プラスインタビュー

マルクス・ガブリエルの新実在論が注目を集める理由とは

『新しい哲学の教科書』著者・岩内章太郎氏インタビュー
岩内章太郎

恩師の鶴の一声で、学生時代は現象学に取り組んだ岩内氏だが、死の問題、ひいては人間の生きる意味の探究、あるいはニヒリズムに対する関心は一貫して持ち続けていた。その問題意識が、新著『新しい哲学の教科書』に活かされている。

――『亡霊のジレンマ』(カンタン・メイヤスー)とか『なぜ世界は存在しないのか』(マルクス・ガブリエル)とか、本のタイトルを見ただけで、素人目には難解な印象を受ける現代実在論が、ご著書では見事なほど明快に整理されています。そのための仕掛けの一つが、先行するポストモダン思想を「ニヒリズムの時代」の思想、現代実在論は「メランコリーの時代」の思想とする位置づけです。ニヒリズムとメランコリーとはどう違うのですか?

岩内 ニヒリズムとは簡単に言えば、人生の意味(価値・理想・目標)を喪失する経験です。それも積極的に従来の価値観を否定する傾向があります。これに対してメランコリーは、そもそも強く否定すべき意味や価値をもたない。感覚的に言うなら、ニヒリズムが絶望であるのに対して、メランコリーは希望も絶望もない気だるい気分、倦怠(けんたい)です。

――絶望と倦怠、それが現代哲学の潮流とどう重なるのでしょう?

岩内 ポストモダンという言葉はフランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールの『ポストモダンの条件』(水声社、原著は1979年)によって広まりました。邦訳が刊行されたのが1986年で、その後にベルリンの壁の崩壊(1989年)やソ連の解体(1991年末)といった歴史的大事件が続き、社会主義か自由主義かという大きな価値観をめぐる争いが終わった。

リオタールが提起した「大きな物語の終焉」という時代認識に多くの人が共感しました。それは同時に理想の終焉、つまりニヒリズムの時代でもありました。この時代に影響力をもったのが、フーコーやデリダのポストモダン思想、それは欧米中心の価値観に対する問い直しであったのですが、従来の価値観を徹底的に相対化するものでしたから、時代のニヒリズム的状況にフィットしたわけです。

――その後、ポストモダン思想に飽き足らない世代が台頭してきたわけですね。

岩内 ポストモダンの後、実現すべき価値が見失われた状況が続くなかで、ニヒリズムとも違う、メランコリーとでもいうべき時代の気分が蔓延します。それが現在です。1987年生まれの私自身が、実感としては、物心ついたら90年代で、ポストモダン以後の時代で成長した世代です。

日本思想だと宮台真司さんの『終わりなき日常を生きろ』(筑摩書房) が1995年、東浩紀さんの『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)が2001年、國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社))が2011年、という流れです。

90年代以後に育った世代は、「何をしたいわけでもないが、何もしたくないわけでもない」という感覚を持っています。これはポストモダン時代の価値崩壊というニヒリズムとは違う、希望もなければ絶望もない倦怠の感覚、メランコリーです。

だからと言って今の若者は「何もしなくていいや」と投げやりになっているわけではなく、「何かすべきでは」とちょっと悩んでいる人も多い。そういう世代に、ガブリエルらの新しい実在論が受け入れられているのでしょう。

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プロフィール

岩内章太郎

1987年生まれ。早稲田大学国際教養学部助手を経て、現在、早稲田大学ほかで非常勤講師を務める。主な論文に「思弁的実在論の誤謬」(『フッサール研究』第一六号)、「判断保留と哲学者の実践」(『交域する哲学』月曜社)など。2019年10月に刊行された『新しい哲学の教科書 現代実在論入門』(講談社選書メチエ)が初の著作となる。

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