2022年2月下旬、ロシアによる突然の侵攻によって「戦地」と化したウクライナ。そこでは人々はどのように暮らし、いかなることを感じ、そして何を訴えているのか。日々のニュース報道などではなかなか窺い知ることができない、戦争のリアルとは。
気鋭のジャーナリストが描き出す、いま必読の現地ルポ・第3回。
※以下、血痕の写った写真がありますのでご注意ください。
■ウクライナの忠犬ハチ公
「ウクライナの忠犬ハチ公」。そう報道された犬がいる。死んでしまった飼い主を待っている秋田犬がウクライナにいるというのだ。
早速、取材に行くことになった。ただ、キャッチーな名前が気になったというのが正直なところで、その話を聞いた時はこの犬の飼い主にどれだけのことが起きたのか、またその犬が暮らす場所で何が起きたのか、私は深くは理解していなかった。
「ハチ公」のいるマカリウは、ブチャ同様、ロシア軍に占領されていた町だ。ブチャよりもさらに西にある。
4月13日、町のはずれのその「ハチ公」がいる家を訪れた。茶色とオレンジ色のレンガ風の真新しく明るい建物。その軒先に毛並みがボサボサになり痩せた秋田犬がいた。
ウクライナの犬はたいてい人懐っこく、見ず知らずの人間にも「なでてよー」と言わんばかりに寄ってくる。しかしその犬はこちらを警戒するような目で見ていた。フィクサーのアンドリが持っていたドッグフードをあげようと近寄ると、
「うーーー」と低い声で唸った。
あたりにはロシア軍の残した食料や武器の箱などが散乱していた。ロシア兵によってこの家は勝手に使われていたのだろう。
「この犬の名前はリニだよ」
一人の男性に声をかけられた。妻と10歳くらいの娘と一緒だ。家族で、ハチ公あらためリニに餌をあげに来たのだという。この男性、アレクサンドル・ムシヤンクさん(46歳)が続けた言葉に私は耳を疑った。
「リニの飼い主のタチアナさんは殺されたんだ。ロシア軍のチェチェン系の兵士カディロフツィにレイプされてね」
詳しく話を聞くとこうだった。
彼らはタチアナさんの隣人。彼ら自身もロシア軍の占領初期の頃にはこの町にいたが、その後、避難した。そして3月下旬以降のロシア軍のキーウ近郊からの撤退の流れで、マカリウの町も解放され、最近、戻って来たらしい。
別の隣人から伝え聞いた話としながら、アレクサンドルさんが言うには、タチアナさんはロシア軍の兵士に別の家に連れて行かれて、6−7日間閉じ込められてレイプされ殺されたという。
彼女をレイプし、殺したという「カディロフツィ」とは、チェチェン共和国の民兵組織。部隊を率いるカディロフはプーチン大統領の忠犬とも言われ、部隊はかなり残虐なことで知られている。
タチアナさんは、託児所で仕事していた。年齢は38、9歳くらい。夫は去年、コロナで亡くなったという。アレクサンドルさんに親しかったのかと尋ねると、こんな答えがあった。
「家族一緒にバーニャ(蒸し風呂)で過ごしたり仲のいい隣人だったよ」
タチアナさんがロシア軍の侵攻後も逃げずに残ったのは、動物と裏の家に住んでいるお年寄りの世話のためだったという。
タチアナさんが監禁されていた家が近くだというので、連れて行ってもらうことになった。
豪華なキッチンはありとあらゆる瓶や器で埋め尽くされ、どうしたらここまで汚せるのかというくらい散らかっていた。
二階の寝室ではベッドからマットレスがずれ落ち、布団が無造作に置かれていた。両方に大きな血の染みがあった。
ロシア兵が監禁場所として使ったこの家の持ち主は女性だったらしい。ロシア兵が来る前にもう逃げていたようだが、鏡台にはいい匂いのしそうな化粧品や香水が並んでいた。床には赤いレースの下着が落ちていた。この美しい部屋でタチアナさんが何をされたのかを想像するとものすごく気分が悪くなった。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。