スペインへ逃げてきたぼくのはしっこ世界論 第2回

ないものだらけのスペインと出会う

飯田朔

日本の抱える「不十分さ」とは何か?

 この「透徹した認識」という言葉を考えるとき、ぼくはサラマンカで出会ったスペイン人たちが自分たち、自分の国の問題について語るときに見せる、どこか「淡々とした」語り口を連想させられる。かれらは、ここはそういう場所なんだよ、となかば呆れつつも滔々と語る。そこで印象に残るのは、絶望しきってテンションが低くなっているわけではなく、また無関心になっているのともどこか違う、妙に腰が据わったように思えることだった。

 たとえば、自分のことを中道右派だというあるスペイン人の男性と話したときは、かれはカタルーニャ前首相のプチデモン逮捕のニュースを「いいニュースだ」と喜びつつも、カタルーニャの独立問題そのものは歴史的な経緯が入りくんだ複雑な問題だ、と前首相が逮捕されたから終わりだというように簡単にはいかないことを認識していた。また、中道左派を自認する女性とも話したが、彼女はつい先日スペインで政権交代が起き、左派政党のPSOEが新政権を発足させたときも、あまり喜ぶ様子はなく、左派政権は議席数が足りないから厳しいだろう、また再選挙だと冷静に言い、かといって不安がっている様子もなかった。

テレビは新首相、ペドロ・サンチェスの就任を伝える

 どちらも右派と左派で違った思想を持った人だが、その姿勢のありかたに共通しているものを感じた。それは、自分たちの国が様々な問題、「不十分さ」を持っており、それらが簡単に解決しないことを理解しつつも、しかし問題は問題なのだから何らかの形で解決の糸口を探らねばならないと確信しているような、妙に気の長い姿勢である。

 いわば、スペインの「不十分さ」からは、「~がない」という不足の経験を通して、人々が持つようになった独特な姿勢が受け取れるのではないか。何かがあるのではなく、何かが欠けていること、それを前提に物事を捉えるような「透徹した認識」が人々にいまも息づいているように思えたのである。

 太平洋戦争に敗戦した後、日本は経済成長によって「不十分さ」から「過剰さ」へと一気に階段を駆け上った。バブルが終わるころに生まれたぼくは、そういう国で水や電気の不足などに困ることもなく育った。原発事故を経た今でさえ、東京の夜は一見明るい。その「明るさ」には「透徹した認識」は感じられない。最近ぼくは、日本が「過剰さ」のおかげで忘れられていた様々な「不十分さ」をじつは抱えていたことを思い知らされている。

 水も電気も不足していない日本に足りないものは何なのか。スペインに足りないものとは違うようだ。スペインで汚職によって辞任した前首相に代わり、あらたな首相ペドロ・サンチェスが就任するニュースをテレビで見ながら、そんなことを考える。

 

 

 

 

 

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スペインへ逃げてきたぼくのはしっこ世界論

30歳を目前にして日本の息苦しい雰囲気に堪え兼ね、やむなくスペインへ緊急脱出した飯田朔による、母国から遠く離れた自身の日々を描く不定期連載。問題山積みの両国にあって、スペインに感じる「幾分マシな可能性」とは?

プロフィール

飯田朔
塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。
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