デザイン会社を辞めた敦子さんは、シングルマザーのママ友が働いているゴルフ場で、キャディーとして働くことを決めた。女性の職場であり、年配女性も多い中、若い敦子さんはすぐに採用された。
4バックが続くラッキーな月は手取りが20万円にもなるが、子どもの病気で休みが続けば10万円しか稼げない月もあった。
「それでも……」と、敦子さん。
「この時は、毎月4万円ほどの児童扶養手当がありました。医療費は無料ですし、水道代は基本料金が免除、有料のゴミ袋の支給、都営交通の無料券など、福祉のネットワークに支えられ、綱渡り状態ではありましたが、何とか、暮らしは成り立っていました。都営住宅に入居できたことも大きかったです」
長男の小学校入学時に、たまたま都営住宅に当たり、これで家賃は2万円台になった。
養育費という大きな支え
「そうだ!」と敦子さんが顔を上げる。
「この頃はまだ、養育費が支払われていたんです。1人月3万円ですから、6万円が毎月、口座に振り込まれて……。これで元夫への憎悪は消えました。感謝しようと思いました」
離婚時、敦子さんは20万円を払って弁護士を立てた。弁護士はこうアドバイスした。
「慰謝料請求の裁判を起こすより、子ども達が社会人になるまで、養育費をきっちり取るようにしましょう。その方が賢いですよ」
弁護士が代理人となったことで、元夫は素直に交渉に応じ、2人が社会人になるまで、月3万を支払うことを約束したのだ。
義務教育期間には、「就学援助制度」というものがあった。児童扶養手当の受給者や生活保護受給者、所得の低い家庭が適用になる制度で、学用品代や給食費、校外活動費、修学旅行費などが支給される。小学校と中学校の入学時には、新入学児童生徒学用品代も別途、支給になる。
中学の制服という大きな出費もあったが、何とか用意することもできたし、子ども達が義務教育の時には、養育費や児童扶養手当などさまざまな支えのもと、キャディーの収入のみで何とか生活は成り立っていた。
「同じシングルマザーのママ友に子どもを預けて、土日も働きました。土日の方が、お金がいいからです。外の仕事なので、きついなんてものじゃないです。お客さんもいい方ばかりじゃないですし、客商売なので神経をものすごく使います」
仕事が終われば、疲労で倒れこむような状態になるが、倒れてなどいられない。買い物をして、食事を作り、子どもを風呂に入れ、明日の準備をして寝るという日々。それでも子どもたちとの生活は、敦子さんに安らぎをくれた。
「2人ともいい子で、きょうだいの仲も良く、家にいる限り、ストレスはないなーって思っていました」
「母子家庭」という言葉に、どんなイメージを持つだろうか。シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は、必ずしも多くないのではないか。本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。