中東から世界を見る視点 第4回

モスル陥落後の「イスラム国」はどうなる

川上泰徳

「財政難」がモスル復興を阻む

 モスル奪還の後で叫ばれている「IS家族の排除」は、2014年のモスル陥落前にシーア派主導政権と協力したスンニ派の政治家、軍や警官の幹部、部族長関係者などが復権するプロセスなのだろう。戻ってくるスンニ派支配層は中央政府と協力して「IS家族」を排除し、さらに「IS部族」を排除することになるだろう。しかし、IS支配を担ったスンニ派勢力は決して少数ではないため、排除を続ければ続けるほど敵を増やすことになる。

 必要なのは排除ではなく、和解による出直しである。ISによるヤジーディ教徒など少数派への迫害については、指導者と実行者の犯罪が裁かれねばならない。しかし、IS支持者や協力者に対しては、ISとの断絶を条件として、共に復興にあたる協力関係をつくるしか出直す道はない。モスルの再建には、国連のイラク人道問題担当が「市街地だけで10億ドル(1100億円)以上が必要」との見方を示している。イラク中央政府や国際社会とつながるスンニ派勢力がモスルの復興を実現するならば、地域にとって経済再生の機会が生まれ、地域の和解の空気を醸成する可能性もあるだろう。

無残に破壊されたモスルの街(ロイター/アフロ)

 しかし、モスルの復興については悲観的にならざるを得ない。国際社会が実際にどれほど資金を出すかは疑問であり、実際に資金を出しても、治安が回復しない限り、事業が実施されない。それは、イラク戦争後にスンニ派地域の復興が遅れた理由でもあった。

 さらに、イラク政府がモスル復興にどの程度、本気で取り組むかも大きな疑問である。議会に承認されたイラク中央政府の2017年予算は670億ドル(7兆4000億円)で、原油価格の低迷などで180億ドル(2兆円)、歳出の27%の赤字となる見込みで、モスル復興に出すことができる予算は非常に限られている。ISに支配されていたアンバル州の首都ラマディは2015年12月、ファルージャは2016年6月にそれぞれイラク軍が奪回したが、それぞれ市街の8割が破壊されたのに、復興はほとんど進んでいない。それもイラク政府の財政難が大きな要因になっているという。

 もともとシーア派主導政権の下で、スンニ派地域への予算が少ないことが、スンニ派住民の不満ともなっていた。イラクの油田は南部と北部キルクークで大部分が占められ、スンニ派地域に油田がないため、原油収入の割り当てが少ない。そのことがスンニ派の人々の不満を強めていた。厳しい財政状況で、イラク政府がモスル復興に大規模な資金をそそぐとは思えない。モスル復興が進まなければ、破壊された町は残り、人々の苦難が続くことになる。

イラクのスンニ派地域は、いまだにISを支援している

 モスル奪還は、イラク軍、クルド人、シーア派民兵組織「民衆動員部隊」の3者が地上で動き、それを米国主導の有志連合が空爆で援護するという「外からの武力行使」によって実施された。モスルやニナワ州のIS支配地域内部で反IS勢力が蜂起したとか、IS支配地域につながるイラク中・北部のスンニ派地域でISに対する蜂起があったという情報はほとんどない。2014年5月にISは数日でモスルを陥落させたが、今回、イラク政府軍による奪回作戦は9カ月もかかった。そのことも、IS支配が単なる外部勢力による支配ではなかったことを示している。

 イラク政府がモスル奪回を宣言する直前の7月10日、米国ワシントンのシンクタンク、戦争研究所(ISW)が「ISISの聖域」と題する地図を発表した。モスル陥落後のIS支配地域を示したものである。イラクで「支配地域」を示す黒い領域は、キルクーク西部のハウィジャと、シリア国境につながるユーフラテス流域のカイムなどのスンニ派地域となっている。

 注目すべきは、「支援地域」と色分けになっている茶色の地域である。「ISに敵対する目立った行動はなく、IS部隊に兵站などの支援をしている地域」という説明がある。モスルからティクリート、サマッラ、バグダッドと流れるチグリス川と、カイム、ラマディに流れるユーフラテス川にはさまれる広大なスンニ派地域のほぼ全域が茶色となっている。この地図から読み取れるのは、イラクのスンニ派地域は、いまだにISを支援しているということである。

 イラクは部族社会が強く残っている。都市はすべての部族が集まっている共有の空間であり、各部族は都市の外で勢力を張っている。都市住民にもそれぞれ出身部族があり、問題が起これば部族が介入するなど後ろ盾となっている。2015年4月のティクリート奪回を手始めとして、ラマディ、ファルージャ、そして今回のモスルと、ISが支配していた都市は次々と政府軍に奪回されたが、ISWが地図で示しているように、都市の外のスンニ派部族がISを支援する動きに変化はない。スンニ派部族がISを支援しているというよりも、スンニ派部族がイラクにおけるISの実体と考えるべきだろう。

 ただし、部族はイデオロギーで動くのではなく、実利的な存在である。部族長や構成員への便宜の提供や支配地域への基盤整備などによって、部族の対応は変わってくる。シーア派主導政権であっても、スンニ派との間で公正な権力分有(パワーシェアリング)が行われるならば、スンニ派部族がISの排他的なイスラム主義を掲げて武装化する必要もなくなる。もともと、イラクのスンニ派部族には、サウジアラビアのワッハーブ派のようにシーア派を異端視したり敵視したりする考え方はない。

 サダム・フセイン時代には、スンニ派であれ、シーア派であれ、部族の支持を取り付けるためにアメとムチの政策をとり、忠誠心と影響力に応じて部族長に社会的・経済的な便宜を与え、反体制的な行動があれば苛烈な弾圧を行った。イラクの部族対策について、日本はイラク戦争後に南部サマワに自衛隊を派遣したことで貴重な経験を得た。自衛隊と外務省が現地で最も心を砕いたのが部族対策だった。自衛隊駐留地周辺の部族が敵対行為に出ないように、道路工事などの復興プロジェクトをばらまいて懐柔したのである。

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中東から世界を見る視点

中東情勢は、中東の国々と中東に関わる国々の相互作用で生まれる。米国が加わり、ロシアが加わり、日本もまた中東情勢をつくる構成要素の一つである。中東には世界を映す舞台がある。中東情勢を読み解きながら、日本を含めた世界の動きを追っていく。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。元朝日新聞記者・中東特派員。中東報道で2002年ボーン・上田記念国際記者賞。退社後、フリーランスとして中東と日本半々の生活。著書に『「イスラム国」はテロの元凶ではない グローバル・ジハードという幻想』(集英社新書)、『イラク零年』(朝日新聞社)、『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)など。共著に『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)。

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