現代社会と向き合うためのヒーロー論 第4回

トランプ時代の「お隣のヒーロー」|『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『ジョーカー』「マトリックス」シリーズほか

河野真太郎

ポストトゥルースと「スパイダーマン」シリーズ

 つまり、前回述べたような「アイアンマン」シリーズの時代認識はすでに過去のものとなってしまったように見えるのだ。新しい資本主義と西海岸的なリベラリズムを、トランプ主義は否定した。そのような時代に、ヒーローもの、とりわけマーベル映画は、どのように応答しているのだろうか?

 「スパイダーマン」シリーズの、とりわけ最新作2作はそのような疑問への答えとなっている。ここで論じたいのは、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』(2019年)(以下『ファー・フロム・ホーム』)と『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)(以下『ノー・ウェイ・ホーム』)である。

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 2000年以降に限定すると、「スパイダーマン」シリーズは3つのシリーズにわたって映画化されている。まずはサム・ライミ監督による『スパイダーマン』(2002年)から『スパイダーマン3』(2007年)までの「スパイダーマン」三部作、そして二作で打ち切られてしまった、マーク・ウェブ監督の「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ(2012年・2014年)である。

 そして、最新シリーズとなるのが、ジョン・ワッツ監督による三部作で、その第一作は『スパイダーマン:ホームカミング』(2017年)(以下『ホームカミング』)だ。ピーター・パーカー役にトム・ホランド、MJ役にゼンデイヤを抜擢した新シリーズの一作目には、正直なところそれほど語るべきことは多くない(この後論じる二作に向けては、スパイダーマン=ピーター・パーカーとアイアンマン=トニー・スタークとの間の擬似的父子関係が重要ではある)。しかし二作目の『ファー・フロム・ホーム』と三作目の『ノー・ウェイ・ホーム』は、ここまで述べたポストトゥルース時代を色濃く反映した作品となっており、衝撃的であった。

『ファー・フロム・ホーム』の主題としてのフェイク

 『ファー・フロム・ホーム』のあらすじは以下の通り。『アベンジャーズ/エンドゲーム』でアイアンマンが命と引き換えに世界の半数の人びとの命を守ってから八ヶ月。スパイダーマンことピーター・パーカーは、高校の旅行でヨーロッパを訪問し、ヴェニスで買ったアクセサリーをエッフェル塔でMJにプレゼントして告白をしたいと夢見ている。しかし、滞在先のヴェニスでは水の巨人が現れ、街は混乱に陥る。そこに、空を飛んで緑色の光線で戦うクエンティン・ベック(通称ミステリオ)が現れ、彼の活躍で巨人は倒される。

 ベックは、自分はエレメンタルズと呼ばれる巨人たちによって破滅した平行宇宙の別の地球のスーパーヒーローだと告げる。一方で、故トニー・スタークから、人工知能イーディスを制御するインターフェイスであるメガネを遺贈されていたピーターは、その後の火のエレメンタルズとの戦いの後、ベックこそがトニーの後継者であると確信して彼にイーディスを譲る。

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 しかしここで、ベックは偽物のヒーローであることが明らかになる。彼はかつてスターク・インダストリーズを解雇された技術者であり、同じく解雇された技術者たちと共謀して、ドローンとホログラム技術によってエレメンタルズやミステリオを演出していたのだ。ベックの目的はほかならぬイーディスと、イーディスがコントロールできるドローン群であった。ベックは自分たちの秘密に気づいたMJたちを殺害するためにロンドンに向かい、全てのエレメンタルズが合体した巨人という設定のホログラムを出現させる。

 もちろんスパイダーマンはベックを倒すことになるのだが、最後の場面で、この陰謀はすべてスパイダーマンのものであると宣言し、スパイダーマンがベックを残虐する様子を見せるフェイク動画が放映され、ピーターがスパイダーマンであることが全世界に明らかにされる。

 以上のあらすじだけでも、この作品がいかにポストトゥルースの時代を意識したものであるかが分かっていただけるだろうか。

 まず、確認したように、トニー・スタークは『ホームカミング』と『ファー・フロム・ホーム』の間で死んでいる。新たな資本主義を象徴する父の死が、『ファー・フロム・ホーム』の出発点なのだ。そして、トニーという父を失い、自分にその地位を引き継ぐ能力がないと悩むピーターは、ベックに新たな「父」を求める。

 そのベックはこれまでにないヴィランである。彼は普通の人間だ。だが、ドローンとホログラムの技術を駆使して別の現実(オルタナティヴ・ファクツ)を創り出し、スパイダーマンを翻弄する。ベックの今際の際に放った言葉「人びとは最近は何でも信じるからな」(原文から河野が翻訳)は、この映画がポストトゥールスの社会を意識したものであることを物語る。

 だとすれば、ベックたちは何者だろうか? 彼らはスターク・インダストリーズを解雇され、その恨みからこのような犯行に及ぶ。その限りにおいて、彼らはまさに、「アイアンマン」シリーズが表現した新たな資本主義、スマートなテクノロジーによる西海岸的資本主義からの落伍者なのであり、そのような資本主義の影に苦しむトランプ支持者たちだと言うことができる。

 しかしそこには曖昧性もあることを強調せねばならない。彼らがポストトゥルース的なトランプ主義者となったことは、他に選択肢のない必然であったとは言えないのだ。ここで、ここまでの議論ではスキップした、最近のアメリカ史上の重要な出来事に思いをはせる必要がある。

 それは「ウォール街を占拠せよ」運動だ。2008年のリーマン・ショックと、それに対して「潰すには大きすぎる(トゥー・ビッグ・トゥー・フェイル)」大手銀行を救済する政府の対応に不満を募らせた人びとは、2011年に金融資本主義の象徴たるウォール街での座り込み運動を実行した。デモに参加した人びとは、アメリカで上位1%の人びとに富が集中している現状を批判し「私たちは99%だ」をスローガンにして金融権力に否をつきつけた(このスローガンを考案したのは、最近は「ブルシット・ジョブ」で有名な故デヴィッド・グレーバーであった)。

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現代社会と向き合うためのヒーロー論

MCU、DC映画、ウルトラマン、仮面ライダーetc. ヒーローは流行り続け、ポップカルチャーの中心を担っている。だがポストフェミニズムである現在、ヒーローたちは奇妙な屈折なしでは存在を許されなくなった。そんなヒーローたちの現代の在り方を検討し、「ヒーローとは何か」を解明する。

プロフィール

河野真太郎

(こうの しんたろう)
1974年、山口県生まれ。専修大学国際コミュニケーション学部教授。専門はイギリス文学・文化および新自由主義の文化・社会。著書に『新しい声を聞くぼくたち』(講談社, 2022年)、『戦う姫、働く少女』(堀之内出版, 2017年)、翻訳にウェンディ・ブラウン著『新自由主義の廃墟で:真実の終わりと民主主義の未来』(みすず書房, 2022年)などがある。

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トランプ時代の「お隣のヒーロー」|『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『ジョーカー』「マトリックス」シリーズほか