スペインへ逃げてきたぼくのはしっこ世界論 第5回

華やかではないスペイン・バルで

飯田朔
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Clip to Evernote

4 オーウェルが見たスペインの「革命」

 スペインの接客について考えていると、以前読んだ、イギリスの小説家ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』のある箇所が思い出されてくる。1936年にスペインでは右派の軍人たちがクーデターを起こし、左派の共和国政府との間で内戦に発展した。当時のスペインは、軍人や教会、大地主、資本家といった土地や権力をもつ右派勢力と、労働組合や市民、農民などの左派勢力が激しく対立し、政権交代やクーデターが重なる不安定な時代を迎えていた。このときは、前年35年の総選挙で政権の座についた左派政府を打倒するために右派の軍人たちがクーデターを行ったのである。

 オーウェルは内戦が起きると、まず取材目的でバルセロナへ行くが、そのときバルセロナやマドリードでは、左派政府を支持する市民たちによって右派の反乱軍が逆に鎮圧され、街では左派の市民や労働者たちが直接自治を行うようになり、商店などでのコミュニケーションが一変したという。そのことをオーウェルは驚きとともにこう記している。

 

(…)食堂の給仕も商店の売り子も、お客の顔をまともに見て、対等の応対をした。卑屈な言葉づかいはもちろん、あらたまったものの言い方さえ、一時はかげをひそめていた「セニョール」とか「ドン」はおろか、「あなた(ウステー)」さえ使われなくなり、みんなお互いに「同志(コムラード)」とか「(トウ)」と呼び合い、「こんにちわ(ブエノス・ディアス)」のかわりに、「お元気(サルド)で!」と挨拶し合った。

『カタロニア讃歌』(1975年、角川文庫、高畠文夫訳)9、10頁

 

 資本家などに代わり、労働者や市民が街で力をもったことで、商店などでかわされる言葉遣いが変わったということである。この内戦は、単に異なる政治思想をもつ者たちの争いではなく、労働者や市民がそれまで権力を握っていた旧来の右派勢力と戦う道を選び取った、という階級をめぐる戦いでもあった。だからオーウェルはこのスペイン内戦を「単なる内乱」ではなく「ひとつの革命の始まり」と捉えている。

 ぼくはこの箇所を読んだとき、オーウェルの驚きが、2018年にスペインへ行き、バルでのコミュニケーションを見たときの自分自身の驚きと重なり合うように思え、不思議な気がした。結局内戦では左派政府が敗北し、オーウェルがバルセロナを訪れた数か月後には再び人々のコミュニケーションはもとの敬語を使うやり取りに戻ってしまったそうだが、何にせよスペインではその後将軍フランコの独裁時代(1939~75年)と、フランコ死後の民主化(75年以後)を経る中で、いつしか客と店員の関係性は現在の対等な形に変わったようだ。一方それと比べると、日本ではいまだに80年以上前のスペインと同じやり方でコミュニケーションが行われているんじゃないかと思う。

 「革命」という言葉は大げさな響きがあるかもしれないが、当時のスペインのそれは言ってみれば、自分が生活する日常で、他人とどういう関係のもとに生きていきたいか、という社会や関係性についての問いかけとしての意味があったのではないか。

 ぼくは、気がついたらスペインでよくバルへ足を運ぶようになっていたが、そこへやってくる人たち、カウンターで働く人たちを見て、自分の中でいくつもの問いが頭にのぼってくるようになった。例えば自分は、この先日本にいる家族や友人とどう付き合っていこうか。働くときは、どのように人と仕事をするのか。スペインでは、人々がこれまでにそういうかれら自身への問いかけを行ってきたのだろう、という感じがする。

 スペインで出会った実際のバルとは、そういう生活への問いを投げかけてくる場所だった。いまやぼくの頭の中にもまるで小さな「スペイン・バル」ができてしまったかのような感じがする。そこでボカディージョを食べている「ぼく」は、こんなことをつぶやく。「日本に帰ってからも、働きすぎるなよ」。スペイン生活が終わった後、どういう風に暮らしていくか、最近はそういうことを考えながらすごしている。

※今回は、筆者が日本に帰国する直前(2019年の1月頃)について書いた内容になっている。

※スペイン内戦の歴史に関しては、川成洋(著)、宮本雅弘(写真)による『図説スペインの歴史』(1994年、河出書房新社)を参考にした。

1 2 3 4
 第4回
第6回 
スペインへ逃げてきたぼくのはしっこ世界論

30歳を目前にして日本の息苦しい雰囲気に堪え兼ね、やむなくスペインへ緊急脱出した飯田朔による、母国から遠く離れた自身の日々を描く不定期連載。問題山積みの両国にあって、スペインに感じる「幾分マシな可能性」とは?

プロフィール

飯田朔

塾講師、文筆家。1989年生まれ、東京出身。2012年、早稲田大学文化構想学部の表象・メディア論系を卒業。在学中に一時大学を登校拒否し、フリーペーパー「吉祥寺ダラダラ日記」を制作、中央線沿線のお店で配布。また他学部の文芸評論家の加藤典洋氏のゼミを聴講、批評の勉強をする。同年、映画美学校の「批評家養成ギブス」(第一期)を修了。2017年まで小さな学習塾で講師を続け、2018年から1年間、スペインのサラマンカの語学学校でスペイン語を勉強してきた。 

 
集英社新書公式Twitter 集英社新書Youtube公式チャンネル

プラスをSNSでも

Twitter, Youtube

華やかではないスペイン・バルで