「それから」の大阪 第25回

新世界市場の片隅で似顔絵を描いていた永澤あられさん

スズキナオ

 数か月前、通天閣の周辺を歩いていた。新今宮駅あたりを散策し、気になる飲食店をたずねて取材するのが目的だった。大阪市浪速区・新世界にそびえる展望塔「通天閣」は、言わずと知れた大阪のシンボルであり、私もこれまでに幾度となくその姿を見上げてきた(その割に入場料を払って展望台までのぼった記憶はあまりないのだが)。

 1903年、大阪で「第5回内国勧業博覧会」という大規模な博覧会(アメリカ、イギリスをはじめとした14か国が出展する事実上の国際博だったという)が開催され、1912年、その跡地の一部に通天閣と、「ルナパーク」という遊園地が建設された。エッフェル塔をモチーフにして建設されたという通天閣は、高さ75メートル。当時日本一の高塔だった。大大阪時代の到来に先んじた新しい大阪の象徴として現れ、通天閣を中心として、ふもとの新世界一帯は商店や企業が密集する繁華街となった。

 しかし、1943年、通天閣は、近くにあった映画館の火災の被害を受けて損壊し、取り壊されてしまう。さらにその後、第二次世界大戦末期の1945年3月以降は大阪市街地への空襲が断続的に繰り返され、新世界一帯も焦土と化した。

 一度は姿を消した通天閣が再建されることになったのは1956年のこと。地元の有志の出資によって、今度は戦後復興のシンボルとしての意味を背負って建設されたという。現在見ることができるのはこの2代目通天閣である。高さは108メートルで、現在の日本各地に点在する高層展望塔と比べれば見劣りするが、むしろその昔懐かしくすら思える姿形こそが愛されているように思える。

大阪のシンボルのひとつである通天閣

 2020年5月以降、大阪府では、吉村洋文知事の提案によって、新型コロナウイルスの感染状況の警戒レベルを3段階に区分し、それをライトアップで周知するという施策が講じられた。大阪城、太陽の塔といった大阪を代表する観光スポットが、警戒レベルを示す赤・黄・緑の色のライトで照らされるという、どれほどの有用性があったのかわからない周知方法ではあったが、とにかく、そのライトアップ場所の一つとして通天閣が選ばれていたことは、この塔が大阪的なものの象徴として重要視されていることの証左と言えるだろう。

 コロナ禍に何度か歩いた通天閣周辺は、同じように観光スポットとして人気を集めてきた道頓堀周辺と同様、観光客の姿が激減し、いつもひっそりと静まり返ったかのように見えた。2023年になるとだいぶその様子は変わり、通天閣を前に写真を撮る人々の姿も増えてきたし、串カツなどを売る周辺の飲食店もかなり賑わっているようだった。

通天閣周辺の新世界エリアにも観光客の姿が戻ってきていた(2023年2月撮影)

 その通天閣からほど近い場所に「新世界市場」という商店街がある。食料品店、衣料品店、金物店などが並ぶアーケード街で、どちらかというと今では観光地的なイメージが強い新世界周辺にあって、近隣で生活している人に向けた商店が残る一角である。とはいえ、かつては50店舗ほどの店があったというが、経営者の高齢化などの事情によって徐々に店舗数は減り、現在ではその半数以下になっている。通天閣周辺に観光客向けの店が増加していった近年の流れと逆行するように、「新世界市場」はゆっくりとシャッター商店街化してきていた。

100年以上の歴史があるという商店街「新世界市場」(2023年2月撮影)

 一方、通天閣のすぐ近くにありながら昔の面影を残しているこの一角に興味を持ち、各商店と連携しながら人を呼び込もうとする動きもあった。2012年には電通関西支社のプロジェクトとして、若いクリエイターが「新世界市場」に残る古い商店のPRポスターを制作して話題を集めた。各クリエイターはボランティアで参加し、商店街の閑散とした様子を自虐的なユーモアに昇華するような自由な発想のポスターが多数制作された。また、同じ2012年には「誰でも参加OK」が売りの「セルフ祭」というイベントが、これもやはり関西に活動拠点を置く若いクリエイターを中心に開催され、その後も毎年の恒例行事となっていく。

 このように、古くからある商店街に残る一握りの店と、その商店街の人々と折り合いをつけながら、この場を新しい方向に開いていこうとする流れとがゆるやかに連帯してきたのがここ10年ほどの動きで、その結果、シャッターの降りていた空き店舗を活用して若い店主が営む飲食店や雑貨店が開店したり、商店街を舞台にしたイベントが開催されるなど、少しずつではあるが、町に変化が生まれてきた。

最近では土日祝日限定でアーケード内に屋台が出る「新世界市場屋台プロジェクト」が実施されている(2022年11月撮影)
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「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

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プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

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新世界市場の片隅で似顔絵を描いていた永澤あられさん