ウクライナの「戦場」を歩く 第10回

メディアスクラムとアゾフスターリ製鉄所

伊藤めぐみ

■深夜1時に静かに到着するバス

翌日の避難民ハブは昨日とはうってかわっての静けさだった。ジャーナリストの多くは、「アゾフスターリから最初の避難民が到着」という画が撮れたので次の取材先に向かっていた。

八尋さんもドンバス地域の前線取材に行くということで、ここからは別行動をとることになった。せっかくなのでバス停まで見送ってあげようかと思ったが、早々と出発していった。私は前線に行く準備も勇気もなく、もう少し避難民の話をしっかり聞いてみたいと思い、一人残ることにする。

ひっそりとしたハブの様子を見て、引き続き通訳をお願いすることにしたマックスに、

「なんか昨日のことが夢みたい」

と言うと、

「夢じゃなくて悪夢だよ」

という言葉が返ってきた。

「今ならようやく落ち着いて避難してきた人たちの話が聞けるはずなのにね!」

とマックス。実際にはアゾフスターリからの避難民の滞在先に出向いて話を聞くジャーナリストもいたし、速報を専門とするメディアもある。

でも丁寧に避難民たちのケアを続けてきたボランティアの人たちからしてみれば、突然、押し寄せて去っていくジャーナリストに不信感でいっぱいなのだ。報道の大切さは彼らだって知っている。だからこその苛立ちだ。

付け加えて言うと、結局、私は前日に撮影した映像をどこのテレビ局にも出すことができなかった。偉そうなことを言っても、取材したものを出せなければ、取材を受けた人たちの声が聞かれることはない。

しかしその日、私はアゾフスターリ製鉄所からの避難民到着よりも印象的な現場に遭遇することになった。

夜の1時頃に数台の大型バスがロシア軍支配地域から到着した。7、8人しかジャーナリストはおらず静かだった。

日付が変わった頃に到着した避難民。5月5日に筆者が撮影

真っ暗闇の中を、不安と安堵を抱えた人たちが静かにバスから降りてきた。持てるだけのスーツケースやかばんを引きずりながらテントへ向かう。

様々な恐怖を経験してきたことは想像に難くない。聞かれるべき言葉を持っている人たちのはずだったが、彼らは本当に静かだった。

「お茶にしますか、コーヒーにしますか」

ボランティアの人たちが疲れ果てた避難民たちに温かい飲み物を差し出している。受け取る人たちのほっとした表情を見て、私は激しく動揺していた。

同胞から笑顔で差し出される飲み物がいかに気持ちをほぐしてくれることか。避難民たちは椅子に座り、明るいところで食事の一口一口を味わい、疲れた体に染み渡るのを感じている。

彼らの気持ちが今までになく想像させられた。カメラを回さずに、インタビューせずにいることで強く感じるものがあった。

その顔に浮かんでいるのは安心だけではない。これから自分たちはどうするのか、家族とどうやって生きていくか、不安しかないこれからのことを考えてまた表情が曇る。でも、今はとにかくこの一口を味わいたいと思っているようだった。

マックスは以前、

「あったかい飲み物を渡して安心させるように声をかけている。それだけで泣いちゃう人もいるんだよ」

と話していた。

これまで見逃していた表情があったことに改めて気づく。

何日もハブに通っていたのに、撮影もインタビューもあまりしなかったこの日ほど、到着した避難民の安心と不安が迫ってきたことはなかった。

映像を撮らなければ、証言を得なければと焦り、前のめりになるほど、その場の雰囲気からどんどん自分が乖離していたのだ。一つのコメント、一つの映像を得ることにこだわると失うものがある。

そして相手の状況をまず感じようという感覚があるのとないのとでは、その後でする質問も、撮る映像も違ってくるのかもしれない。

取材をするものとして、これからまたたくさんの人の話を聞く際にも、この日のことは忘れないでおこうと思った。

写真3枚はすべて到着したばかりの避難民たち。5月5日に筆者が撮影
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ウクライナの「戦場」を歩く

ロシアによる侵攻で「戦地」と化したウクライナでは何が起こっているのか。 人々はどう暮らし、何を感じ、そしていかなることを訴えているのか。 気鋭のジャーナリストによる現地ルポ。

プロフィール

伊藤めぐみ

1985年三重県出身。2011年東京大学大学院修士課程修了。テレビ番組制作会社に入社し、テレビ・ドキュメンタリーの制作を行う。2013年にドキュメンタリー映画『ファルージャ ~イラク戦争 日本人人質事件…そして~』を監督。同作により第一回山本美香記念国際ジャーナリスト賞、第十四回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。その他、ベトナム戦争や人道支援における物流などについてのドキュメンタリーをNHKや民放などでも制作。2018年には『命の巨大倉庫』でATP奨励賞受賞。現在、フリーランス。イラク・クルド人自治区クルディスタン・ハウレル大学大学院修士課程への留学経験がある。

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