「将来の見通しさえ持てれば、頑張れる」
この島津くんの思いこそ、校長の山田勝治が目指すものだ。
「“勉強嫌いが、好きになる学校”というのが、うちのコンセプトなんです。学ぶということが苦手でも、学校は楽しいと思ってもらえるような学校作りをしないといけないと思っています」
西成高校に最初に赴任したのは、2005年。教頭として4年、2009年から校長を4年間務め、別の高校に赴任して4年後に定年を迎えた。2017年から再任用で西成高校へ戻り、以降6年間、校長を務めている。
「『任期付き校長』というのがあって去年、試験に合格して、25年3月31日まで辞令があるんです。これにまだ2年、オプションが付くんですよ。うちでやらせてもらえるなら、2026年度の終わりまではやらんかなと思っています」
再任用では普通、前に校長をやった学校には戻れないらしいのだが、なぜか例外となった。
「エンパワメントスクールになるところまでレールを引いたんですけど、僕が移った後に、いい学校になろうと思って厳しい生徒指導を始めたんです。厳しい生徒指導で見た目をよくしようと、“商品管理”しはるわけです。で、生徒との信頼関係がぶちぶちに切れるわけですよ。エンパワメントスクールで退学を減らそうと思ったのに、退学は減らなかった。それで戻ってきてーとなって、教育委員会としては、火中の栗を拾う人になっているので」
長く校長職にいるからこそ、できることがある。山田は今、“実験的な新しい学校作り”に取り込んでいる。それが、楽しくてしょうがない。
「やっぱり、いろんな社会的排除をされてきた子たちが集まってくる学校なわけだから、この子たちをちゃんと受け止められる学校にしようと。だから、30人学級なんですよ。始業時間を1時間遅くして9時45分始まりにしたのも、うちの子たちは家計を助けるとか修学旅行の積み立てを作るために、夜遅くまでバイトしている子が多いから。それと、定期テストを止めました」
さりげなくサラリと語るが、なんと思い切った改革だろう。だけど定期テストを廃して、どのように評価するのだろう。
「定期テストが無くなっただけで、確かめテストはあるんです。でも定期テストって、知識理解をメインに、どれだけ覚えているかを問うてるわけでしょ。基本的にそれが学力だって、今までずっと言われてきたけれど、それじゃないと思っているんです。どれだけ覚えているかで測れば、早くからそうやって学習できる環境のある子の勝ちなんですよ。うちの子らはもう、負けてるわけです」
確かに今まで問われてきた学力は、テストの点数で評価されてきた。それこそ、もうずっと昔から。入試だって、それで選別されてきた。しかし、山田は大事なのは、そこではないと言う。
「もちろん、四則計算とか言葉を操るとか、最低限のことは覚えておく必要があるやろなとは思うけど、7×8=56ぐらいは覚えててもいいけど、『ヒッタイト』とは何かって説明できなければダメかって、そんなことじゃない。困った時に学ぼうとすることを、習慣づけるプログラムが作れないかと思っていて、それが学習の力じゃないかと思うんです。その学習力こそが、学力なんじゃないかと。あんまりいっぱい覚えていること、問うてもしゃあないよねって言うのが、今、思っているところです」
そのためには不登校ではなく、学校に出てきてもらう必要がある。そのためにはどうするのか。西成高校は不登校の子たちの学び直しの場である、エンパワメントスクールでもある。彼らはいろんな社会的排除の結果、不登校となっているわけだ。
「この子たちが学校へ出てきて集団で学ぶ、共同で学ぶということをやりたいんです。文科省は『個別最適化された学び』としてギガスクール構想のもと、一人一台端末を持って、その子に合ったものがダウンロードされて、それを学ぶという方向を提示してますが、そうやって学べるのは、そこにある知識だけなんです。否定はしませんが、本筋ではない。そうではなくて人と話すとか、人と対話するとか、そういうのがないとあかんのかなと思うのです。集団で、主体的な対話の中で学ぶというのが、今、要るんじゃないかと」
だから、“学びをもっと緩く”が、西成高校のコンセプトになる。知識量を問うことが、学力を測ることではないという立場に明確に立つ。
反貧困学習については、どう思うのだろう。
「2007年に肥下くんが『やっぱり西成の、地元のことせなあかんよな』って反貧困学習をやるというから、なるほど、やろうって思いました。これまでの人権学習は自分探しのようなものばっかりで、生徒の現実はそこにはなかった。しんどいところ、困っているところから話が始まらないと、自分のことにはならない。そこで、生徒と対話が初めてできたんです。飯食えてないことに、やっと教員が気づいたわけです」
一番大きかったのは、生徒たちが「将来へ、何の見通しも持てていない」ことに気づいたことだ。だから生徒たちは不安で、イライラしていた。厳しくても見通しさえ持てれば、頑張れる。反貧困学習はそのために、生徒たちと対話していく教材であり時間となった。
「これが可能やったのはやっぱり、肥下って人がね、現場をよく見ているからなんですよ。生徒と社会を見ている。子どもを通して、社会を見ているからできたことで、子どもらの生のところからスタートするという感覚を持っている。なかなかできないですよ、あんな授業。同じ教材を、他の学校でやっても無理だと思います」
毎回、反貧困学習の授業で生徒たちが生徒たちなりに、真剣に考える姿を山田も目の当たりにしてきた。
「こんなん、ちょっとしたことを覚えるより、よっぽどいいでしょ。この価値が、わかるかどうかなんです。こんなことやって、何の意味があるのかって思う人には、何の意味もない授業なんで」
今回、反貧困学習“バージョン2”を1学期、2学期を通し取材をして見えたことは、生徒たちは毎回、テーマを直視して、自分の中できちんと考えようとしている姿だった。当事者性ももちろんあるが、そうでなくてもシングルマザーのこと、野宿者のこと、日雇い労働者のことを真っ直ぐに考えようとしていた。その上で、差別を温存する社会のおかしさに、鋭く批判の目を注いでいた。
「子どもら、正味、考えてますよね。考えるってことは大事だっていうことです。うちの子たちは友達の現実を知ることで、世界を知ることができるわけです。障がいの子、不登校の子、LGBTQの子、虐待を受けている子、部落の子、外国ルーツの子、それぞれがいろいろな社会的排除の中で小学校、中学校で学習がうまくいかなかったので、もう一度やりたいと言ってここに来てる子たちでしょ。もう一度やりたいという共通項と、それぞれの当事者性とがあるので、そこでの学びはすごくカラフル。すごいなと思うのは、子どもら、めっちゃフラットで、障がいがあろうがなかろうが、あかんもんはあかんって喧嘩しますからね」
だから“学びはもっと緩く”、人生を幸せに生きるために必要なノウハウは、知識の多さにあるのではないというのが山田の持論だ。
「知識量を問うよりも、もっと大事なことが世の中にはあるので、そういうことを身につけて行く必要があるのではと僕は思います。僕の役割は、やっぱり子どもたちが元気になるように励まして行くことなんで、どこ行っても、話しますね。勉強は苦手でも、楽しいと思ってもらえるような学校作りをしないといけないと、改めて思っています」
2024年度から西成高校は、さらに進化を遂げるらしい。新しい学校づくりに携われることが本当に楽しいと山田は言う。
「これを面白く思わせてくれる、生徒や先生がいるんですよ。だから、今、楽しくて」