■ジャーナリストvs国連の騙し合い
翌日は朝から避難民ハブの様子が違った。空色のベストを着た国連職員が敷地内をウロウロしているのだ。しばらくするとスキンヘッドの職員がジャーナリストを集めてアナウンスを始めた。
「今日、数時間のうちにアゾフスターリ製鉄所から避難民がここに到着します。みなさんにお願いがあります。避難民たちの中にはまだ取材を受けられる精神状態ではない人もいます。彼らを取材したい気持ちはわかりますが、話したいと望んだ人だけにしてください」
さらには、バスの近くに規制線を張り、その外側からのみジャーナリストは取材できるという制限が設けられた。
国連職員の言い分もわかる。この日も100人はジャーナリストが来ていた。前日までの様子を見て、そうせざるをえないと判断したのだろう。その時、一人の女性が声をあげた。
「ニューヨーク・タイムズのカメラマンです。提案なんですが、撮影場所をもう1箇所、到着したバスの向かって左側にも設けてくれませんか? 乗降口がある側から撮影したい人も多いと思うんです」
他のジャーナリストも「それはそうだ!」と賛成の声をあげた。これには国連職員も納得したようで、
「わかりました。そうできるように手配します」
と言い、円満に別れた。避難民を守る必要がある国連、避難民の現状を伝えたいジャーナリスト。視点は違うが、対立しているわけではない。協力は可能なのだ。
と思った私がバカだった。
朝から待ち続けて午後5時頃になった。先導する車とバスの車列がやってくるのが見えた。アゾフスターリ製鉄所の避難民を乗せたバスだ。駐車場に座り込んでいたジャーナリストたちは、急いで立ち上がりカメラを抱えて到着シーンを撮影しようと待ち構える。敷地に5台のバスが入り、順番に停車した。
そこからはあっという間だった。到着した途端、ほとんどのジャーナリストが規制線を越えてバスの方へ、わーっとなだれ込んだのだ。
先ほどのニューヨーク・タイムズの女性カメラマンも真っ先に内側に入ってバシャバシャと写真を撮っていた。
のろまな私は思わず、ポカンとその光景を眺めていた。
「あれ? だめなんじゃなかったっけ?」
規制線の外に残っている人はほんのわずか。通訳をしてくれていたマックスに「行く?」と問われ、一人律儀にルールを守っても仕方ないと私も中に入ることにした。
ユニセフ(国連児童基金)の職員と警察官が子どもを囲んでカメラから守ろうとしていた。ジャーナリストに対してものすごい舌打ちをし、悪態をついている。
しかし、この話には驚きのどんでん返しが待っていた。ほどなくしてマックスが衝撃の一言を放ったのだ。
「彼らはアゾフスターリ製鉄所からの避難民じゃないみたいだよ」
よくよく確認すると、ハブに到着した100人ほどのうち、アゾフスターリ製鉄所から避難してきたのは20人ほど。残りはアゾフスターリではなくマリウポリ各地から来た避難民だというのだ。
今回はアゾフスターリから101人がザポリージャへ避難できたとされており、他の80人ほどは、ジャーナリストを避けるためにハブには寄らず、直接ホテルに向かったということらしい。国連にも一杯食わされたわけだ。
まあ、アゾフスターリの避難民もゼロではないし、ジャーナリストのほうがタチが悪いのだが、なんだかおかしな騙し合いが行われているのである。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。