なぜ「ジャズ」になると途端に構えるのか
さて、僕がブルックリンで「あなたは何やってるの?」と知り合いの女の子に聞かれたとき、「ジャズピアニストなんだ」って話すと、「嘘?あたしジャズ大好きなんだ」と目を輝かせる人が多いです。ただし「ジャズが大好きなんだ」というわりに「チャーリー・パーカー」も知らなかったりもするのですが、そんなこと関係ない。それよりもジャズに纏わる音世界、雰囲気がオシャレでウキウキするから好き、そういうことだと思うんですね。これって立派な「好き」の理由だと思うんです。
例えば、歌舞伎座で一幕だけ立ち見で安く楽しめたりするように、ニューヨークでもオペラをパーシャルビュー(部分的に見えない席)で安く楽しむことができます。マンハッタンのジャズクラブにも、敷居の高いところもあればそうでないところもあって、ふらっと出かけてテーブルじゃないバーの席で、「ジャズを気軽に楽しめたり」します。楽しみ方はいろいろ。もっと気軽にジャズを普段使いして、聴いちゃっていいと思うんです。
今のアメリカには80年代のマドンナやマイケル・ジャクソンと同じようにプレイリストに、「ジャズ」を入れて楽しむ若い人たちが結構普通にいるんですね。ところが、日本に帰ってくると、「ジャズ」というだけで、途端に構える傾向の人たちが今もいっぱいいるのはなぜだろうと思います。もっと気楽にジャズを楽しんでほしいという願いをこめてこの連載「ジャズって素敵!」を始めたいと思います。
そういう僕も、ニューヨークにジャズ留学したての頃、「ジャズはこうでなきゃ」という固定概念に縛られ過ぎて、ジャズを窮屈に聴いていたと思います。そもそも日本でのキャリアを一切合財捨てて、ニューヨークにジャズを学ぶためにやってきたのだからと、鼻息も荒かったわけです。俺が本物のジャズやったるんや!みたいな?
でもクラスメートに「君のはジャズじゃない」と言われる。学内のオーディションに何度も落ちる。「あなたリズムチェンジ(ジャズの有名なフォームのひとつ)も知らないの?」という先生の言葉に萎縮して、「ジャズを知らないのに軽はずみにジャズを好きだなんて言っちゃいけないんだ」と好きで好きでしょうがない気持ちにストッパーをかけ続けていた僕でした。
(詳しくは『9番目の音を探して47歳からのニューヨークジャズ留学』(2015年、KADOKAWA)にありますが、今思い出しても自分ながら胸がチクリとします。)
僕はジャズを何も知らなかった。それがコンプレックスだった。ブルックリンで会ったあの女の子のように「あたしジャズ大好きなんだ」って目をクリクリさせて素直に言えなかった僕。加えて「ポップスで日本で第一線だったこと」が「ジャズの世界でオーセンティックになる」のを阻むマイナスの要素なのだと、完全に勘違いしていたのです。「ジャズはこうあらねばならない」というジャズブランド意識のあまりの強さで、ジャズ本来の「楽しさや自由さ」を完全に見失っていたわけです。なんという勿体無いことを。学生時代に、もっともっと自分が日本の音楽の世界でプロとしてやり続けたことを経験として自然に、ジャズの授業の中で出せばよかったと悔しく思ったりもします。
プロフィール
(おおえ せんり)
1960年生まれ。ミュージシャン。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。「十人十色」「格好悪いふられ方」「Rain」などヒット曲が数々。2008年ジャズピアニストを目指し渡米、2012年にアルバム『Boys Mature Slow』でジャズピアニストとしてデビュー。現在、NYブルックリン在住。2016年からブルックリンでの生活を note 「ブルックリンでジャズを耕す」にて発信している。著書に『9番目の音を探して 47歳からのニューヨークジャズ留学』『ブルックリンでソロめし! 美味しい! カンタン! 驚きの大江屋レシピから46皿のラブ&ピース』(ともにKADOKAWA)ほか多数。