「それから」の大阪 第25回

新世界市場の片隅で似顔絵を描いていた永澤あられさん

スズキナオ

謎の絵本作家との出会い

 前置きが長くなったが、そんな「新世界市場」の最近の様子を見ておこうと、私は先日、アーケード街に足を踏み入れたのだった。途中、創業100年以上になるという金物店「ミヤウラ」の店内をのぞいていると、ふとレジの近くに貼られていたポストカードに目が留まった。

 昔懐かしいタッチでデフォルメされた人物が描かれたポストカードで、店の方に「これは誰の絵なんですか?」とたずねてみたところ、「これは永澤あられさんという方の絵なんです。この本を描かれた方ですよ」と、一冊の本を取り出して見せてくれた。『今日も市場の片すみで下手な似顔絵描いてます。』と題された本で、「よかったらどうぞ」と、ありがたいことに一冊いただいた。

「ミヤウラ」でいただいた永澤あられさんという方の本(2023年2月撮影)

 帰宅後その本を読んでみると、作者である永澤あられさんは、新世界市場で開催されていた「Wマーケット」というイベントに参加し、そこでの思い出をこの本にまとめたようだった。「Wマーケット」は2018年から新世界市場で開催されてきたイベントで、コロナ禍に中止を余儀なくされたが、それまでは毎週末実施されていたという。シャッターの下りた店舗の前に参加者が自由なスタイルで店を出し、古着を売る店もあれば、占いをする店もあり、永澤さんはそこで似顔絵を描いていたのだそうだ。

 永澤さんの『今日も市場の片すみで下手な似顔絵描いてます。』には愛らしいイラストとともに、たとえばこんなエピソードが収められている。

本の中には永澤さんが新世界市場で出会った人々のエピソードが収められている

 年の頃、50代半ばと思われる山田さん(仮名)がビール片手に永澤さんのもとにやってくる。「似顔絵なんかいらんわ! 俺、今まで書いてもろたことないわ」と言って一度は通り過ぎていった山田さんだったが、数分後、再び現れ、1枚1000円という価格設定だった似顔絵を「500円にまけといてくれるか ほんなら書いてもらうけど…」と言ってきた。永澤さんはディスカウントの要求に応じ、山田さんの似顔絵を描くことにした。永澤さんは、一人の似顔絵を数十分から、ときには1時間もかけてゆっくり描き、その間、客との会話を楽しむ。

 山田さんは「おばちゃん、おれ、人にだまされてばかりいるねん。人に金貸して自分の生活費、足りんようになってもそいつが困ってるのん知らんふりできへんねん。落ちるところまで落ちて西成にきてん」と身の上話を語り出す。「ホームレスになって人夫の仕事ない時は、酒ばっかり飲んでおれは最低の人間になってしもた」という山田さんだったが、「こんなおれでも仕事先の紹介で、中央市場の仕事、せえへんかと言ってもらって、10年目になるねん!」「去年から正社員にしてもろてほんまよかったわ…。アパート借りて風呂もトイレもあるねん、今やっと普通の暮らしが出来るようになったわ…」とうれしそうに話した。

 自分の写真を一枚も持っていないという山田さんは永澤さんが描いた似顔絵を「おれの部屋にかざっておく」と言い、絵に添えて、毎日読めるようにと「この言葉書いてほしいねん」とリクエストする。その言葉とは「人に金を貸さない」「人の甘い言葉にだまされない」「花に毎日水をやること」の3つで、永澤さんは山田さんの似顔絵の周りに、言われた通り、その言葉を書いてあげた……。と、永澤さんがこの新世界市場で似顔絵を描きながら聞いた話や、出会った人のことが絵と文章で綴られた、素晴らしい本だった。

 その後、私は永澤さんが売春宿を舞台に、そこで働く女性たちの姿を描いた『パンパンハウス物語』という本も手に入れて読んだ。どこの土地の物語かは明記されていないが、登場人物たちは関西弁で会話している。私は永澤さんに会って、これらの本が作られた経緯や、永澤さんの目で見た大阪のことを聞いてみたいと思った。そして、永澤さんの本を私にくださった金物店「ミヤウラ」に改めて連絡を取り、そこから取り次いでもらう形で、永澤さんとお会いすることができた。

次ページ 62歳で大阪芸大に入学。最初の本は卒業制作から
1 2 3
 第24回
第26回  
「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

関連書籍

「それから」の大阪

プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

新世界市場の片隅で似顔絵を描いていた永澤あられさん