「それから」の大阪 第26回

何度も歩き、少しずつ鶴橋のことを知っていく(前編)

スズキナオ

在日コリアン高齢者をケアする施設

 文さんは商店街の入り組んだ路地を進んでいく。韓国の伝統的な民族衣装を売る店が並ぶ一画に行き当たる。その中の一店である「安田商店」の看板には“創業1924年”とある。「私の祖父母が朝鮮半島から日本に来たのは1929年と聞いているんですけども、その前から朝鮮半島出身者が日本にたくさんやってくるようになった。そうすると、自分たちが普段着るためのチョゴリが必要になりますよね。今でも、成人式、入学式、卒業式、そして結婚式の時に着る服や、子どもが生まれて100日目とか一年目のお祝いに着せる服もある。それは自分たちが日本の中で生きていくために必要なもので、そういうニーズにこたえてチョゴリ屋さんが開業したわけです。ここはその頃から続いているお店ですね」

韓国・朝鮮の伝統的な民族衣装を売る店が並ぶ路地(2023年8月撮影)

 文さんが一枚の写真を取り出して見せてくれた。この場所の、78年前の景色だという。今も残るお地蔵さんの祠が、確かに写真の中にも見える。

「すごい賑わいですよね。当時の大阪市の警察のトップを務めていた人間が遺した文章によると、ここで闇市を開いていた人間のだいたい1割ぐらいが朝鮮人だったと。それを受けて『1割もいたの⁉』みたいな文脈で語られることもあるんですけど、すでに当時の大阪市の人口の約1割が朝鮮人なんです。闇市には当時の世相がそのままの反映されていたわけです」

韓国・朝鮮の食卓によく並び、お供え物としても使われるという「チョギ」などの鮮魚が売られている店(2023年3月撮影)
チェサなどで使用する什器類を売る店もある(2023年8月撮影)

 入り組んだ細い道を進み、「鶴橋本通商店街」にやってきた。文さんが指差した先、建物の敷地の境に古びた赤レンガがある。

「大阪府警察部鶴橋警察署」の敷地を囲っていた赤レンガの一部が今も残っている(2023年8月撮影)

「この赤レンガは『大阪府警察部鶴橋警察署』の敷地を囲っていた壁の一部なんです。戦前の警察署が担っていた業務の中には、今と変わらないものに加えて、もう一つ重要な任務がありまして、それが在日朝鮮人の管理なんです。大阪では1924年に『大阪府内鮮協会』という組織が作られて、在日朝鮮人の管理体制を強化していました。1936年には全道府県に「協和会」が組織され、大阪でも朝鮮人は全員大阪府協和会の会員になることが義務化されました。そして「協和会会員証」を交付して、常に携帯させるようになります。そしてたとえば警察官が職務質問をして、その会員証を持っていなかったら署に引っ張ってくる。別件逮捕と拘留の常套手段とするような管理・統制の方法を取っていたんです」

※文さんによる補足:「内鮮」のように「朝鮮」を「鮮」と省略した用語は、植民地統治下に使用されるようになったものであり、時として差別的意味合いをもつこともあるので、現在使用する際には注意が必要です

 大阪市警鶴橋警察署は、周辺に住む多くの韓国・朝鮮にルーツを持つ人々を管理する拠点だった。「政府が管理を強化した理由の一つには、関東大震災があったと考えられます。関東大震災の直後に生まれたデマによって朝鮮人がたくさん殺された。この事件に対する当時の政府の対応が、虐殺を行なった日本人を管理するのではなく、逆に朝鮮人の管理を強めようという方向になったわけです。第二次世界大戦が終わった後、1946年には『大阪府朝鮮人登録条例』が制定されました。これもやはり朝鮮人の管理を目的にしたもので、警察署が窓口でした。当時、朝鮮人への対応方法について警察官に指示をしている文書が残っているんですけど、朝鮮人の目を見て声を聞いて話し方を見て、その者の思想信条を探れといったことまで書いてあるんです」

 次に文さんが足を止めたのは、「特定非営利活動法人 ぱだ」が運営する高齢者介護保険施設の建物の前だった。鶴橋に拠点を置き、在日コリアンを含めたの高齢者の介護やケアを行っている施設で、文さんはここの職員でもあるという。

文さんが職員を務める「NPO法人多民族共生人権教育センター」や「特定非営利活動法人 ぱだ」の入っている建物(2023年8月撮影)

「今ここに入っている高齢者のうち、在日コリアンはほとんど2世の高齢者です。在日コリアン高齢者が、ここを生活の場所として選んでいただく理由の、一番大きいのは食事の部分なんです。2世の人々が育ってきた家の食事は、一世が作った韓国料理がメインなんです。でも「普通」の老人ホームに入ると、韓国料理は出てこないですよね。食事って高齢者にとってすごく大事なんです。自由に外食もできないし、それが大きな楽しみでもある。そこで、『食事に配慮した施設に入れたい、入りたい』というニーズが大きいんです」

「次に言葉の問題です。2世の方は日本生まれで日本語が母語なのでそこは問題ないんですけど、いわゆるニューカマーと言われるような人でも、たとえば1980年代に40歳で日本にやってきたとしても、今はもう80代になってるわけでしょう。そういう人たちは、もちろん日本で長く生活している間に生活に必要な言語をおぼえていくんだけども、認知症を発症してしまうと、後から覚えた日本語を忘れてしまって、韓国語でしかしゃべれない。そういう人が結構いるんです。そういった場合、日本の老人ホームに入っていたら、最低限のケアはしてもらえるけども、自分の意志や希望を言葉で伝えられないので、ケアの質が低くなってしまう。ここではそういうニーズを聞き取ってそれに合わせてサービスを提供できる。それなら入れる側も本人も安心です」

「最後にもう一つ大事なのが、差別される心配がないことです。日本の老人ホームに入ってしまうと、やっぱり何かをきっかけに差別を受けるのではないかという恐れを日常的に感じながら生きざるを得ない。これはやっぱりストレスですよね。ここにくると心配がない、それも大きな利点なんです」

 文さんが語るのを聞いて私は初めて、介護を必要とする在日コリアンの高齢者の存在を意識できた気がした。

在日コリアン高齢者をメインに様々な介護サービスを行っている(2023年8月撮影)

(後編へつづく)

1 2 3
 第25回
第27回  
「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

関連書籍

「それから」の大阪

プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル
プラスをSNSでも
Twitter, Youtube

何度も歩き、少しずつ鶴橋のことを知っていく(前編)