■二度目のザポリージャ 群がるジャーナリスト
ザポリージャ駅に午前7時30分に到着し、ホテルに荷物を置いてタクシーで現場に向かう。
避難民ハブとして使われている見慣れたホームセンターの駐車場には、すでに多くの人たちが集まっていた。
避難民ではなく、ジャーナリストが、である。次第に数は増え、最終的には100人は優に超えていた。
ウクライナ人はもちろん、アメリカ、フランス、スペイン、イタリアなど欧米のジャーナリストが多い。キーウ近郊では見かけたインド人はいないようだ。日本からはTBSのクルーが4月に来ていたようだが、この日はいなかった。BBCやアルジャジーラなどの大手メディアの姿もあるが、フリーランスもいる。
各地の紛争地での取材を通してすでに顔見知り同士も多いらしく、再会を喜んだりしている。私もイラクやレバノンでの知り合いに何人か会った。
報道からわかっているのは、アゾフスターリから前日の昼に数台のバスが民間人を乗せて出発したことだけだった。
戦争前はマリウポリからは車で3、4時間ほどでザポリージャに来られたが、今はロシア軍占領地の検問で止められるので、何が起きてもおかしくないし、何日の何時に着くかも定かではない。
いつ来るかわからない避難民を撮影しようと、大勢のジャーナリストが待機していたのである。
一方で避難民ハブには、アゾフスターリ以外の場所から自家用車で避難してくる人々が続々と到着していた。避難民にとって集団のほうが安全であることと、検問が開くタイミングもあって、車は十数台でまとまってやってきていた。
私も他のジャーナリスト勢に紛れて様子を窺っていたが、やがて奇妙な光景が広がり始めた。
避難してきた車の集団が到着するとジャーナリストが一気にわっと彼らに群がるのである。車に駆け寄って写真を撮り、映像を撮影し、コメントを求める。アゾフスターリ製鉄所からの避難民がまだ到着しないので、とりあえず代わりに手近にあるものを撮影するといった雰囲気である。
見ていて興味深かったのは、ジャーナリストがまず撮影したがるのは、小さい子どもだったことだ。それから犬などの動物、そして戦闘に巻き込まれるなどしてフロントガラスが割れている車だ。
私も同じようなことをしていたので、どの口が言うという話なのだが、その光景を見て私は「ブチャの虐殺」(連載第2回参照)の時と同様に、嫌悪感を抱いてしまった。「良い画」を撮りたいという欲望があからさまなのである。
避難してきた人の中には、突如、大勢のジャーナリストに囲まれてキョトンとしている人もいた。情報が寸断され外の状況をよく知らずにきた人も多いのだ。最初は暗い顔だったのに期待に応えようとガッツポーズをして話す人もいた。
午後にはジャーナリストもこの撮影に飽きてきたのか、車が到着しても群がることはなくなり、この日は結局アゾフスターリからのバスも到着しなかった。
ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。
プロフィール
1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。