3 海外でも変わらない、生活の「呼吸」
それで日本を脱出してみてどうだったか。
外国で暮らす中、面白い発見がひとつあった。それは、住む場所が日本からスペインに変わっても、自分の好きなものや普段の生活のペースはあまり変わらない、ということだ。外国で暮らすと日々色々な異文化に影響を受けるが、そういう中でも全然変わっていかないものが自分の中にある、そのことに気がつけたのが大きかったと思う。
最初にそれを実感したのは、留学先のサラマンカでよく通っていた一軒のハンバーガー店に行ったある日のことだ。
住んでいたアパートの近くに、スペイン人のおばさんがひとりで切り盛りする、地元民向けの古びたハンバーガー店があった。おばさんは親切な人で、ハンバーガーの味もバツグンなので、週に一度くらいの頻度で通っていた。留学へ行くまで知らなかったが、スペインではハンバーガーが国民食のように普及していて、バルのつまみでは定番だし、サラマンカではフランチャイズの他に老舗の個人経営のハンバーガー店がいくつかあった。
ある日、その店でハンバーガーを食べ、ボーっとしていたら、あれ、前にもこういうことがあったな、と頭の中で何かがひらめいた。少し考えてみると、スペインへくるまで地元の東京・三鷹でよく通っていた一軒のラーメン店を思い出した。その店も、主人のおじいさんとおばあさんが親切な人たちで、サラマンカのハンバーガー店と通じる落ち着く雰囲気がある。
日本からはるかに離れたスペインへやってきたのに、自分でも気がつかないうちに似たタイプの店に通い、東京のラーメン屋でホッと一息ついていたのと同じ調子で、いまはサラマンカのひなびたハンバーガー屋でリラックスしている。そういう自分の生活の変わらなさが実感され、「これ、わざわざスペインにきた意味あるのか?」とすこし呆れつつも、生活スタイルの基本的な部分はきっとどこへ行っても変わらないのだろうと思えた。
もしくは、こんなこともあった。
帰国の直前、サラマンカの近くの村ラ・アルベルカ(以下アルベルカ)に住む、日本人女性のHさんに会ったときのことだ。
Hさんは、ぼくが語学学校で一緒に学んだ日本人の友達から紹介してもらった人で、マドリード在住を経た後、現在は人口1000人ほどの村アルベルカで暮らしている。ぼくは、スペインの田舎での生活がどういうものなのか見てみたく、帰国の直前に連絡を取り、会いに行かせてもらった。村ではちょうど聖人アントンに関係する祭りが催されていて、Hさんは祭りで余ったイベリコ豚のスープを自宅に持ち帰り、それを出汁にしてカレーライスを作り、ごちそうしてくれた。
また、Hさんは村の休耕地を借り自分が食べるための野菜作りに挑戦しており、その畑も見せてもらった。アルベルカの周辺にはハイキングに適した山々が広がり、空気の落ち着いた感じがある。カレーライスを食べ、そんな場所でHさんと二人で静かな農道を歩くと、日本の田舎へきたような錯覚を覚える。
アルベルカへ行く前は、スペインの田舎で暮らす生活がどのようなものか想像がつかなかったが、いざ足を運ぶと、日本の田舎で暮らすこととそう変わらない面もあるのかもしれない、と思えてきた。ぼく自身の生活を振り返っても、人口15万人程度の小都市サラマンカで1年間を過ごしてきたわけで、だからといって、自分の生活の調子が大きく変わったりはしなかったよな、と思えた。
日本を脱出してみて思ったのは、ひとりひとりの中に、そういうどこにいようと変わらない個人の生活の「呼吸」のようなものがあるんじゃないか、ということだった。
スペインにいようと、日本にいようと、自分の好きなものや生活のペースに目を向けておけば、どこでも最低限暮らせそうだ。そのような確信が持てたからなのか、いまは日本にいても前より気が楽になった気がしている。
30歳を目前にして日本の息苦しい雰囲気に堪え兼ね、やむなくスペインへ緊急脱出した飯田朔による、母国から遠く離れた自身の日々を描く不定期連載。問題山積みの両国にあって、スペインに感じる「幾分マシな可能性」とは?