【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ 第五回

済州島の弾圧を逃れ、総連からは「反組織分子」として徹底的に排斥された私 在日一世の詩人・金時鐘氏に訊く②

金時鐘 × 青木理

北朝鮮体制への強い違和感

金時鐘 ええ。米軍下で、そのような過程を経て、「大韓民国」は創立しました。では、一方の北朝鮮はどうだったか。金日成(キム・イルソン、本名・金成柱)は1945年の9月19日、ソ連の貨物船でウラジオストクから元山(ウォンサン、現在は北朝鮮東岸の港湾都市)に入り、まだ30歳ちょっとという若さにみんなが驚きました。実は私の父親も元山出身で、金日成の名前は早くから知っていましたよ。金日成はすぐ臨時人民委員会(臨時政府)を立ち上げてまず実施したのがソ連軍の撤退、「親日派」の処断、そして土地改革でした。婦人参政権も認めた。これは済州島で殺戮の最中にあった私からすると、まぶしいばかりの正義の国でありました。

――そして時鐘さんは命からがら密航船で済州島を脱出し、大阪・猪飼野(いかいの)にたどり着いたわけですね。

金時鐘 日本にきたのは1949年、満20歳のときでした。その翌年の6月25日に朝鮮戦争がはじまり、実に3年も凄惨な戦闘が続いて、1953年7月27日に待望の休戦協定が成立した。私はもはや韓国には出入りできない身でしたし、北は私の本籍地があるところでもあります。4・3事件に関わったこともあって、北朝鮮には自己の思想証明のように憧れてもいました。ところが休戦協定締結後の1955年12月に朴憲永(パク・ホニョン)が処刑されてしまいます。私が心から尊敬し、私を覚醒させて南労党(南朝鮮労働党)の党員にまでさせた革命家でしたのに、あろうことか金日成に次ぐ朝鮮労働党の副委員長でもあった彼を「反党的、反祖国的行為を働いた」とかで処刑してしまうなんて!

――1920年代から政治指導者として注目されていた朴憲永は、1945年に南朝鮮労働党が結成されると副委員長になり、アメリカ軍政と激しく対峙しましたが、間もなく軍政に追われて平壌へと脱出し、1948年に北朝鮮が建国されると副首相、朝鮮労働党の副委員長に就いていました。そのあたりから時鐘さんは北の体制に対する懐疑心が生じたということですか。

金時鐘 抑えがたい疑念にとりつかれてしまいましたね。実はその前からも、もっと初歩的なところで強い違和感を感じていた私ではありました。これはニセモノじゃないかと。

――というと?

金時鐘 総聯の活動家は1960年代半ばまでも、『金日成回想録』というのを暗記するぐらい読まされていたんです。まあ、紙芝居にもならんような話の筋立てで、要するにパルチザン部隊を率いて関東軍(旧満州に駐屯して絶大な権勢を振るった旧日本陸軍の部隊)と戦った金日成将軍を崇め、たたえる教育宣伝本なわけです。衆寡敵せずしてソ連領に身を退いていた金日成はソ連軍大尉の待遇を受け、捲土重来を期しているうちに終戦になった。なぜこの事実を隠すのか? 関東軍に追われたとはいえ、それでも少数のパルチザン部隊で戦った事実こそ、むしろ誇っていい史実ではないのか!? にもかかわらず金日成将軍は「百戦錬磨の英将」として讃えなければならないように、教育される。

世襲で金日成主席のあとを継いだ金正日(キム・ジョンイル)労働党委員長の生育史も、作られたものです。白頭山(現在の中朝国境にある朝鮮半島の最高峰)頂上近くの森には金正日生誕の聖地として祠(ほこら)まで建っていて、参詣の仕組みまで作られています。

――そして1953年に創刊されていた『ヂンダレ』に時鐘さんが問題とされたエッセー「盲と蛇の押問答」を寄せたのは1957年ですか。朝鮮総聯などの権威主義、画一主義を批判して大問題になったそうですね。

金時鐘 まるで蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。以前の私は北へ帰ることが大きな夢だったんです。年老いた両親を見捨てて日本に逃げてきていましたから、親父の故郷でもある北朝鮮の元山(ウォンサン)に帰ることのが夢だった。ところが1955年、在日朝鮮人組織が北朝鮮の指導下に入るという、現在の朝鮮総聯に成り変わってからは、民族的主体性なるものを要求されて日本語の詩雑誌であった『ヂンダレ』批判がはじまりました。10年余りも一切の表現行為から逼塞(ひっそく)させられました。

(つづく*第六回は7月19日アップ)

 

 

 

「在日」を生きる

 

スノーデン 日本への警告

 

メディアは誰のものか――「本と新聞の大学」講義録

 

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【青木理 特別連載】官製ヘイトを撃つ

近隣諸国やマイノリティへの敵意を煽り、攻撃することで政治にまつわる不都合、問題から、不満をいだく民衆の目をそらさせる手法は古来、たびたび繰り返されてきた。 同時に、そうした姑息な政治的方便が、本物の憎悪(ヘイト)を生み出し歯止めがかけられなくなったとき、不条理で悲惨な弾圧や虐殺が引き起こされてきたことは歴史の常である。 これは現代日本も例外ではない。政治家、官僚、公共機関の長から一般にいたるまで。この国を蝕んでいるこの風潮の深層に、反骨のジャーナリスト青木理が切り込む。

プロフィール

金時鐘 × 青木理

 

金時鐘(キム・シジョン)
1929年釡山生まれ。詩人。元教員。戦後、済州島四・三事件で来日。日本語による詩作、批評、講演活動を行う。著書『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)で第42回大佛次郎賞受賞。『原野の詩』(立風書房)、『「在日」のはざまで』(平凡社ライブラリー)他著作多数。『金時鐘コレクション』全12巻(藤原書店)が順次刊行中。共著に佐高信との『「在日」を生きる』(集英社新書)等がある。

青木理(あおき・おさむ)
1966年長野県生まれ。ジャーナリスト。共同通信社社会部、外信部、ソウル特派員などを経て、2006年フリーに。著書に『日本会議の正体』(平凡社新書)、『安倍三代』(朝日新聞出版)、『情報隠蔽国家』(河出書房新社)、『日本の公安警察』(講談社現代新書)、共著に『スノーデン 日本への警告』『メディアは誰のものか―「本と新聞の大学」講義録』(集英社新書)等がある。

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