ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家と文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。
杉田 今回、藤田さんにも百田尚樹の全作品を読んでいただいたわけですが、率直なところ、どうでしたか?
藤田 ツイッターで見るイメージよりは、好感が持てました(笑)。悪いところだけ切り取られているという本人の主張も、まぁそうなんだろうなと感じました。
百田尚樹は平成で一番売れた文庫本であると言われる『永遠の0』の著者ですが、それを映画化した監督の山崎貴は、二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式の「4式典総合プランニングチーム」のメンバーであり、その演出を担当するわけですね。
幾つもの顔がある人
両者とも、日本という国のナショナルイメージやアイデンティティに関わるフィクションを、国政となんらかの関係を持ちながら提示している作家だと感じています。山崎貴は『ALWAYS 三丁目の夕日』(二〇〇五年)という大ヒットした映画の監督でもあります。つまり、フィクションやエンターテインメントを使って、日本人や日本国家の美しいイメージを作り上げてきた人です。
近年でいえば、たとえば他にも『シン・ゴジラ』(二〇一六年)など、フィクションと現実の政治が入り混じるような作品がさまざまに出てきていて、百田尚樹もそういうタイプの現代的な作家の重要な一人である、と考えています。
とはいえそれは、百田尚樹が首相である安倍晋三との対談本『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』(二〇一三年、ワック)を刊行しているとか、あるいは作家の石田衣良さんが朝日新聞で書いていたように(二〇一三年六月一八日「売れてるエンタメ小説 愛国心くすぐる」)、『永遠の0』が「右傾エンタメ」であるとか、そういうことだけが理由ではありません。
百田尚樹はネトウヨであり差別主義者である、という一般的なイメージに当てはまる部分は、確かにある。実際に、対談本やエッセイの中では、南京大虐殺や「慰安婦」問題はでっち上げだと言ったり、韓国や中国に対する偏見や差別を煽ったりしています。ただ、彼の小説作品を読むと、それとはちょっと違う印象も確かにあります。
おそらく、百田尚樹とは、幾つもの顔がある人なんです。
杉田 うん、そうですね。
ベストセラー作家にして敏腕放送作家。そして「保守」論客。作品が、発言が、そしてその存在が、これ程までメディアを賑わせた人物がかつて存在しただろうか。「憂国の士」と担ぎ上げる者、排外主義者として蛇蝎の如く嫌う者、そして大多数の「何となく」その存在に触れた人々……。百田尚樹とは、何者か。しかしながら、その重要な手がかりであるはずの著作が論じられる機会、いわば「批評」される機会は思いのほか稀であった。気鋭の批評家、文芸評論家が全作品を徹底的に論じる。
プロフィール
藤田直哉
1983年生まれ。批評家。日本映画大学専任講師。東京工業大学社会理工学研究科価値システム専攻修了。博士(学術)。著書に『娯楽としての炎上』(南雲堂)、『虚構内存在:筒井康隆と〈新しい《生》の次元〉』、『シン・ゴジラ論』(いずれも作品社)、『新世紀ゾンビ論』(筑摩書房)などがある。朝日新聞で「ネット方面見聞録」連載中。文化と、科学と、インターネットと、政治とをクロスさせた論評が持ち味。
杉田俊介
1975年生まれ。批評家。自らのフリーター経験をもとに『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)を刊行するなど、ロスジェネ論壇に関わった。20代後半より10年ほど障害者支援に従事。著書に『非モテの品格 男にとって「弱さ」とは何か』(集英社新書)、『無能力批評』(大月書店)、『長渕剛論』『宇多田ヒカル論』(いずれも毎日新聞出版)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(いずれも作品社)、『安彦良和の戦争と平和』(中公新書ラクレ)など。