ウクライナの「戦場」を歩く 第4回

フィクサー・アンドリの覚悟

伊藤めぐみ

■愛妻家の撮影監督

アンドリのもともとの仕事はコマーシャル映像のDOP(撮影監督)だ。撮影もするが、メインは撮影の条件を決める仕事。時にはプロデューサー業もこなし、撮影の許可取りから交渉までしているそう。どうりで要領がよいはずだ。

彼の口癖は「マイ・ワイフはね……」だった。

彼には妻と3歳の息子がいる。

「戦争が始まった時は家族でウクライナ西部に避難したんだ」

知り合ってだいぶ経ってから、アンドリは侵攻開始直後の1ヶ月の間、キーウを離れていたと教えてくれた。

「最初は逃げたよ。守らなきゃいけない家族がいたから。でもこの状態を続けることはできないとも思ったんだ」

その後、アンドリは妻と息子を、知り合いのいるスペインに送り出すことを考え始める。

彼自身は一緒には行けない。総動員令が発令されたウクライナでは18歳から60歳の男性の出国が原則禁じられている。召集の可能性に備えるためだ。

ちなみにアンドリにスペインの知り合いがいるのは、チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故が理由だ。彼は私と同じ37歳。事故のあった1986年4月の事故当時は2歳前で、その後の幼少期は毎年夏に放射線から離れて保養するためにスペインに滞在していた。

「スペイン行きをマイ・ワイフに切り出すのに、1週間かかったよ。一番いいタイミングで言おうと思ってね」

「リビウとか西部の大きな街で家族一緒に暮らすことは考えなかったの?」と尋ねると、

「そこで僕が何をするのさ! 僕は写真が撮れる。だったらキーウに戻ってできることをしようと思ったのさ」

そんな答えが返ってきた。

アンドリ自身もよく写真撮影していた。キーウ近郊で路上に残された燃えたロシア軍の戦車を撮影しているところ。4月8日に筆者が撮影
「僕らは写真中毒」と言いながら撮影していたアンドリ(手前)と八尋さん(後ろ)。キーウ近郊で4月12日に筆者が撮影
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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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