「それから」の大阪 第26回

何度も歩き、少しずつ鶴橋のことを知っていく(前編)

スズキナオ

 ここ半年ほど、鶴橋に頻繁に足を運んでいた。鶴橋の近くに住む飲み仲間の案内で、年季を感じる大衆酒場や、ひと手間かかった美味しい料理が驚くほど安く提供されている立ち飲み店などを訪ねたのがきっかけだった。「いい店が他にもまだまだある」という飲み仲間に頼って、その後もよく飲みに行くようになった。

JR鶴橋駅前の交差点をいつも多くの人が行き交っている(2023年8月撮影)

 飲み歩くうち、好きな店が増えていく。大阪に移り住んでから何度も歩いては来たものの、私にとって鶴橋はなかなか全容の見えない迷宮のような場所に感じられていた。私の顔をおぼえてくれたお店の方から、「今度新しいスーパーができる」とか「魚介類を食べるならあそこが美味しい」など近隣の話をたまに聞かせてもらうようになると、少しずつだが街のことが身近に思えてくるのだった。

居心地のいい大衆酒場が点在していて、個人的に好きな店も多い(2023年8月撮影)

 しかし、依然として鶴橋については知らないことばかりだった。

 鶴橋の中心エリアは大阪市の東南に位置する生野区にあり、天王寺区や東成区とも隣接している。JR大阪環状線、近鉄(近畿日本鉄道)線、大阪メトロ千日前線にそれぞれ鶴橋駅が存在し、特にJRと近鉄線の乗り換えにこの駅を利用する乗降客は非常に多い(JR西日本全体の、2022年度の1日平均の駅別乗車人員を見ても、広島駅や新大阪駅をおさえて鶴橋駅が第6位となっている)。

 JR・近鉄鶴橋駅の周辺には焼肉店が立ち並び、高架上に築かれたホームの真下に位置する店もあるため、時間帯によっては電車のドアが開くと途端に焼肉の匂いがしてくる。そんなこともあってか、鶴橋は焼肉の町として広く認知されており、駅を降りるとすぐ、「ようこそ!焼肉聖地」と書かれた看板が目に入る。

 また、JR鶴橋駅西出口からすぐ続く鶴橋商店街にはキムチをはじめとした韓国食材・惣菜を売る店が並び、韓国の伝統的な衣装を売る店や、「チェサ(祭祀)」と言われる祭礼に必要な祭器などを売る店もある。韓国料理店も多いため、よその地域から鶴橋に来る目的の中で最も多いのは、「焼肉か韓国料理を食べに来る」「韓国食材・惣菜、雑貨を買いに来る」というものであろうと思う。また近年では、K-POPと総称される韓国の音楽やドラマ、映画などから韓国のことを知り、韓国カルチャーに触れるために鶴橋を訪れる人も増えている。

鶴橋商店街の商店にはキムチ類をはじめ、韓国惣菜が豊富に取り揃う(2023年8月撮影)

 しかし、たとえば鶴橋の商店街内にはブランド物の衣類を売る店も多数あり、さらに、鶴橋鮮魚市場があり(市場の建物が老朽化し、現在はほぼ閉鎖状態となっているが、規模を縮小した上で再建される予定になっている)、魚介類や青菜類を販売する商店も多く存在する。寿司屋も多く、中には行列のできる有名店もある。大阪の他の地域と同じように、お好み焼きが看板メニューの飲食店や、定食や丼ものを提供する大衆食堂もある。複雑な要素が絡みあうエリアであり、知れば知るほどに「鶴橋はこういう町だ」と一言で要約できない部分が見えてくる。

日本と韓国・朝鮮の文化や歴史が混ざり合い、影響し合って鶴橋の街を形づくってきたのだと思う(2023年8月撮影)

 とはいえ、まず、大きな前提としてあるのが韓国・朝鮮にルーツを持つ人々とこのエリアとの深い関わりである。かつて「猪飼野いかいの」と呼ばれていた鶴橋周辺には、4世紀頃からすでに朝鮮半島からの渡来人が住んでいたという。『日本書紀』によると、仁徳天皇の代の14年、日本最古とされる「小橋」という橋がこの地に築かれた。当時の日本には川の上に橋をかける技術がなく、その技術が渡来人によってもたらされたためである。その「小橋」が旧平野川(1940年に埋め立てられ、現在は存在しない)にかかっていた「鶴之橋つるのはし」だったとする説が江戸時代頃に広まった。その「鶴之橋」こそ、「鶴橋」の名の由来である。

 このように古くから朝鮮半島と縁を持っていたこの地に、韓国・朝鮮から改めて多くの人が移り住むようになったのは明治・大正時代の頃からである。特に1923(大正12)年、朝鮮半島の南に浮かぶ済州島と大阪とを結ぶ貨客船「君が代丸」が就航すると、植民地統治下で生活に困窮した人びとが、出稼ぎ労働者として、たくさん日本へと海を渡ってきた。先に住んでいた人々を頼って来る血縁者などもおり、コミュニティが広がっていった。

鶴橋の歴史を伝えるために2023年4月にオープンした「大阪コリアタウン歴史資料館」(2023年8月撮影)

 そのようにして、この地に韓国・朝鮮の文化が徐々に根付いていった。しかし、その過程に苛烈な差別があったことは言うまでもなく、どれだけ過去の文献に当たろうと、私はそれを自分の体験として知ることはできない。

「水キムチあらい」は、その名の通り、韓国の発酵食品である「水キムチ」を中心に通信販売している大阪のショップで、私はそこの水キムチが好きで、何度か商品を購入したことがあった。店のSNSアカウントもフォローしており、そこにイベントの情報が流れてきたのだった。

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「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

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プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

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