時代の気分にフィットし、常識的で、バランス感覚もあるリアリズム、現代実在論はたいへん結構な考え方のように見えるが、岩内氏はそのロジックには問題点もあると指摘する。
岩内 哲学というものは困っている人間のためにあると思うのです。マルクス・ガブリエルの場合は、本当に困っている人間に届くかな、みたいな懸念もありますね。
――困っている人のために役立たないというのはどういうところでしょう?
岩内 ガブリエルの「実在」とか「本質」とかに対する考え方が、ちょっと素朴すぎるんです。
たとえば、善悪の秩序(道徳)は実在するとガブリエルは主張します。普通に生きていてそれで満足している人にとってはそれでいい。しかし、既存の道徳が人間を抑圧してきたこともまた事実です。「女性は女性らしくあるべきだ」というような道徳が、どれだけ多くの女性たちを長い間抑圧して来たことか。
――それこそポストモダン思想が指摘して来たことですね。
岩内 だから私は今の新実在論の考え方には危ういところもあるなとも思うのです。自由の普遍性をどう社会的に担保していくのか。信念対立が起きた場合に、それをいかに調整して普遍性に向かっていくのか。そういう点がマルクス・ガブリエルとか現代実在論を読むと物足りない。ポストモダン思想が出た哲学史的な意味を、形式的には受け取っていますが、十分に受け取っていないのではないか、と考えざるを得ない。
「普遍性」というのは、いつ、どこで、誰が考えても納得できる、ということですが、もしそれが独断的かつ一方的に主張される場合には、それに同意しない人間を排除する力学が生まれる。
私は、早稲田大学国際教養学部、同大学大学院国際コミュニケーション研究科で、さまざまなバックグラウンドをもった友人たちと交流してきました。友人たちとの交流や議論を通じて、「普遍」や「本質」という言葉は慎重に使う必要がある、ということを学びました。「普遍って誰にとってのものなの?」「本質って自由を抑圧する概念じゃないの?」といった疑問が出てくるのです。そういう意味で、もう一度近代哲学とポストモダン思想の仕事を評価して、前進することが必要になると思います。
現代哲学の最新の潮流を明快に整理しただけではなく、その限界も見切っている俊秀の出現。これには日本の哲学も面白くなってきたと思わざるを得ない。岩内氏の世代が今後どのような独自の思想を展開するのか、将来が楽しみだ。
文責:広坂朋信/写真:野崎慧嗣
プロフィール
1987年生まれ。早稲田大学国際教養学部助手を経て、現在、早稲田大学ほかで非常勤講師を務める。主な論文に「思弁的実在論の誤謬」(『フッサール研究』第一六号)、「判断保留と哲学者の実践」(『交域する哲学』月曜社)など。2019年10月に刊行された『新しい哲学の教科書 現代実在論入門』(講談社選書メチエ)が初の著作となる。