百田尚樹をぜんぶ読む 第2回

百田尚樹の三つの顔──小説家/保守思想家/メディアイベンター

藤田直哉×杉田俊介

藤田 まず一つ目の顔としては、堅実なエンターテインメント作家としての百田尚樹がいます。

 二つ目の顔としては、大きな影響力をもった保守思想家です。しかし保守思想家としての彼の発言は、陳腐で凡庸なものでしかありません。一九八〇年代にすでに雑誌「諸君!」や「正論」が主張していた論調を、現在の文脈でそのままくりかえしているだけ。保守思想家としてはじつに古臭いし、特にオリジナリティも感じられません。

 そして彼には三つ目の顔がある。それはメディアイベントの仕掛け人としての顔ですね。テレビの放送作家を長年仕事にしていた、というだけではありません。アテンションを起こす発言を行って頻繁に炎上を起こしたり、ツイッターなどを使ってネット上でバトルをしたり、人々の感情をうまく煽って注目を集める、という技術にもともと長けた人である、と思うんです。

Netfalls / PIXTA(ピクスタ)

 

 それらの三つの顔がどのように絡み合っていて、どのような関係になっているのか。それを分析することが、百田尚樹の作品を読んでいく上では、大事なのではないか。僕はその中でも特に、三つ目の「メディアイベンターとしての百田尚樹」がもっとも重要だと考えています。その点を抜きにして、百田尚樹を論じることはできません。

ポストトゥルースとの親和性

 百田尚樹は、現実とフィクションの領域を曖昧に混ぜ合わせるような作品を書いてきました。というより、身をもってそうした状況を生きてきた。炎上を起こして注目を集めてバトルを見世物にし、そうした自らの振舞いをも「作品」と化していく。そういう小説家だと思います。

しかも、そうした百田尚樹の言動や存在のあり方が、今の僕らが生きているフェイクニュースが蔓延し、何が真実であるのかは分かりにくく事実や真実が世論に影響力を持ちにくくなる「ポストトゥルース」と呼ばれる現状と、完全にフィットし、シンクロしてしまっている。個人的に一番関心を持っているのはここです。

 百田尚樹はたとえば、橋下徹(政治家、弁護士、タレント)とも仲がいいですよね。

杉田 そうですね。百田はたとえば「さらば!売国民主党政権」(「WiLL」二〇一二年九月号)では、安倍晋三と橋下徹の二人に期待する、と書いています。それを読むと、その当時は安倍さんよりもむしろ、橋下氏の方にあるべき政治家としての理想を見ていたふしもある。

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ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。

関連書籍

非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か

プロフィール

藤田直哉×杉田俊介

 

藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。

 

杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。

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百田尚樹の三つの顔──小説家/保守思想家/メディアイベンター