21世紀のテクノフォビア 第3回

フランケンシュタインの怪物とクローン恐竜(後編)

速水健朗

20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利にするはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。
なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。
今回は前編に引き続きテクノロジーによる「生命創造」について。『フランケンシュタイン』から、『ジュラシック・パーク』まで、人間はどのように「人工でつくられた生命」を欲望し、それを恐れてきたのだろうか。

■恐竜と人間が共存する世界

暴走した恐竜が人間に牙をむく。技術で管理、監視できるつもりのはずが、想定を超えた事態が次々と起きる。これが『ジュラシック・パーク』シリーズに共通する物語。だがシリーズの最終作は、人間と恐竜が共存する話として締めくくられた。

このシリーズの恐竜は、単なる遺伝子工学で復活した太古の生物だけではない。ゲノム編集によって別の生物のDNAが組み込まれたスーパー恐竜だ。彼らが人間の社会に侵食し、共存する図は、遺伝子組み換え作物や食用肉がなし崩し的に規制緩和が行われ、市場での流通も始まり、人々は有無を言わさず受け入れざるをえなくなった状況を踏まえたブラックユーモアにも見える。

ただ恐竜たちがつぎつぎと撃ち倒されていく展開は受け入れ難かった。シリーズが続くうちに、我々はすっかり恐竜の側に肩入れするようになってしまった。『ジュラシック・パーク』の恐竜たちはジョーズのようなモンスターではない。少なくとも僕は、恐竜側を応援視点で映画を見ている。「人間なんかにやられるな」と「奴らを食いちぎれ」。

品種配合によって生まれた穀物作物などはすでになじんで久しい。だがそれが遺伝子操作された作物となると話は別だ。穀物が先に世に出ているが、昨今では、次の段階に進み、肉厚にしたマダイなどが商品化されたばかり。まだこれを体内に入れることへの抵抗感はあるはずだ。ちなみに遺伝子操作された食品を「フランケンシュタイン・フード」と呼ぶ。おそらく、この言葉を考えた経緯の中に、SF作家のアイザック・アシモフが名付け親である「フランケンシュタイン・コンプレックス」が意識されている。

「フランケンシュタイン・コンプレックス」は、人工的に創造された疑似生命が人間社会に反旗を翻す作品群がたくさんつくられていることへの言及だ。人は、疑似生命に恐れや不安を抱き、彼らから復讐を受けることへの恐怖を憶えやすい。〝親殺し〟〝神殺し〟への恐れといってもいい。物語の中では、その構図が普遍的に現れてくる。フランケンフードは、人間が技術で作った生物(動植物)を、さらに人間が殺して食料とするという行為である。存在自体が恐れの対象なのに、それを食べてしまおうというのだ。まさに神をも恐れぬ……。

■フランケンシュタインとは

“そもそも”をさかのぼるとメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン〜あるいは、現代のプロメテウス』に触れなくてはならない。この小説が書かれたのは1818年。

シェリーの『フランケンシュタイン』に登場するのは、犯罪の死体のパーツをつなぎ合わせ、雷に打たれて生命が吹き込まれた未知のモンスターだ。初めから怪物だったわけではない。自分の実験の成果物を目にしたヴィクター・フランケンシュタイン博士は、自ら研究室から逃げ出してしまう。その実験の成果物は、自らの意思で研究室の外に出て、やがて失意の中で暴走に至る。そして、創造主である博士への復讐心を抱く。

評論家の小野俊太郎によれば、このモンスターとは「クローン技術のように、既存の生命に基づいた再創造」なのだという。ロボットやAIのようなテクノロジーによってつくられた生命ではなく、むしろ生命に近いものに、再度、命を吹き込む。恐竜をDNAから復活させるのに近い。

博士のヴィクターは、この実験の結果、研究室から逃げ出してしまう。小野はこのシーンをヴィクターが突然父になったことから逃げ出したのだろうと読み解く。「若いヴィクターにはそうした心の準備はまったくなかった」。そう、実験室で生まれてきたのは、博士の私生児のようなもの。覚悟もないまま突然、父になることを突きつけられたヴィクターは、その重さに絶えきれず、その場から逃げ出した。息子は、親に捨てられたことでモンスターへと成長する。

一方、モンスターは、当時の生物科学の先端から生まれたものでもあった。とはいえ電気ショックで生命が生まれるというアイデアは、21世紀の現代から見るとテクノスリラー小説としては、物足りなく思える。もちろん、当時の知識ではそうではなかった。博士のヴィクターは「大学で化学を学び、解剖学や死体の腐敗の観察を通じて、ついに秘密を手に入れ、それを実験して」*1 という経緯で、人造人間を生み出している。

18世紀末にイタリアのガルバーニが筋肉の収縮と電気の関係の推論を発表した。生命が電気によって宿るというアイデアは、まだ未解明で可能性を帯びている最新化学の領域にあった。

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20年前は「ゲーム脳」、今は「スマホ脳」。これらの流行語に象徴されるように、あたらしい技術やメディアが浸透する過程では多くの批判が噴出する。あるいは生活を便利なはずの最新機器の使いづらさに、我々は日々悩まされている。 なぜ私たちは新しいテクノロジーが生まれると、それに振り回され、挙句、恐れてしまうのか。消費文化について執筆活動を続けてきたライターの速水健朗が、「テクノフォビア」=「機械ぎらい」をキーワードに、人間とテクノロジーの関係を分析する。

プロフィール

速水健朗

(はやみずけんろう)
ライター・編集者。ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会について執筆する。おもな著書に『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)『1995年』(ちくま新書)『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』(朝日新書)などがある。

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