「それから」の大阪 第27回

何度も歩き、少しずつ鶴橋のことを知っていく(後編)

スズキナオ

前編からつづく)

「では、“大阪コリアタウン”の方へ向かってみましょう」と文さんは歩き出す。JR鶴橋駅から南東方面へ15分ほど歩くと、「大阪コリアタウン」というスポットがある。「御幸通商店街」「御幸通中央商店街」「御幸通東商店街」という3つの商店街から成るおよそ500メートルほどの通りに、韓国食材・惣菜を売る店や、韓国コスメ、K-POP関連のグッズのショップ、韓国の人気フードの屋台などが立ち並んでいる。10代~20代の若い人々を中心に多くの人で賑わっているエリアである。

韓国の伝統的なデザインを使ったゲートなども作られ、韓国に旅行に来ているような気分が味わえる(2023年8月撮影)

 大阪コリアタウンへと続くルートの一つは地元の人に「千姫ロード」と呼ばれているという。「この通りは、大坂夏の陣で大坂城が落城する時に豊臣側から徳川家に嫁いだ千姫が命を助けられた際に通った道だと伝えられていて、それで『千姫ロード』と呼ばれているんです。鶴橋はコリアタウンとして注目されて、韓国の街だと思われているわけですが、日本人の人口の方が多いんです。だから、日本の伝統、歴史、文化を大事にしている人ももちろんいらっしゃって、それは全然おかしなことではないわけです。その人たちにとってここは日本の歴史の中でも重要な道なんです」と、文さんはさらに歩いていく。

「三軒長屋」が残る一画(2023年8月撮影)

「この辺りには、このような三軒長屋と呼ばれる、一つの棟を壁で仕切って三軒分にした建物が多く作られました。この辺りは昭和元年に大阪市に編入されて住宅地として発展したんですが、三軒長屋がどんどん建ち、たくさんの人が入って人口が増えていった場所でした」

戦時中はここから大阪城方面まで兵器の部品が運ばれていたという「疎開道路」周辺(2023年8月撮影)

「ここは疎開道路といって、建物疎開でできた道路です。この道は、大阪城に真っすぐにつながっています。大阪城周辺には戦時中、国営の大阪陸軍砲兵工廠という、大兵器工場地帯がありました。この界隈の工場で作られた部品をスムーズに運ぶために作られた道路でもあったんです。工場での仕事があって、近くには三軒長屋がどんどんできていったから住む場所もある。ちなみに当時の大阪では、このような長屋でも、『朝鮮人お断り』というところが多かったんです。ただ、この辺りは南北に平野川が流れていた。今はもう流れが付け替えられて、元の川は埋め立てられていますが、大雨が降るとその川がよく溢れて、周辺に床下・床上浸水の被害をもたらしていたんですね。そういった土地だということで、借り手が少ない。長屋の大家さんにすれば『朝鮮人でも入れなしゃあない』と、そして朝鮮人にしてみれば『借りる家がないのでここでもしゃあない』と。それがこのエリアに多くの朝鮮人が集中した理由だと思います。そして今のコリアタウンの中核となるコミュニティができていったんです」「現在では、平野川が付け替えられた新平野運河が、コリアタウンの東側を流れています。1950年代に完成した、河川改修工事のお陰で、この地域が水害の被害に遭うことはなくなりました。ちなみに、戦前の工事には、多くの朝鮮半島出身の土木作業員が従事しています」

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「それから」の大阪

2014年から大阪に移住したライターが、「コロナ後」の大阪の町を歩き、考える。「密」だからこそ魅力的だった大阪の町は、変わってしまうのか。それとも、変わらないのか──。

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プロフィール

スズキナオ

1979年東京生まれ、大阪在住のフリーライター。WEBサイト『デイリーポータルZ』『QJWeb』『よみタイ』などを中心に執筆中。テクノバンド「チミドロ」のメンバーで、大阪・西九条のミニコミ書店「シカク」の広報担当も務める。著書に『深夜高速バスに100回ぐらい乗ってわかったこと』(スタンド・ブックス)、『酒ともやしと横になる私』(シカク出版)、パリッコとの共著に『のみタイム』(スタンド・ブックス)、『酒の穴』(シカク出版)、『椅子さえあればどこでも酒場 チェアリング入門』(ele-king books)、『“よむ”お酒』(イースト・プレス)がある。

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