12時になってしまった。もうパーティーは終わりだ。パーティーどころか、この世界はもともとなかったんだ。夢の洲は全部、幻だった――。
感傷的になっても仕方がないのはわかっている。松本人志氏にまつわる一連の報道で思い知らされたのは、結局のところ自分が信じていたもの、すなわちお笑い、さらには日本の文化というものがパワハラそのもののことを指しているのかもしれないという可能性だった。そのことに思い至った時、足元がガラガラと崩れ去るような気持ちになり、文字通り立っていられなくなった。
いや、実際にはそんなはずはない。問題は文化そのものではなく、単なるコミュニティの話でしかないはずだ……と、わかっているのに日々大きくなる炎の中で燃えているのは、私(たち)の青春と幸せだった思い出のように思えてくる。
被害者のいる行為を肯定はできない。しかしながら行き過ぎたキャンセルカルチャーと正義感も怖い。キャンセルされたさまざまなものにタイムリミット、すなわち「12時」がきた。ジャニーズに、宝塚に、テレビドラマに。そしてお笑いに。おそらくこれからは、他の文化にも夢の終わりが訪れることだろう。それぞれの象徴的な存在の炎上とともに、あらゆるものが終わっていく。
この松本人志報道以降の3ヶ月弱、一部で噴出した「そもそも松本人志がお笑いの象徴であるならば、お笑いを好きであることは加害的だ」という論調により、お笑いファンも加害者のレッテルを貼られていった。そしてこの流れはあらゆるところにも波及していき、2024年3月現在、事態は日々混沌を極めている。いまや「松本人志」という固有名自体が、SNS上で単に分断を煽るためのツールとして利用されることもあり、インターネット上の議論は本筋からはすでに大きく外れている。趣旨がズレたまま加速する言葉の濁流の中で溢れてくるのは、そもそも松本人志は権威の象徴だったのか? そしてツールをもたない時代にどう声を上げるべきだったのか?などのさまざまな疑問だ。
まだ裁判での結論も出ていない進行中の問題であるため、この記事を書くこともおそらく適切ではないだろう。しかし、結論が出る前に整理しておいたほうがいいこともあるはずだ。
順を追って考えてみることにする。
お笑いの世界において、松本人志に権力が集中しすぎているという批判はかねてからなされていた。そうした状況を揶揄して「松本天皇」という言葉まで生まれていたほどである。しかし、そもそも本当に松本は「松本天皇」であったのか。この認識については、それぞれのお笑い観や思想に大きく左右されることだろう。1989年生まれの私自身、実は別に彼のファンというわけではない。ただ、平成初期からの彼のカリスマ性は、我々よりも少し上の世代の信仰深さを見るにただならぬものを感じていた。私個人としては吉本、特に大阪吉本のファンであるがゆえに、彼の影響下にある人が多かったことはよく知っている。賞レースなどのかかわりを考えても、彼が権威となっていることは事実であろう。
一つ個人的な幸せな思い出について触れてみる。あれは「すべらない話」のDVD特典の「すべりしらずお守り」を受験のお守りとしてほしくて、地元唯一のTSUTAYAに予約をして取りに行ったときのことだ。学校帰りに母親の車でTSUTAYAに行き、レジで受け取った時のあの高揚感は今でも思い出す。「すべらない話」で展開されるトークは、まだ見ぬ大人の世界の話だった。この先の未来はきっとすべらないことで満ち溢れているはずだと、あの頃の私は根拠のない希望に包まれていた。
こんなふうにそれぞれの心の中に、それぞれの時代のそれぞれの松本人志がいることだろう。そのノスタルジーに掻き立てられ、青春時代に助けられた人を取り巻く現状が耐えられなくて、残念なことに誰かを誹謗中傷したり、過激な言説に走る者も多く見受けられる。彼らは「松信(=松本信者)」として女性を叩き続けたり、批判めいた意見を言った人たちの過去を漁る。
しかしながら今、分断している場合ではない。連帯も必要ないかもしれないが、過剰な分断は本質を霞ませる。今、12時が来る前に行うべきことの一つは、冷静な松本人志論なのではないか。今度こそ松本人志について考えることができる、最後のチャンスなのかもしれない。私にとって初めての松本人志についての言及がこのような形となるのはなんとも皮肉なことであるが、ようやく語ることができる喜びもある。
松本人志を語るということ
松本人志は優れたコンテンツフォーマットや企画の立案者とされている。「ガキの使い」や「すべらない話」「ドキュメンタル」「IPPONグランプリ」など枚挙にいとまがないが、いずれの企画もキャッチーで非常に見ごたえがあり、フォーマットとしても汎用性のあるようなものばかりであった。
ある意味では裏方的でありながら、チェアマンやMCとしてその場を仕切る象徴としても機能していた。非常に働き者である。近年の松本人志ウオッチャーにとっては、このあたりの印象が強いのではないだろうか。
ここではテレビ番組の放送作家的な実務的な仕事のほかに、松本を語る時に言及されがちな切り口をピックアップしてみた。
①評論を誘発する存在としての松本人志
②NSC1期生としての松本人志
③権威の象徴としての松本人志
大きく挙げてこのような感じだろうか。順を追って見てみよう。
①評論を誘発する存在としての松本人志
長らく、評論の世界でお笑いを扱うときに「評論に値するのは松本人志だけ」というムードがあった。その理由は「松本のコントがシュールで高尚に見えるから」、あるいは「松本のお笑い論は言葉足らずがゆえに神秘的であったから」、などの理由が挙げられるだろう。言葉での説明が足りていない場合、人はそこに真意を読み解こうとする。ダウンタウンとしてのコンビ活動、特にトークの場合は浜田雅功のツッコミによりある程度の理解の筋道が与えられるのだが、「ダウンタウンのごっつええ感じ」「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」などのコント、あるいは「一人ごっつ」や映画などの個人の活動においてはわかりやすい補助線が引かれていない。彼の仕事の中でも特に作家性、作品性の高いものは、明らかに評論を期待している作りになっている。
コントにおけるシュールさというと現在では、キングオブコント決勝の常連である関西出身のコント師、ニッポンの社長やロングコートダディをはじめとした、いわゆる「大阪コント」の代名詞になっているが、そのベースにあるのはダウンタウンや松本のコントである。
松本人志のコントは心情描写も優れているが、、松本自身がダウナーで多くを語らないからこそのものだ。その悲哀とシュール入り混じった雰囲気から醸し出される趣や余韻は、人々を魅了し、さまざまな評論を誘発する。(その真逆に位置するのが、すべてを言語化することによって「屁理屈骸骨」と呼ばれる千原ジュニアである)。彼のコンテンツや姿勢、思想を人は「天才」と呼び、評論が加速していったのだった。もちろんダウンタウンのコンビとしての活動も強烈であった。バラエティ企画や二人でのトークは「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」に代表されるだろうが、その振る舞い自体が大きな影響力をもっていった。
東西を問わず後発の芸人はダウンタウンの影響下にあり、そして芸人のみならず、特に50代以下の人々が松本人志の影響下にある。
2023年4月19日に放送された「水曜日のダウンタウン」内で発表された「日本人知名度ランキング2023」によると、松本人志が知名度92.1%で9位、浜田雅功が91.1%で[1] 13位と総合的には抜群の知名度を誇ったが、60代以上の知名度は極端に低かった。知っている=ファンということではないが、この結果は50代以下の世代へのダウンタウンの影響力の大きさを示しているひとつの根拠となるだろう。
くわえて、M-1グランプリ2023について東野幸治が「松本さんの影響下にもうない感じ」(『東野幸治のホンモノラジオ』ABCラジオ)と表現していたことも見逃せない。この発言が示しているのは、ダウンタウン以降にお笑いを(特に吉本で)志した人々にとっては、ほとんどが松本人志の影響を受けていることが共通の理解であったということを示しているからだ。まさにM-1の審査員紹介における松本人志のキャッチフレーズ「漫才の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」は、ダウンタウンという存在そのものが、お笑い界におけるパラダイムシフトであったことを表している。
60代以上にダウンタウンの知名度が低いこと、そして東野氏が言及したM-1グランプリ2023のファイナリストの中心世代は20代~30代であること(ファイナリストの平均年齢は約35歳(当時))を総合して考えると、松本人志の影響を特に色濃く受けているのは30代後半から60代未満の層ということでおおむね間違いないだろう。
また、ダウンタウンはその活動の当初から多くの女性ファンを生んだ。「松ちゃん」と「浜ちゃん」のかけあいは女性ファンの萌えるところとなり、80年代よりもさらに女性ファンの存在を浮き上がらせた。時代背景的にミソジニー的な弄りや今ではぎょっとするようなことも言われていた女性ファンだったが、男性ファンと同様に同じ時代を生きてきた立派な松本信者であるだろう。30代後半~50代の男女にとっては、松本人志とは強烈な存在感で共に歳を重ねてきた大切な存在である。女性ファンの中には松本の著書『遺書』にあった「女性には芸人は無理」などの言及を真に受けることこそが、敬虔な松本信者としてのあり方だと思い込み、芸人を志すことをしなかった人もいるだろう(私も例外ではなく、芸人を志さないことで、松本人志の思想を体現できていると思い込んでいた)。
このように男女どちらにとっても、松本人志がおもしろいと言ったことがおもしろくて、おもしろくないと言ったものはおもしろくないのだというムードは、ある時期……いや、2023年年末まではお笑い界、あるいは世間を覆っていたことだろう。
松本人志については、現在の推しカルチャーを当てはめることは難しく、ファンというか信者というか、その思想までまるごと敬愛するという熱狂があった。よくもこんなに多くの人々が松本人志のコンテンツを評論しようとしているなという印象だ。しかも無料で楽しめるテレビバラエティだけではなく、「HITOSI MATUMOTO VISUALBUM」などのソフト、「寸止め海峡(仮題)」などのコントライブ(およびソフト)など、お金を落とし、リテラシーを身に着け、みなが松本評論に熱狂しているのは、コンテンツが無料で推しカルチャーに興じることを推奨される現代ではあまり考えられないことだろう。
90年代、ゼロ年代が2020年代に比べてコンプライアンスに厳しくない時代であることはもちろんであるが、だからといって手放しで問題がないと思われていたわけではない。前述の「女にお笑いはできない」という発言をはじめとして、過去にも問題のある言動が連発されていたが、それは松本が「天才」であるから納得してしまう、という圧倒的なお笑いの能力と説得力があったことも事実だ。「このように、松本人志の笑いは説明しすぎることのない美しさからさまざまな評論を生んでいたのだが、ある意味で反知性主義とも受け取られることもしばしばだった。このあたりが北野武やタモリら、上の世代との比較や松本や吉本への異議申し立てとして語られがちな理由である。お笑い特有の「意味のなさ」、ある意味での脱構築が反知性でありながらも、それゆえ当時の若者たちにとっては非常にカッコイイことであり、逆説的に知的なこと、すなわち天才的に映ったのだった。
②NSC1期生としての松本人志
ダウンタウンがNSC(吉本総合芸能学院)の1期生であることは、脱師弟制度の時代の始まりとして象徴的である。お笑い芸人の養成所であるNSC以降、かつての漫才師にあった伝統芸能的な師弟制度を脱することで、①で見たような「天才的」なこれまでのセオリーに縛られない笑いを作っていくことが可能となった。松本人志、ダウンタウンによる脱伝統芸能、脱上方演芸的な視点は、本来ならば滅びゆく運命だったかもしれない漫才やお笑いが、若者たちにとってカッコイイものとして受け入れられることに大きく影響した。
余談であるが80年代のMANZAIブーム、80年代末~90年代のダウンタウン、そしてゼロ年代以降のM-1と、漫才やお笑いは古くなることを拒むかのように、いつの時代も若者たちの最先端のカッコイイものとして存在し続けている。NSC的な脱師弟制度に加え、賞レースの一晩ですべてひっくり返せるかもしれない可能性に賭けるパッションなど、古めかしくて辛気臭いものから距離を置いた、ユースカルチャーとしてのお笑いが常にアップデートされながら存在しているように思える。
NSC的な制度が生んだのは伝統文化からの脱却だけではない。「同期」および「先輩」「後輩」といういささかサラリーマン的指標の存在、そしてチームなどのコミュニティだ。先輩後輩関係には師弟制度の名残の雰囲気を見ることもできるが、ここで非常に特徴的なのは「軍団」や「組」、「一派」などと呼ばれがちなコミュニティの形成である。松本人志の場合、「ガキ使」や「ごっつ」をともにするチームでもあるが、ダウンタウンをリーダーとして結成されるチームでの活動は、師弟制度とはまた違うコミュニティの形成となっていっただろう。伝統文化における一門ではなく、フィーリングやセンス、ノリや馬の合うチームという集まりだ。センスを重視して結成されたチームでのクリエイティブは、見るものの慣性も激しく刺激する。こうして鑑賞者は、そういったチームを形成しクリエイティブを作り続ける松本人志に「天才」という評価を下したくなったのだろう。
また、上の世代と一線を画してチームを作ることにより、若者(当時)のカリスマとして君臨することに成功したことにも注目すべきだ。反知性主義と言われようが、大人たちにはわからない今時のセンスで、大人たちにはわからない新しい言葉を広め(よく言われることだが「イタイ」「イラっとくる」「サブい」など)、コミュニティを形成する。そしてファンが熱狂する、という形が続いていった。
そして1期生の成功モデルとして、大阪から上京し、東京でメディア中心に活動、作家性の高いコンテンツも作りつつバラエティで天下を取るという吉本の王道が設定された。付随して、プライベート・仕事を問わず、コミュニティ形成も後続の世代に引き継がれていった。古くはジュニア軍団(Jリーグ)、せいじ軍団(セ・リーグ)、くっきー!氏率いる肉糞亭一門、あるいは細かい単位だと気が合う同士のユニットライブなども該当するだろう。期や劇場単位的な外的要因による縛りのほかに、センスやフィーリングでチームとしての活動を行うということだ(逆に言えば、今回の松本人志報道は、このコミュニティの構造の副作用でもあるように思える)。
③権威の象徴としての松本人志
松本人志とは作品性の高いコントを生み出し、即物的でありながらチーム戦的でもあり、良いフォーマットを作り続けて運用し、とある時期の若者のカリスマ的なリーダーシップがあり、テレビマンとしてもクリエーターとしても、NSC1期生としての責任も果たしている働き者である……と結論付けたられたら幸せなのだが、問題は、今や彼が権威であることなのだ。そもそも若者のカリスマだったはずが、なぜ権威とされているのか? それには複雑な事情がある。
松本人志が常に評価をされ続けてきたのは、キャリアアップを厭わなかったことも大きな理由である。いつまでも平社員でいられないのと同じように、いつまでも「若者」のリーダーをやっているわけにもいかない。時代は変わるし、その若者たちも歳を取る。常識や前提、そしてコンプライアンスは時代によって変化していくので、ライフステージやキャリアにあわせた振る舞いを行うべきというのは一般的にもまっとうな考えである。
松本人志も例外ではなく、以前よりも過激な発言は控え、プレイヤーとして動く機会も減っていった。しばしばお笑いヘイターによって語られるのは、「彼が権威に憧れたゆえ傲慢に振る舞った結果、追随する芸人たちも偉そうになっていった」という主張であるが、個人的にはそうとも限らないと思っている。単純に年齢に相応しい振る舞いをしていったのを、フォロワーや鑑賞者、いうならば「松本人志考察班」が「読み取って」しまい、権威を実際のものとし、その結果「芸人は尊敬されるべき」というムードを構築していったのではないだろうか。これは現在の「芸人リスペクトされすぎ問題」につながるものではあるが、何の権威もないはずで、反知性主義だったコンテンツと振る舞いが「天才」と評されていた、つまりカリスマ性を発揮していた時代の松本人志の印象を下敷きに、権威的な働き(たとえば審査員など)を見せられると、それは名実ともに権威となるのだ。
「すべらない話」におけるハイカルチャー的演出、KOC、M-1など審査委員長の権威、THE SECONDアンバサダー、IPPONグランプリチェアマン、教養主義的な映画監督業、映画祭出演、時事的な感度が求められるコメンテーター、関西のトラディショナルな覇権としての「探偵!ナイトスクープ」の局長……。現役プレイヤーではない、年齢に見合った役職者としての活動は、あらゆる方面の知性と教養、そして権威の象徴として人々の目に映り、もちろん意図的にブランディングしていったことだろう。そしてその最たる例であり、一番の「夢」が万博である。
ダウンタウンと大阪・関西万博
そもそも今回のスキャンダルは、準公人であるから社会的な有益性が高いと判断され報道されている。すなわち松本人志、そしてダウンタウンが2025年の「大阪・関西万博」(以下「EXPO 2025」)のアンバサダーであるからだ。つまり大阪、厳密に言えば関西の象徴として選定されているのだが、ここにも少々ズレを見ることができる。ここまで見てきた通り、ダウンタウンは古めかしい上方演芸的なものを脱した象徴で、平たくいうと上京から天下の象徴である。
ダウンタウンにとっての大阪とは、若手時代の心斎橋筋2丁目劇場や「4時ですよ~だ」であろうが、それは一般的な大阪の印象とは違うものであろう。メディアが丁寧に丁寧に作り上げた大阪のイメージはコテコテな新世界・道頓堀・阪神タイガース・たこ焼き・ヒョウ柄のおばちゃん的なものであり、いわば2023年末の紅白歌合戦の天童よしみのパフォーマンスのようなものであろう。そういう粉っぽいイメージからの脱却のムーブメントをダウンタウンは大阪で起こしたのが始まりだったはずだ。松本人志が「探偵!ナイトスクープ」の局長に就任し、トラディショナルな関西の雰囲気を纏おうとして若干の違和感を唱えられたのも、それが理由である。そもそもダウンタウンはトラディショナル関西のカウンター的存在だったはずなのだ。しかしながら一般的には、そのコテコテの大阪叩きになぜかダウンタウンが持ち出されがちであるし、逆に大阪トラディショナルからは疑問視をされるし、どちらからも曖昧な存在ではある。しかもややこしいことに、彼らはそもそも大阪出身でもない。
とはいえすべてがメディアによる誘導であるともいえる。そのコテコテのイメージを作り上げて、いつまでも東京と分断を煽って、スタイリッシュな東京VS混沌としていて派手な大阪という対立は飽き飽きするほど見受けられる(実際はそんなこともないのに)。
EXPO 2025も、そして70年大阪万博(以下「EXPO’70」)もそういったベタな大阪のイメージとは異なり、最先端の科学技術や領域をプレゼンテーションするものであるし、そういう意味ではダウンタウンは適任という判断だったのだろう。要するにアンバサダーとしてのダウンタウンへの違和感というのは、万博そのものへの違和感というよりは大阪に対するイメージと実体の齟齬によるものともいえる。
くわえて、お飾りであるということは、品行方正であらねばならないということと同義である。これがかつてのプレイヤーとしての松本人志ならば、たとえ誰が何と言おうと、むちゃくちゃなことをやりたいと言っても、好きなように任せる! という雰囲気になっていたかもしれない。EXPO’70のテーマプロデューサー岡本太郎が、「人類の進歩と調和」のアンチテーゼともいえる太陽の塔を作ったように。
しかし、それもたらればである。ダウンタウンや松本人志に実務を行う権限はないし、時代は変化した。日本という国自体がもはや実務を行うプレイヤーではなくなったのだ。EXPO’70当時も、70年安保闘争から目を逸らすものだという論調で開催の是非が問われていたり、準備期間の短さゆえにスケジュール的にも不安視されていたが、当時は日本が「青年期」だったため、無茶と熱狂のうちに完遂できたと伝えられている。実際に現場の指揮者や責任者もほとんどが30~40代だったというし、岡本太郎の表現がいくら万博のテーマの逆のものだとしても、それに異を唱えることもなく、責任を取るという気概を持ち、おじさん言葉でいうところの「全員野球」で達成したプロジェクトであった。
よって、今や権威を持つ「大人」であるダウンタウン、松本人志をアンバサダーとし、もう大人になった日本という国で開催される万博に青春の輝きがないのは当然のことである。大人としての役割を果たさないと、もちろん糾弾される。
EXPO’70は、戦後復興から1970年までの間に発展した技術を提供する企業のパビリオンが出展していた。これと同様に1970年から2025年のあいだで発展した技術は「情報」であり、日本においては「お笑い」というカルチャーであった。そう考えると万博自体の是非とは別に、2025年の万博で「お笑い」を前面に打ち出すのはあながち間違ってない。
本当にやるかどうかは知らないが、現在公開されている吉本興業のパビリオンに設置される予定の「ギガント吉本興業のロゴの顔」のイメージ図を見る限り、EXPO’70のガス・パビリオンとそこまでセンスが違うわけでもなさそうであるし、そもそものテーマが「笑い」であるらしいし(オマージュなのか?)、EXPO’70の鉄鋼館「スペース・シアター」ではエンターテイメントパフォーマンスもあったので、吉本興業のパビリオンでも何かしらのパフォーマンス(おそらく行われるであろうお笑いのパフォーマンス)も「やってみればええやん」という考えで進行しているように見受けられる。
しかしこの、「(おもしろそうだから)やってみればええやん」というのが問題なのである。令和ロマンがM-1グランプリで披露したネタに登場する吉本社員のようなこの考えは個人的には大好きな思想なのだが、公共的な場所では問題視されるのも事実である。おもしろそうという理由だけで企画するというのは一個人や一企業単位では問題はないが、国や自治体の予算や政治や公共事業、都市開発となればそうはいかない。
あるいは、一企業が国の事業にかかわる場合「仲間内で仕事を回している」としてその構造も問題視される。そんな批判が吹き荒れるなかで中でダウンタウンがアンバサダーを務めるとことは火中の栗を拾うようなことだった。しかし、岡本太郎をリーダーとした頃の日本ではないし、ましてやプレイヤーだった頃の松本人志でもない。何もかもがちぐはぐな状況であった。
まったくの余談だが、令和ロマンのM-1優勝特番がまさに「阪神・たこ焼き・令和ロマン!!」(ABCテレビ)というタイトルで、「関西人に愛されるイロハを学ぶ」というテーマのものだった。新世代の関東生まれのチャンピオン×コテコテ大阪イメージという趣旨は、「やってみればええやん」についての批評性をさらに浮き上がらせている。
彼以前、彼以後、その後
あの日から世界が180度変わったように見えていた。今回噴出した問題は、チームやコミュニティ、そして「天才」の笑いの終焉のようにも見える。
そのことに寂しさを覚えていたが、「彼(松本)以降」も新しい表現は生まれる。太田光が「漫才自体が規定されることを拒んでいる」と言っていた ように。
漫才やお笑いは古くなることも拒む。いつの時代も若者たちの最先端のカッコイイものとして存在し続けているならば、ユースカルチャーとしてのお笑いが常にアップデートされながら存在するならば、今回のことでまた大きく変化を遂げることだろう。
そしてその反面でかつて退けられた上方演芸、近代漫才としての漫才にも注目したい。中田カウス氏の「漫才のDENDO」で掘り下げているように、NSC卒でありながら近代漫才のしゃべくりの系譜を継いでいる漫才もあるので、単なる回帰として認識するのみではなく、ファンとしてはそういう表現の良さも見つめていたい。
「ダウンタウンDX」30周年企画キャンペーンの動画で「あなたが夢中になったDXはいつの時代?」というコピーがあった。
放送開始当初から、左上に表示される年号とともに、当時のダウンタウンが次々と現れる。過去形で語られたこのコピーに、いまはもう終わってしまったものであるという暗黙の了解(しかも制作側もそう思っている)を感じさせられ、物悲しい気持ちになった。そしてもうすぐ「12時」がくることを悟った。
夢の時間は終わる。おそらくEXPO 2025は1970年の幻影を使って進み続ける。だからもう、高校生の頃の自分も、あの頃のダウンタウンにも、松本人志にもさよならを告げる時間だ。
ラストエンペラー
松本の権威にもさまざまな階層と理由があり、若者世代にとっての松本人志は「M-1の審査委員長だからなんか凄い人」、30代後半以上60代未満にとっては「現役時代のカリスマをっぷりを知っているから凄い人だという認識が染み付いている」という温度感だろう。
しかし人々が松本人志のことを語りたいのは、単に権威について言及したいからではないだろう。ここまでいろいろと論を重ねてきたが、結局は松本信者やファン、顔ファン、ワーキャー、さらにはアンチもひっくるめた、現在60代未満の国民たちが彼を愛していたという、ただそれだけのことではないだろうか。
「松本を愛していた」というのが抽象的というならば、「彼を語ることで、笑いすぎて息が苦しくなるあの瞬間をできるだけ長く感じたかった」と言い換えることができるかもしれない。それは松本が、劇場主軸の漫才師のように「会いに行ける芸人」ではないうえに、あくまで芸能人で、かつ年齢を重ねるごとに権威を纏っていったからであるだろう。
そして彼の笑いは刹那的・瞬間的である。松本に会えないから、松本の笑いでもっと笑っていたいから、松本のことを考えていたかった。そこに誰かを見下してやろうとか、暴力を肯定しようとかそういった悪意はない。ツールもSNSも持たない時代にファンや一般人が「松本人志の表現に気になったところがあったから声をあげるべきだ」などという発想もなかっただろう。そんな声は微々たるものだという認識が前提だったはずだったからだ。
現在ではお笑い芸人もタレントや芸能人も、昔のようにスターではなくひとりの人間ということを大切にして活動している。そうするとトレードオフで「表に出る人は手の届かないスターではなくひとりの人間なので、一般社会の常識に則って振る舞うべきだ」という考えが浮上してくる。かつての芸能界の特殊性が許されず、炎上や他者の目に常におびえながら窮屈そうに活動している有名人を見ていると、なるほどその姿はたしかにスターでもカリスマでもなく、まぎれもなく人間だなと感じさせられる。
しかしその代わりにファンやウオッチャーの側も、有名人に劣悪な誹謗中傷を投げつけることは厳しく規制される。一般人は有名人と住む世界が違うということを免罪符に、有名人を叩くことは決して許されない。相互交流が可能であることは、スター対一般人の構図ではなく人間対人間の関係性であり、つまりは住む世界が同じであるからだ。そして解像度の高い感想や、表現について看過できない箇所があった場合の異議申し立てなどは、このような人間対人間の関係性の中ではじめて有効になる。だからこそ、相互交流が不可能な時代に松本やお笑いの表現に何か思うところがあっても、ウオッチャーが言葉を持つことは難しかったことだろう。
ところが逆にいうと相互交流が可能な時点で、松本人志のみならず、すべての有名人はもうカリスマではない。そもそも有名無名の垣根も曖昧であるし、いよいよスターという感覚は現代では通じにくなっている。なんとか神秘性と権威を保つことでカリスマ性を延長することはできるが、それは絶対にどこかのタイミングで崩れ去る。
こうしてさまざまな要素が絡み合ってダウンタウンにも、松本人志にもさよならを告げる時間がきたのだろう。
松本人志は最後のカリスマで、最後の天下で、ラスト・エンペラーだった。
参考文献
『松本人志ショー』阿部嘉昭、1999年、河出書房新社
『居場所。 ひとりぼっちの自分を好きになる 12の「しないこと」』大﨑洋、2023年、サンマーク出版
『上方演芸大全』大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方) 編、2008年、創元社
『20世紀が夢見た21世紀 大阪万博』平野暁臣、2014年、小学館クリエイティブ
いまや漫才の大会としてのみならず、年末の恒例行事として人気を博しているM-1グランプリ。いまやその人気は「国民的」とも言える。なぜあらゆるお笑いのジャンルのなかで、M-1だけがそのような地位を確立できたのか。長年、ファンとしてお笑いの現場を見続けてきた評論作家が迫る。
プロフィール
てじょうもえ
評論作家。広島県尾道市生まれ。『カレーの愛し方、殺し方』(彩流社、2016年)で商業デビュー。『平成男子論』(彩流社、2019年)のほか、『ゼロ年代お笑いクロニクル おもしろさの価値、その後。』『2020年代お笑いプロローグ 優しい笑いと傷つけるものの正体』『漫才論争 不寛容な社会と思想なき言及』『お笑いオタクが行く! 大阪異常遠征記』『上京前夜、漫才を溺愛する』など多くの同人誌を発行している。