■砲撃から逃れた後の恐怖
意外だったのは一番、戦場経験がある八尋さんが「今日はもうポルタバに帰りましょうか」と言い、危険地での取材に腰が引けていたアンドリが「え? 地下鉄に行くんじゃないの?」と平気そうだったことだ。
経験があるほどずぶとくなるというより、その怖さの本当の意味を理解しているようにも思える。
ただポルタバの街に戻った夕方、アンドリの様子が変なので尋ねると、
「ぼーっとしちゃった。ついさっきまで砲撃されている人たちのところにいたのに、ここでは普通の生活だから。いつもこの感覚になる」
と答えた。やっぱりみな何かしらの影響を受けているのだ。私も車のドアを閉める音まで砲撃音に聞こえて、しばらくビクビクしていた。
あの地域でずっと暮らすということはどういうことなのだろうと考える。短時間しかいられなかったので、たいしたことは言えない。
私なら真っ先に逃げたいと思う。でも特に年配者は残ることが多い。まったく勝手を知らない場所で暮らすことや、これまでの生活を失うことのほうが、砲撃で死ぬよりも、リスクのあること、怖いことなのかもしれない。
あの家族に対してオレクセイは、ヨーロッパの他の国で生活する手助けをしようとしていると言う。しかし彼ら自身が「外国でどうやって生活していけるのか?」と言っているそうだ。娘さんのこともあるから尚更だ。
逃げるか、とどまるか。自分はどうしたいか、家族はどうしたいか。意見が違うこともある。地下鉄を取材した時にも感じたが、戦争では、普段ならする必要のない究極の選択をしなければならない。
家に残るかどうかという選択だけではない。オレクセイのように他人を助けるために攻撃のある地にとどまるのか、家族や自分の身を守ることを優先するのか。戦争に抗議する声を上げるのか、いつかあるかもしれない報復を避けるため黙って耐え忍ぶのか。
かつてイラクで取材していた時も、家族を守るために身代わりとしてイスラム国に協力したという人に会った。
理想はある。外からはなんでも言える。でも、当事者になったらどんな選択をするのか私はわからない。他人からは「なんでこうしないの?」と責められ、でももう一つの道を選んだとして、うまくいくかはわからないし、それをまた責める人もいる。戦争は理不尽な選択の連続だ。
それにこういう選択肢を突きつけられている時点で、どちらかを選ばないといけないという強制なのだ。そしてどちらを選んでも痛みや苦しみを伴う。それ以外の選択肢はないし、選ばないということはできない。逃げ場はない。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。