは、基本的に声を出さない戦略を選択してきた。

では、なぜ人類は歌うのか。それは、歌が集団での狩猟において決定的な役割を果たしたからだとジョーゼフ・ジョルダーニアはいう。大型の獲物に立ち向かうためには、日常的な意識状態では到底克服できない恐怖との対峙が必要だった。これをジョーゼフ・ジョルダーニアは「戦闘トランス」と呼んでいる。歌は群れの結束を強め、個々の恐怖を克服し、必要な勇気を生み出す強力な道具となった。人類学者たちは、ホモ・サピエンスが高度な社会性を獲得できた理由として、共通の神話や物語を信じる能力を挙げることが多い。しかし、これらの神話や物語は、決して静的なテキストとしてではなく、歌や踊り、楽器の演奏を伴う儀式の中で生き生きと体験され、共有されてきた。人々は儀式の場で共に歌い、踊り、物語を演じることで、より大きな共同性を生み出してきたのである。

このような人類の初期の芸術表現は、深い儀式的な文脈の中で生まれた。洞窟の奥深くで動物の霊との交流を図り、狩りの前に歌で集団の力を高め、そして死んでいく動物への感謝を捧げる。これらの行為はすべて、儀式という特別な場において変性意識状態という意識の変容を伴って行われた。

儀式の場では、人々は日常的な時間や空間から離れ、異なる位相へと意識を移行させる。そこでは、死んでいった動物たちの霊を慰め、これから狩りに出る際の加護を祈り、時には供物を捧げることで神々や精霊との関係を取り結んだかもしれない。こうした実践は、決して単なる迷信的な行為ではない。それは、目に見えない存在との関係を編む、人類に特有の創造的な営みなのだ。

このように考えると、芸術と儀式は、人類の社会性の発達において決定的な役割を果たしてきたことがわかる。それは単に物語を共有するだけでなく、身体的な経験や意識の変容を通じて集団の一体感を生み出し、強化する装置として機能してきた。

魔術的実践としての儀式は、人間と人間ならざるものとの境界で行われる。人々は歌い、踊り、描くことで、その境界を一時的に溶解させ、霊や神々との交感を可能にする。そして、そこで得られた力や知恵を現実世界に持ち帰る。これこそが、最も古い形の魔術であり、同時に芸術でもあった。

この営みは、形を変えながらも今日まで続いている。現代の儀式や祭りにおいて、人々は依然として歌い、踊り、描き、語ることで日常とは異なる意識状態に入り、世界との新たな関係を築こうとする。それは、人類の最も古い記憶の中に刻まれた、芸術と魔術の結びつきの証なのかもしれない。

魔術vs科学vs宗教

魔術と芸術はその起源を一にしている。であれば魔術と科学の関係はどうだろうか。実は魔術と科学とを明確に区別することもまた難しい。これらの境界は、一般に考えられているほど明確ではないのだ。私たちは往々にして、科学を合理的で客観的な営みとし、魔術を非合理で主観的なものとして区別しがちである。しかし、人類の知的営みの歴史を紐解くと、そこにはより複雑な関係性が浮かび上がってくる。

科学は、観察、仮説、実験、検証というプロセスを通じて、世界の仕組みを理解しようとする体系的なアプローチとして知られている。しかし、この手法は何も近代科学に限ったものではない。現代の私たちからすればオカルトの領域に属すると考えられがちな占星術においても、天体の運行は緻密に観察され、その影響関係について仮説が立てられ、検証が重ねられてきた。

「天文学は占星術の放蕩息子である」という言葉は科学史家のアーサー・ケストラーの言葉だが、実際、古代から中世にかけて、天文学と占星術は密接不可分の関係にあった。多くの著名な天文学者たちは、占星術によって生計を立てていた。例えば、近代天文学の父と呼ばれるヨハネス・ケプラーも宮廷占星術師として活動していたことはよく知られている。

紀元前5世紀頃のバビロニアでカルデア人が最初期のホロスコープを作成した頃、天体観測と暦編纂は切り離せない営みだった。天体の運行を正確に観測し、記録することは、農耕の時期を定める上で不可欠な知識だったのである。私たちが今日使う漢字の祖形である甲骨文字も、元来は王朝の占卜結果を刻むために生まれた体系である。占いの歴史は文字の歴史よりも古いことはほぼ間違いなく、人類の知的探求において重要な役割を果たしてきた。

そして錬金術師たちもまた、物質の変成過程を注意深く観察し、記録し、実験を重ねることで、後の化学の基礎となる重要な知見を積み重ねていった。

心理学という学問領域も、興味深い事例を提供している。意識という目に見えない現象を捉え、それに働きかけようとする試みは、古来より魔術が担ってきた領域だからだ。様々な心理療法と、シャーマンの行う霊的な実践との間には、少なくない共通点が存在する。

科学的な知識の基盤となる測定や観察の手法は、研究分野によって大きく異なる。例えば、物理学では極めて精密な数値測定が可能であり、それを基に普遍的な法則を導き出すことができる。一方、生物学や生態学では、生命現象の複雑さゆえに、統計的な手法を用いた確率的な解析が必要となることが多い。さらに複雑なのは人間の行動や社会現象を扱う社会科学の分野である。ここでは、観察対象である人間の主観や意図が結果に影響を与えるため、自然科学とは異なる方法論が必要とされる。医学においても、患者の心理状態や生活環境が治療効果に影響を与えることが知られている。

このように、「科学的」とされる測定や観察の方法は、研究対象の性質によって多様である。

例えば、先住民たちは何世代にもわたって自然を観察し、その知識を彼らのやり方で体系化してきた。彼らは月の満ち欠けや潮の干満、動植物の生態、気象の変化を詳細に理解し、その知識を実践的に活用してきた。これは近代科学とは異なるアプローチではあるが、一つの科学的な世界の見方であり、知識体系なのである。

科学の歴史を遡ると、現代では「非科学的」と見なされる領域との関わりに必ず出会う。例えば、化学の源流には錬金術があり、天文学は占星術と深く結びついていた。これは決して、魔術が科学であることを意味するわけではない。むしろ、私たちの「科学的」という判断基準自体が、時代とともに変化してきたことを示している。

16世紀末、ジョルダーノ・ブルーノは地動説を支持した。当時の「科学的」知識とされていた天動説に反するこれらの見解は、異端として断罪された。1600年、ブルーノはローマで火刑に処せられた。しかし現代では、彼の主張の多くが科学的真実として認められている。

現代の科学者たちが「科学的」と考える基準も、数十年後には異なっているかもしれない。地動説が天動説を、量子力学の発見が古典物理学の世界観を根底から覆したように、あるいは相対性理論が時間と空間に対する私たちの理解を書き換えたように、新たな発見は常に既存の科学的パラダイムを更新してきた。

現在においては単に手順の問題とも言えるだろう。対象が何であれ、科学的と認定される手順を踏んでいるかどうかで、その知が科学的か否かが判断される。ある意味で呪術も科学的な手順を踏んで研究されれば科学になりうる。ここで重要なのは、ある特定の作法がアカデミアを通じて権威化されているという点だろう。

このような視点は、魔術と科学の境界の曖昧さについて考える際に非常に示唆的である。魔術的実践も、それを観察・記録・分析する科学的手続きを経れば「研究対象」として科学の領域に取り込まれる。しかし同時に、今日の科学的パラダイムそのものが、未来の視点からは「別の形の魔術」と見なされる可能性も否定できない。

このことは、私たちに一つの重要な示唆を与える。それは、現在「科学的」とされる知識や方法論を絶対的なものとせず、より謙虚な姿勢で謎に満ちた世界を眺める必要があるということだ。私たちの世界に対する理解は常に暫定的なものでしかない。それは科学それ自体の歴史が、私たちに教えてくれていることだ。

魔術か科学かという区分は、実は世界を理解し、それに働きかけようとする人類の営みの異なる側面を表現しているに過ぎないのかもしれない。それぞれのアプローチは、時として重なり合い、互いに影響を与え合いながら、人類の知的探究を豊かなものにしてきた。現代においても、これらの領域の境界線上で、新たな知の地平が開かれつつある。

そして、魔術と宗教の境界もまた、私たちが想像するほど明確なものではない。

世界中の宗教的実践を見渡すとき、そこには魔術的な要素が深く織り込まれていることに気づく。神社やお寺における宗教的実践を見ても、魔術との境界は曖昧だ。人々は特定の神様に願い事をし、その加護を求めてお守りやお札を購入する。学業成就、病気平癒、縁結び―これらの願いは、形を変えながらも世界中の宗教的実践に共通して見られるものだ。そこでは、目に見えない力に働きかけ、現実を変容させようとする意図が明確に表れている。

例えば、カトリックの教会では、司祭がパンとワインを聖変化(トランスサブスタンシエーション)させ、それが文字通りキリストの肉と血に変わると信じられている。司祭による按手は病を癒し、聖水は邪念を祓う力を持つとされた。イエス・キリスト自身、水をワインに変え、病人を癒し、死者を蘇らせるという、今日の私たちの感覚からすれば「魔術的」としか言いようのない「奇跡」を行った。

実のところ、宗教と魔術を分かつ基準は、しばしば権力や制度の問題に帰着する。同じ癒しの行為でも、教会の司祭が行えば「奇跡」とされ、民間の治療者が行えば「魔術」や「魔女術」として否定された。「魔術」は軽蔑的な言葉で、支配的な宗教機関によって認められていない霊的な力を利用し、何かが起こることを意味してきた。寺院や教会で人々が行っている祈りを、夜の森の中で一人で行っていたらそれは「魔術」になるのだ。

これは、制度化された宗教が、みずからの正統性を主張するために、民間あるいは個人的な宗教的実践を「魔術」として周縁化してきた過程を示している。

宗教は「共同体的・祈願型」、魔術は「個人的・操作型」という区分も存在するが、これで考えると現代魔女の実践はその両方に当てはまる。

共に目に見えない力との関係を取り結び、それを通じて現実に働きかけようとするものでありながら、宗教と魔術はそれぞれ異なる道を辿った。あるいは、それらが分岐したときに宗教は初めて「宗教」に、魔術は初めて「魔術」になったとも言えるかもしれない。

近代魔術復興運動

魔術に対する社会的な認識と評価は、時代と場所によって大きく異なり、歴史的に大きな変遷を遂げてきた。

古代地中海世界において、エジプトは特異な位置を占めていた。他の文化圏が魔術を恐れたり否定的に捉えたりする中で、エジプト人にとって魔術と宗教行為はほとんど区別されず、魔術と祈祷の境界が曖昧であった。古代エジプトの神殿では、神官たちが日々の儀式の中で魔術的実践を行っており、魔術(ヘカ)は宇宙の創造原理であると同時に、国家の守護にも用いられる正当な術として宗教的秩序の維持と国家の安寧に直結していた。また、恋を成就させようとする呪文や、家族の女性が護符を作ったり、子供の病気平癒を願って女神に祈りを捧げるといった家庭内魔術はごく一般的に行われていた。

一方、中世ヨーロッパにおいて、魔術は教会権力との関係で複雑な立場に置かれた。王侯貴族の宮廷で重用された錬金術師がいる一方で、民間の魔術的実践は異端として弾圧の対象となった。特に15世紀から17世紀にかけての魔女狩りの時代には、魔術は悪魔崇拝と結びつけられた「魔女術」として激しい迫害の口実となった。

啓蒙時代を経て、魔術は「非合理的」なものとして周縁化されていく。しかし19世紀には、ロマン主義の影響下で再評価が始まり、文学や芸術の重要なモチーフとなった。20世紀に入ると、人類学者たちが世界各地の魔術的実践を研究対象として取り上げ、その社会的・文化的意義について新たな理解が広がっていった。

そんな中、盛り上がりをみせてきたのが近代魔術復興運動である。

近代魔術復興運動の中で魔術は「魔術とは意志によって意識を変化させるアート(術)である。」と定義される。これはダイアン・フォーチュンという魔術師の有名な魔術の定義だ。彼らの語る魔術はもちろん杖から火が出たりする摩訶不思議な超自然現象の事ではない。では、どういうものだったのか。20世紀初頭のイギリスを代表する魔術師として知られるアレイスター・クロウリーによる魔術の定義は次のようなものである。

「(魔術とは)意志に従って変化を引き起こす科学でありアート(術)」

こちらでは科学とアートが並んでいることに注目してほしい。これはクロウリー独自の発想ではなく、19世紀から20世紀初頭にかけてのその時代、「魔術」や「神智学」は、現代の私たちの感覚とは違い、より科学的な探究の一形態として捉えられていたのである。

8世紀から9世紀にかけてアラビア語で記録された「エメラルド・タブレット」にはヘルメス・トリスメギストスによって書かれたとされる「上なるものは下なるものの如し」の一文が含まれている。 このフレーズは、宇宙のフラクタルな性質を示すものであり、マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間や地球上の出来事)の関係を表現していると考えられた。

当時の魔術師たちは、「上なるものは下なるものの如し」に基づき、物質世界と精神世界の両方を包含する、総合的な世界理解を目指していた。例えば、黄金の夜明け団のような魔術結社では、実験での観察と記録を重視し、同時に意識の変容状態の探究も行っていた。

神智学協会の創設者であるヘレナ・ブラヴァツキーは、東洋の叡智と西洋の科学的手法を統合しようと試みた。彼女の著作『シークレット・ドクトリン』は、当時の近代科学の発見を、古代からの秘教的知識と結びつけて解釈する野心的な試みだった。このような知的探究の在り方は、現代の細分化された学問体系からすれば異質に映るかもしれないが、この時代の知的風土を理解するためには、当時の「科学」という概念が、今日とは異なる広がりを持っていたことを認識する必要がある。

上記で紹介した近代魔術復興運動の流れの中で、20世紀半ばに登場するのが現代魔女術である。
現代のペイガン/魔女文化は、自然崇拝やアニミズム、民間の魔術と近代魔術復興運動の一部が融合し、より大衆化したものであると言えるだろう。現代魔女術は、これらの魔術の定義の一部を確かに共有はしているが、しかし同じものかと言えば決してそうとは言えない。魔女術は魔術とはまた異なる歴史的文脈のなかで使われてきた言葉である。では、それらはどう異なるのか。

魔術と魔女術(ウィッチクラフト)

魔術と魔女術は、しばしば混同されがちだが、特に西洋の文脈において、この二つの言葉は大きく異なるニュアンスを持っている。

魔術 Magic(k)は、しばしば「高等魔術」と呼ばれ、知的エリートによって実践される洗練された技芸として位置づけられてきた。それは古代の叡智を継承し、自然の隠された法則を探究する営みとして、一定の社会的認知を得ていた。例えば、ルネサンス期の魔術師たちは、数学、天文学、医学といった当時の学問と密接に結びついた実践を行っていたし、近代魔術復興運動の中での儀式魔術は一種のサロン文化であった。

一方、「魔女術」は、「高等魔術」に対比させて「低級魔術」と呼ばれ、より土着的で貧しい人々の行った民間魔術の要素を含み、邪悪で陰湿な含意を持つ言葉として使用されてきた。特に中世から近世にかけて、キリスト教会によって「悪魔的な実践」として糾弾される対象となった魔女術は、社会秩序を脅かし、作物を枯らし、病をもたらし、男性を不能にするような「害悪魔術(マレフィキウム)」として恐れられた。『魔女に与える鉄槌』のような悪魔学の書物は、魔女術を悪魔との契約に基づく反社会的な実践として定義し、その撲滅を正当化した。これらの悪魔と結びついた魔女のイメージは15世紀後半から16世紀初頭にかけて確立されたものだ。「魔女術」は「魔術」よりも遥かに邪悪なニュアンスを伴う。

さらに、同じような実践でも、修道院や大学で学んだ男性が行えば「自然魔術」として容認され、周縁化された女性や社会的弱者が行えば「魔女術」として断罪された。この差別的な区分は、特に15世紀から続いた魔女狩りの時代に、悲劇的な結果をもたらすことになる。

現代魔女術

現代の文脈において、この歴史的な重みを帯びた「魔女術」という言葉は、新たな意味を獲得しつつある。現代魔女たちは、かつて抑圧と迫害の道具として機能した言葉を、意図的に引き受け、転覆させようとしている。彼らは、「魔女術(ウィッチクラフト)」という言葉に、抑圧された知の復権という新たな意味を見出している。

アメリカの著名な現代魔女であるスターホークによれば、ウィッチクラフトの本質は、誕生、成長、死、腐敗、そして再生という、全宇宙に遍在する循環的な原理との関係を取り戻すことにある。それは生命の営みを受け入れ、理解しようとする試みであるという。ここでは現代社会が往々にして目を背けがちな死や腐敗のプロセスも、この循環の不可欠な一部として捉えられる。

このような理解に立つとき、ペイガン魔女たちの実践は、近代的な進歩史観や直線的な時間意識とは異なる世界観を提示する。彼らは自然を「征服」や「所有」の対象としてではなく、共に生き、ときに手入れをし、全てのものが死ねば帰る場所、共に再生する存在として捉える。

現代のペイガンや魔女たちが行う季節の儀式は、単純に昔から続く伝統の再現ではない創造的なものだ。

現代魔女術は元々「古き宗教」や「古き道」「オールド・クラフト」といった言葉で表現されてきたことからもわかるように、古代からの伝統の復興を意識している。しかし同時に、現在の現代魔女術の実践者たちは古代の叡智をそのまま再現したものではなく、新たに20世紀に編まれた新しい実践として知った上で新たな儀式、コミュニティを編んでいく。

それは自然の循環に自らを開き、その中で生きることの意味を体験的に理解しようとする生きた試みである。春の芽吹き、夏の成熟、秋の衰退、冬の死と再生―これらの移り変わりを、儀式を通じて身体的に経験することで、彼らは現代社会では見失われがちな生命の律動を取り戻そうとする。

現代魔女文化は、かつての迫害の歴史を踏まえつつ「魔女」という言葉が私たちにどのような問いを投げかけているのかに思いを巡らし、新たな意味を獲得しようとしている。それは失われた過去への回帰ではなく、むしろ未来に向けた、人間と世界との新たな関係性の探求というべきものだろう。

(次回へつづく)

 第2回
現代魔女

フィクションの世界のなかや、古い歴史のなかにしか存在しないと思われている「魔女」。しかしその実践や精神は現代でも継承されており、私たちの生活や社会、世界の見え方を変えうる力を持っている。本連載ではアメリカ西海岸で「現代魔女術(げんだいまじょじゅつ)」を実践しはじめ、現代魔女文化を研究し、魔術の実践や儀式、執筆活動をおこなっている円香氏が、その歴史や文脈を解説する。

プロフィール

円香

まどか 

現代魔女。アーティスト。留学先のLAでスターホークの共同設立したリクレイミングの魔女達に出会い、クラフトを本格的に学びはじめる。現在はモダンウィッチクラフトの歴史や文化を日本に紹介している。未来魔女会議主宰。『文藝』『エトセトラ』『ムー』『Vogue』『WIRED』などに現代魔女に関するインタビューや記事を掲載。2023年から逆卷しとねとキメラ化し、まどかしとね名義でZINE『サイボーグ魔女宣言』を発売。笠間書院にて『Hello Witches! ! ~21世紀の魔女たちと~』を連載中。

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魔術と魔女術(ウィッチクラフト)