現代社会と向き合うためのヒーロー論 第4回

トランプ時代の「お隣のヒーロー」|『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『ジョーカー』「マトリックス」シリーズほか

河野真太郎

「客観的な事実という概念が世界から消えつつある」──ポストトゥルースとポストモダン思想

 さて、以上に対して、『ファー・フロム・ホーム』はどう応答するだろうか?
まずは、この作品は、クエンティン・ベックのフェイクを暴き、真実を突きつけるという図式を取っている。

 「客観的な事実という概念が世界から消えつつある」──これは、MJが劇中で引用する一節であるが、それは劇中でもすぐに指摘されているようにジョージ・オーウェルからの引用、より詳しくは『一九八四年』からの引用である。

 『一九八四年』といえば、トランプが大統領になった際に爆発的に売れた近未来ディストピア小説である。1949年に出版されたこの小説では、主人公の暮らす未来のイギリスと思しき国は、「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる指導者によって支配され、テレスクリーンという双方向の監視システムや思想警察によって、ビッグ・ブラザーが提示するフェイクの世界観を逸脱する者たちは粛正をされ、矯正をされる。

 上記の通り、真実などどこ吹く風のポピュリズム政治を展開したトランプとビッグ・ブラザーを重ねて、人びとは『一九八四年』を読んだのだ。

 この意味では、先のMJによる引用の含意は、ポストトゥルース的な政治が広まっているということ、そしてそれに対して「客観的な事実」を取り戻さねばならないということであり、実際映画はドローンによるホログラムをスパイダーマンが破壊することで結末を迎える。つまり、オルタナティヴ・ファクツがフェイクでしかないことを暴くのだ。

 だが、ポストトゥルースに対して「客観的な事実」をぶつけるだけでいいのだろうか。ポストトゥルースが、虚偽を真実として提示するだけでなく、虚偽/真実という対立構造そのものをぐずぐずにしてしまうとすれば、ポストトゥルースはある意味で「無敵の論理」である。

 なぜならば、トランプがメディア報道をフェイクだと吠え、オルタナティヴ・ファクツを真実として提示し、支持者たちが「自分たちが信じたいことこそが真実である」という論理に居直る時に、「客観的真実」を提示することにはなんの力もないであろうからだ。それには「フェイク」という言葉が投げられて終わりだろう。

 なぜそんなことになってしまったのだろうか。これにはそれなりに長い歴史がある。ミチコ・カクタニ(『真実の終わり』)やリー・マッキンタイア(『ポストトゥルース』)は、それぞれにポストトゥルースを「ポストモダン思想」と結びつけている。ポストモダン思想は、長く取れば1960年代以降の西洋において主流となった思想で、それは西洋近代のさまざまな基礎を疑っていく思想だった。

 ポストモダン思想は、西洋化こそ進歩であるといった近代主義を批判し、そのような歴史観を「大きな物語」として退けた。とりわけこの文脈で重要なのは、虚偽/真実の二項対立もまた退けられたということである。ポストモダン思想によれば、「真実」は権力によって作りあげられた幻想である。

 カクタニやマッキンタイアは、ポストモダン思想によるこの「真実」の拒絶が、現代のポストトゥルースを生んだと考える。だが二人の議論は、ポストモダン思想の重要な意義を見失ってしまっている。ポストモダン思想が主張したのは、真実は作り物だから何でも真実になり得るということではない。そうではなく、真実が生産される時には何らかの権力が作用しているのであり、私たちはいかにして真実が生産されているかを客観的に見定める力を身につけなければいけないということであった。その意味でポストモダン思想は重要な解放思想であったし、今もそうあり得る。

 だが一方で、そのような解放思想が、右派ポピュリズムによる簒奪(さんだつ)を受けてきたことも確かだ。その重要な分水嶺を物語るのは、『マトリックス』(1999年)である。

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現代社会と向き合うためのヒーロー論

MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。

プロフィール

河野真太郎

(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。

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トランプ時代の「お隣のヒーロー」|『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『ジョーカー』「マトリックス」シリーズほか