「母子家庭」という言葉に、あなたはどんなイメージを持つだろうか。「女手ひとつで大変そう」「お母さんが働いているあいだ、子どもはどうするの?」「家族観も多様化しているのだから、立派な生き方だと思う」……。
古典的なものも、あるいは比較的おおらかな考え方も、イメージは様々だろう。しかしながら、シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は必ずしも多くないのではないか。
本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。
その女性は、意を決したように顔を上げた。
「原因は、教育ローンです。結局、自己破産するしかなくなりました」
水野敦子さん(仮名、56歳)はそう言い終えて、唇を噛んだ。飾り気のない服装が、真面目な人柄をうかがわせる。
敦子さんは今から20年前、夫の浮気に振り回され、離婚を決意した。この時、長女は小学2年生、長男は4歳だった。
子煩悩で、休みの日は家族でよくドライブに出かけ、手料理を振る舞ってくれることもある夫。笑いの絶えない、仲良し家族だった。夫婦2人で外食をする時間も作ってくれ、このままの生活がずっと続くものだと、敦子さんは何の疑いもなく思っていた。
夫の裏切り
「初めてのお泊まりで、私は気付きました。それだけ夫を愛していたと思うんです。自分が、ボロ雑巾になったようでした」
裏切りの事実に打ちのめされたばかりか、浮気発覚後は夫から嘘をつかれることの連続で、敦子さんは身も心もボロボロになった。心療内科を受診し、「心因性反応」ということで、精神安定剤と睡眠導入剤の処方を受けた。
受診をきっかけに、夫とは別居した。ただし、離婚が成立するまでは「婚姻費用分担金」として生活費を入れることを約束させ、敦子さんは仕事と住居を探した。夫と暮らしていたマンションは、家賃が高すぎたからだ。
不動産屋は「母子家庭」と聞くと、途端に顔をしかめた。パート労働であることも、不利に働いた。子どもが小さいこともあり、コンビニで短時間のバイトをしていただけだった。
敦子さんは四大卒だが、離職期間が長く、子どもが小さいこともあり、正規労働に就くことは叶わなかった。
履歴書を見た採用係は、「お子さんがねー」と顔を曇らせる。
「お子さんが病気になった時、誰か、見てくれる人がいるならともかく、そのたびに休まれちゃ、こっちが困るんですよ」
敦子さんの両親は地方に住んでおり、援助は難しい。金銭的援助を頼めるような関係でもない。ただ、住居だけは父親が保証人になったおかげで、アパートを確保することができた。2DKで、家賃は6万円。
敦子さんの窮状を見かねた知人が、自分が経営するデザイン会社にアルバイトとして雇ってくれることとなった。勤務は週5回、9時から18時まで。日給は1万円。長男が幼いため、18時までの勤務にしてもらった。
居心地が悪くなった職場
精神的に未だ不安定な状態で、電車の中で過呼吸になりながらも、敦子さんは1時間の通勤に耐えた。
歯を食いしばって、必死に生きていた敦子さんだったが、職場で白い目で見られるようになるまでに時間はかからなかった。
「皆さん、終電まで勤務していました。18時退社が、他の社員から非難され、『終電まで仕事をしろ』と迫られました。そんなの、無理です。夜、子どもたちだけで過ごさせるなんて到底、できません。とりわけ、長男が不安定になっていましたから」
いなくなった父親、帰りが遅い母親という環境の急変に、長男はチック症状を現すようになっていた。
「そんな長男を、4歳上の長女が必死で守っていました」
「母子家庭」という言葉に、どんなイメージを持つだろうか。シングルマザーが子育てを終えたあとのことにまで思いを致す読者は、必ずしも多くないのではないか。本連載では、シングルマザーを経験した女性たちがたどった様々な道程を、ノンフィクションライターの黒川祥子が紹介する。彼女たちの姿から見えてくる、この国の姿とは。