4 東京・阿佐ヶ谷の居酒屋でスペイン談義
脱出した先のスペインは、一言でいうと、意外にクセのある国だった。
連載の第2回で書いた「何もない平野」が続く風景から始まり、第5回で取り上げた現地のバルの地味な味わい深さや、愛想のない接客にいたるまで、スペインへ行く前は予想もしていなかった、この国のどこか変わった部分。それらの印象が日本に戻ってきてからも頭の中に残っている。
日本に帰国してから一週間ほど経った2月のはじめ、ぼくは、阿佐ヶ谷でフラメンコギタリストのTさんと久しぶりに会った。
Tさんは、ぼくの祖母の80歳を越える友人で、フラメンコギタリストとして日本とスペインで長年活躍してきた人だ。ぼくがスペインへ留学する前に何度か会い、その都度スペインの昔の話や、日本とのコミュニケーションの違いなどを教えてもらった。この日は留学が終わった報告と土産のワインを渡すため、Tさんの地元の阿佐ヶ谷に行ったのである。
Tさんが語るこれまでのスペインについての話は面白い。1970年代初頭のまだ独裁政権だった頃の話であったり、その後徐々に民主化されていく75年以降の時代であったり、色々な風貌の「スペイン」が顔を出す。この人の話を聞いていると、ぼくなど1年間スペインに住んだとはいえ、そこで見た「スペイン」は、長い歴史の中のごくごく一部分でしかないんだな、と感じられる。
駅で待ち合わせしたTさんは、なぜかぼくを見るなり「あんまり変わってないね」なんて言う。何を指してTさんが「変わってない」と言うのか分からなかったが、ぼくの方も聞き返したりはせず、そのまま近くのTさん行きつけの居酒屋へ行き、1年ぶりに刺身や鶏の唐揚げ、焼うどんなどをつまんだ。
昨年スペインにいるときに、上の世代でスペインへ行った日本人に興味を持つようになった。作家の堀田善衞によるスペインの画家ゴヤについての評伝『ゴヤ』や、俳優の天本英世によるスペイン全土の旅行記『スペイン巡礼』などを読み、そんなときに、Tさんの顔もよく頭に浮かんだ。
こういった上の世代の人たちの語りが面白いのは、スペインをクセのある場所として正直に捉えているからだ。例えば、Tさんが語ってくれる話の中には、現地でフラメンコギターのコンサートをするために地元の保守派の人たちと交渉しなければならなかったことや、マドリードで見た様々なスリのテクニックなどが出てくる。
スペインといえば、「陽の光」だとか「美しいビーチ」だとか、「お祭り好き」で「陽気な人々」、「ワイン」や「シェリー酒」、「オシャレなバル」などが取り沙汰されるが、上の世代の人たちの語りからは、スペインはそんなに明るいところじゃないよ、と静かなツッコミが聞こえてくる気がする。ぼくが魅力を感じたのは、そういうスペインの見えづらい側面の方だった。
日本が嫌でとりあえず行ってみただけのぼくにとって、スペインがこれまで連載で書いてきたような様々なクセを持つ場所だったことは、まったく予想外であり、その衝撃は自分の中でまだ十分に咀嚼できていない。とはいえ、そういうスペインの変わった部分から学んだことは多かった。
スペインに行ったからといって、就職が決まったわけでもないし、スペイン人と恋に落ち結婚が決まったなんてこともなく、人生の問題が一発で解決される類の出来事は何もなかったのだが、自分の場合、一度脱出してみて本当に正解だった、と思っている。
最近は、帰国して戻った東京の実家で仕事もせず、ひきこもり生活中なのだが、時々スペイン風オムレツやガスパチョを作ったり、スペイン人を見習い、まず日々を楽しく暮らすことに力を入れている。
もしも「かしこまった」生活に疲れてきたら、あなたも「スペインに脱出」どうだろうか。
30歳を目前にして日本の息苦しい雰囲気に堪え兼ね、やむなくスペインへ緊急脱出した飯田朔による、母国から遠く離れた自身の日々を描く不定期連載。問題山積みの両国にあって、スペインに感じる「幾分マシな可能性」とは?