ウクライナの「戦場」を歩く 第5回

言語から見るウクライナの歴史

伊藤めぐみ

しかし、ここで一件落着とはいかない。

ヤヌコービッチが2月に去り(ロシアに亡命)、新しく欧米寄りとされるポロシェンコが5月に大統領に選ばれるまで、ウクライナ各地は無政府状態になった。

ロシア側はこの状況を利用した。2014年3月に、ロシア系住民が約6割を占め、親露派が多いとされるクリミア半島がロシアに編入された。事前に編入を問う住民投票が行われたが、裏ではロシア政府が強く関与していたと言われる。

またロシア系住民が多い東部でも、独立投票が行われた。事前にロシアの諜報員、扇動家が入り込み、地元の協力的な自治体関係者や治安機関、準軍事組織が中心となって、州政府庁舎や警察庁舎を占拠するなど不穏な状態が続いていた。投票の結果、ロシアの傀儡と言われる自称国家「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」が分離独立することになった。この投票についても正当性は疑われている。

ウクライナ軍も反撃を行ったが、ロシア政府は両「人民共和国」に軍事介入や財政援助を行い、戦闘が続いた。

2015年2月に「ミンスク合意2」がなされて以降、東部では大規模な軍事衝突は起きていないが、散発的で小規模な戦闘は続いている。死者は累計で1万人を超えた。ドンバス2州の3分の1が、「人民共和国」に実効支配されている状況となった。

この間、ロシア側はウクライナで情報戦を行っていた。ロシア語でのプロパガンダを、SNSを中心に大量に流した。『140字の戦争』(デイヴィッド・パトリカラコス著/江口泰子訳、早川書房)に詳しいが、ウクライナ政府を滑稽にみせかけ、「ファシスト政権」としての脅威を印象づけるフェイクニュースやミームを量産したのだ。

また親欧米政権発足の背後には、アメリカのオバマ大統領やドイツのメルケル首相の存在があるとの言説も流れた。ユーロマイダン革命を欧米諸国が支援したのは事実だが、そこに乗じて欧米諸国がすべてを操って行ったかのような印象を生み出したわけだ。これにより、ロシア語のニュースだけを見る地域や年齢層では、ウクライナ政府や西側諸国への反感が増していった。

もちろん、ウクライナ政府にも問題はあり、彼らの腐敗も深刻だった。しかしロシアの情報戦によって流されるウクライナ政府批判はその実態を遥かに超えて誇張されていた。

こうして「親露派」が生まれる一方で、ロシアがこのような策に出れば出るほど、ウクライナではロシア政府への反感も生まれた。その結果として、情報戦に利用された言語であるロシア語への負の感情が膨らんでいったのである。

言語が武器にされてしまったのだ。

2019年にウクライナ政府は国家語であるウクライナ語の機能を定めた法律を採択し、その後、順次、発効していった。

公務員や医者、軍人が職務を行う際、またレストランなどの公共の場ではウクライナ語を使用することが規定された。また新聞などのメディアでは、外国語(ロシア語含む)による出版物を発行する際には、同じ分量のウクライナ語版も添付しなければならないとされた(*9)。ただ、サービス分野で顧客が他の言語(ロシア語など)を望んだ場合には、その言語を使うことを阻むものではなく、日常生活でのロシア語使用の制限はなかった。

(*9)外国語には、特定の少数民族の言語、英語やEUの公用語を除くウクライナ語以外の言語が該当する。
https://www.hrw.org/news/2022/01/19/new-language-requirement-raises-concerns-ukraine

本当になんだかややこしいし、複雑なのだ。

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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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