M-1からの逃れ方
この連載では、すべての芸人がM-1の磁場から逃れられないということを、その歴史と現在を振り返りながら明らかにしてきた。ここで趣を変えて「いっちょあがりおじさん」に登場してもらうことにしよう。
その前に「いっちょあがりおじさん」とはなんなのか。それを説明するためには、まずは中堅から天下までの道のりを振り返る必要がある。
M-1をはじめとした賞レースで「若手」として頭角を表し、その後は「中堅」として新たなる天下を目指す……というのが現在のお笑い芸人のメインストリームであるということはここまで見てきた通りだ。では、その先には何があるのか。
松本人志と有吉弘行
ひとつには松本人志氏や有吉弘行氏のように、誰がどう見てもわかる「天下」を獲ることであろう。「ベテラン」「レジェンド」などと表現されることが多いが、彼らの特徴は、なんといっても「現役であること」だ。常に価値観をアップデートしながら、どの時代もトップランナーとして多くの人を魅了し続けている。
松本氏はこの賞レース全盛の時代に、常にそれらにコミットし続ける大いなる権威の象徴である。彼に評価をされたい――もう少しビジネスライクに言うならば、彼からの講評とフィードバックがほしいというのがエントリーの動機である漫才師、コント師も多いことだろう。名実ともに彼は漫才の神であり、コントの王様であり、お笑い界の党首である。そのことを「不健全」だと声をあげる中田敦彦氏のような存在が出てくることも織り込みつつ、時折葛藤を見せながらも活動を続けている松本の姿に、心惹かれるファンは多い。
一方で有吉氏は、賞レースやネタでのブレイクスルーを経ないで権威を獲得した。「進め!電波少年」でのヒッチハイクの旅企画でブレイクする前に、オール巨人から破門を言い渡されたのは、まるでネタ師ではなく、テレビスターとして天下をとることを予言していたかのようだ。
有吉氏の凄いところは、一発屋ならぬ二発屋から天下を取った点だ。彼は猿岩石としてデビューしてから『進め!電波少年』でテレビタレントとしてブレイクしたのち、ブームが去ると仕事が激減。その「一発屋」キャラをフリにしつつも、彼は奇跡的に、いや、策略的に「毒舌キャラ」として二回目のブレイクを果たしてから、冠番組をいくつも持つスタートして、その地位は確固たるものとなった。もちろん、再ブレイクのきっかけになった『内村プロデュース』内で披露していた「キャッツ」の即興パロディネタ「猫男爵」などで芸人としてのおもしろさが再発見されたことも大きいが、多くの人はその再チャレンジ感、這い上がる様子に惹かれていった。
有吉氏は、かわいらしくフレッシュな若手芸人がバラエティから発見されてブレイクというキラキラしたシンデレラストーリーにくわえ挫折やくすぶり自体があったことで、その再ブレイク自体がドラマになり、1回目のブレイクより強烈なインパクトを残したことで、今の確固たる地位を掴む足がかりになったのである。
芸人ではないが、有吉氏と同じく太田プロ所属の指原莉乃氏のブレイクの物語にも似たものを読み取ることができる。彼女はスキャンダルによってHKT48へ異動を命じられたが、そこからの巻き返しのストーリー、マネジメント能力やリーダーシップの発揮、総選挙1位への返り咲きを経て、2010年代を代表する国民的なタレントとなったことは記憶に新しいだろう。
また、「何度もブレイク」という切り口で忘れてはならないのは、中田敦彦、およびオリエンタルラジオだ。「武勇伝」のネタで一発屋として終わるかと思いきや、藤森氏の「チャラ男キャラ」で持ち直し、その後は「パーフェクトヒューマン」や「YouTube大学」をはじめとして、あの手この手で人々を動かし続けている。
このように何度も這い上がってくる様は大衆の心をつかみやすいが、同時に常に最前線で結果や数字を求められる「現役」のプレイヤーであり続ける必要がある。
松本氏のようにお笑いの世界の「権威」であることも、有吉氏のようにテレビの世界で「ドラマ」を魅せることも、あるいは中田氏のようにさまざまな手段でインプレッションを集めることも、すべて「降りられない」宿命にある。
いっちょあがりおじさん
そうした「天下」のモデルより、芸人たちの憧れの的になっているのは、人生を楽しむ方向にシフトチェンジした人々だ。少々失礼な言い方をすると、彼らは売れに売れて天下を獲ったのち、現役を退いて趣味人として人生をエンジョイしている。たとえば画家として個展などを定期的に開催しているとんねるず木梨憲武氏や、世田谷ガレージの所ジョージ氏、DIYで有名なヒロミ氏、元々文化人的な活動をしていたタモリ氏などが挙げられる。
彼らこそが「いっちょあがりおじさん」である。この言葉は、M-1にラストイヤーまで挑み、今も劇場やバラエティ番組で活躍を見せている「現役世代」の見取り図が、配信やラジオなどで敬意を込めて木梨憲武氏や所ジョージ氏のスタンスを「いっちょあがり」と表現していたことから取っている。今回はその「いっちょあがりおじさん」たちと、彼らを取り巻く状況や構造などを少々整理してみたいと思う。
ネットで活躍する天下人たち
彼らと似たようなモデルとして、主な活動の場をテレビからYouTubeに移した石橋貴明氏や江頭2:50氏などが挙げられるだろう。彼らが主戦場にしていたテレビバラエティの延長的な企画を行っているという特性から、「いっちょあがり」と表現するには現役感が強いように思える。しかし、テレビスターだった時代のものを反復することで、ある種のノスタルジーと意図しない新鮮さが支持されるということは「あがり」の芸人にしかできないことであろう。
視聴者はコンプライアンス意識が強くなった現在のテレビでは難しい、往年の企画を彼らがYouTubeで展開することを期待し、その期待通りの刺激に喜びを覚えている。あるいは、現在のテレビのコンプライアンスに配慮されつくした企画しか見たことのない若者たちにとっては、むちゃくちゃに暴れる彼らの様子は新鮮に映ることだろう。一方、中堅以降、バラエティーやお笑い活動からのキャリアチェンジをする人も多い。たとえば田村淳は「脱・芸人」を宣言し、文化人系の活動に重きを置いている。とはいえテレビ、Webを問わずリアルタイム性が高い言論活動を行っており、決していっちょあがりということはなくバリバリの現役である。
彼らの特徴は、YouTubeなどの自分のメディアのみならず、Abemaなどのネット番組にも出演し、テレビとは区別化した活動を行っていることだろう。そして作り手側にもその意識はあり、「コンプラ的にテレビではできない」というところに重きを置くことが多い。
そのような、Abemaの番組やYouTubeの企画は、刺激的かつ視聴者の批判を煽るような露悪的なで「燃えやすい」演出や発言により、賛否両論の議論を巻き起こす。しかし、それはインプレッションや再生回数を増やすために意図された炎上であり、ネットを主戦場に移動したテレビスターはその一端を担うような存在としてキャスティングされる。彼らはテレビバラエティで求められたのと同じように、番組をそつなく面白く回しつつ、必要な部分で露悪的に振る舞う、という役割を果たしているのである。
いっちょあがりおじさんという希望
売れ切ったためバラエティのロジックをネット上にもってきている人や、戦略的にネットでの活動にシフトした人たちとは異なり、主戦場をネットとせざるを得なくなった人たちもいる。それは、不祥事でテレビ露出が極端に減ってしまったり、あるいは単純にブレイクが終わった人々だ。彼らは大きくは生活のためにYouTubeでの展開を主軸とする。
たとえば不祥事から所属事務所を辞めてYouTuberとなった宮迫博之氏、あるいは事務所に所属してはいるが、不祥事から地上波オファーが減っていると予測されている徳井義実氏、俗にいう一発屋から二発目のムーブメントを起こすには至らなかったヒロシ氏など、いい意味で前線を退いたからこそ趣味を極め、プロとしての趣味人となっている例もある。
また、大阪のベテラン漫才師のように、生涯現役漫才師として最期までステージに立つ「師匠」という存在もいる。ざっと整理しただけでも、中堅後のキャリアのパターンは百人百様だ。
いろいろなキャリア、あるいは人生がある中で、平成ノブシコブシ徳井氏が言及しているような「無理してテレビで売れたくない」という昨今の一部の若手~中堅が抱いている考えは、いっちょあがりおじさんへの憧れと関連しているように思う。仕事はそこそこ(のように見える)、緊張しない振る舞いで趣味に生きる彼らの生活は、まぎれもなく理想であるからだ。お笑いそのもののみならず、いっちょあがりおじさんへの憧れや、あるいはスペシャリスト的なスキルへの信頼から、お笑い以外の強味を身に着けるものも多い。それは生存戦略でありながらも、心から好きでたまらないことも多くあるだろう。そういった専門知識は、YouTubeやSNS、専門書などのワンイシューな押し出しと相性がよく、結果的に身を助けることにもなる。たとえば先述のヒロシ氏や徳井義実氏のアウトドア、元コマンダンテの石井ブレンド氏のコーヒーや元ジューシーズ松橋氏の「家事えもん」、マシンガンズ滝沢氏の清掃知識、かじがや卓哉の「iPhone芸人」としての活躍など、ライフスタイル方面での専門知識を持つことは、窮地に立たされた際にも大きな強みとなる。アメトーークの「○○芸人」的な縛りよりももっと血肉になるような武器だ。
お笑い一本で生きていくこと、天下を目指し王道を歩むことは、非常にカッコイイことだろう。しかしそれ以上に、あらゆることを犠牲にしなくてはならない。賞レース世代の若手は、そのキャリアの早い段階で「自分が信じている漫才やネタでは勝てない」「自分たちがやりたいネタではなく、審査員に寄せた競技漫才をしなくてはいけない」という壁にぶち当たる。そこから過剰な自我はどうしても削ったほうがいいという結論に至り、M-1に合わせたネタに寄せていくことでもともとの個性を消してしまう。いわゆる、「競技漫才の罠」にはまっていくのである。
こういった葛藤を繰り返しM-1を卒業したあとも、現役として活動し続ける以上は、最前線で魂を売り、時代と添い遂げ露悪的に振る舞いながら、お笑い界という狭い世界の掟を守ることに命を燃やす日々を過ごすことになる。今ではテレビ、ラジオ、YouTubeなど、あらゆるメディアでの言動はネットニュースやSNSでシェアされ、意図しないところでの論争や炎上も避けられなくなっている。
お笑いウオッチャーの誹謗中傷をなんともない顔で受け流し、数字に跪くことが果たしてやりたかったことなのだろうか―。
こうして多くの芸人が一度は自己表現と求められていること、あるいは賞レースの順位や仕事としての結果との乖離に悩まされる。そもそも、自分がいいと思えない自分でやっていくことが正解なのだろうか? サラリーマンならまだしも、わざわざ芸人になってまで大きなものに寄りかかるという保守的な生き方は正しいのだろうか? 尽きない悩みの中で、「いつかああなれたら」という理想として、いっちょあがりおじさんは存在する。彼らは、直接の交流がなくとも、あるひとつの希望として現役世代の芸人を照らし続けているのである。
現役世代の延長
しかしながら昨今の賞レース、およびお笑いの現役世代は、日本社会全体と同じく高齢化している。結成年数で出場制限をかけるM-1のような大会の場合、論理上何歳でも出場できるためだ。特に2021年の錦鯉の優勝は中高年に希望を与え、そして現役世代を大幅に拡張させた。しかしこれでは、憧れのいっちょあがりはますます遠ざかっていってしまう。
現役世代の延長のきっかけは、M-1に出場できないベテラン芸人たちを対象とした、THE SECONDが2023年から始まったことも無視できないだろう。この賞レースにおいては、出場した多くの芸人が地上波のテレビ番組で「いぶし銀の魅力」を発揮し、優勝したギャロップのみならず、マシンガンズや囲碁将棋といった芸人の魅力がコアなお笑いファン以外にも共有されることになった。しかし、いぶし銀の魅力を発見されるのは、THE SECONDに出場できるネタを作れるくらいには「現役であること」が前提になる。たしかに、M-1を卒業した芸人を対象にした賞レースができたことにより「いっちょあがらなくても、おじさん芸人の魅力が多くの観客に伝わるようになった」とも言えるが、また別の言い方をすると、何年経っても戦い続けなければならないという業を正式に背負ったということである。M-1ほど競技漫才化しておらず、まだ1度しか開催していないとはいえ、「THE SECONDらしい漫才」というものはなんとなく共通認識として植え付けられたのではないだろうか。この共通認識が強まっていけば明確な基準となり、さらに競技化していくことだろう。
(次回へ続く)
いまや漫才の大会としてのみならず、年末の恒例行事として人気を博しているM-1グランプリ。いまやその人気は「国民的」とも言える。なぜあらゆるお笑いのジャンルのなかで、M-1だけがそのような地位を確立できたのか。長年、ファンとしてお笑いの現場を見続けてきた評論作家が迫る。
プロフィール
てじょうもえ
評論作家。広島県尾道市生まれ。『カレーの愛し方、殺し方』(彩流社、2016年)で商業デビュー。『平成男子論』(彩流社、2019年)のほか、『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後。』『2020年代お笑いプロローグ 優しい笑いと傷つけるものの正体』『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』『お笑いオタクが行く! 大阪異常遠征記』『上京前夜、漫才を溺愛する』など多くの同人誌を発行している。