対談

「日本の劣化」を食い止めるカギは「森のようちえん」にある!?【前編】

宮台真司×おおたとしまさ

大切なのは「言葉の外」の世界に出る経験

宮台 アフォードあるいはアフォーダンスの概念は、ウィリアム・ギブソンが言い出した概念です。僕らは観察・評価・行動決定する主体じゃなく、むしろ主体はモノで、モノにコールされて自動的にレスポンスする身体だと言います。

精神分析学寄りの哲学では「シニフィアンの優位」とも言います。わかりやすく言うと、言葉のラベルを貼り付けられないものに動かされること。言葉の外にダイナミックな流れが展開しているという感覚です。

古代ギリシアのタレスは「万物は水」と言い、それが哲学の始まりだとされます。これを「流れのダイナミズム」を指すものだと理解するなら、同時代の原始仏教の発想にも共通する普遍的な認識です。

僕らは言語以前のダイナミズムを生きてきました。精神分析では、物理的時空を「現実界」と言い、体験として現れる時空を「想像界」と言いますが、文明化を背景に、体験の時空が、言葉の時空である「象徴界」に制御されはじめます。

でも、象徴界はいつも不完全だから、言葉では表しようのないものが、現実界から想像界へと侵入してきます。それをフランスの思想家のジョルジュ・バタイユは「呪われた部分」と言いました。

ゲルマンには古くから「森の哲学」がある。森を、「言外・法外・損得外のダイナミズム(動態)」とパラフレーズできます。子どもたちを森に連れて行くと一日で顔つきが変わる。一皮むけた存在に成長します。子育てで実感しました。

三歳の長女と公園で遊んでいたら、「黒光りした戦闘状態」で無言のままジャングルジムを高速で動き回る子らがいた。彼らに尋ねたら、完全自由保育で、ふざけ・いたずら・けんかを制止しない園だった。それで三人の子どもを入れました。

近所の公園には明治の東京農学校由来の完全有機農法のたんぼがあって、収穫期が終わると時々開放されるんですが、そこでぐちゃぐちゃの泥だらけになって虫取りやカワニナ取りをして遊ぶだけでも、子どもは変わるんです。

そういうのを一個一個よく見ると、僕ら大人が子どものために準備しなきゃいけないものが──子どもたちの毎日に昔あって今欠けているものが──経験的に明確にわかるんですよ。

いまの劣化した親は「いい学校に入れれば幸せになれる」とか「勝ち組になれる」とか言う。なれねえよ! 身体性のないやつはモテないし、「言外・法外・損得外」に開かれていないやつは友愛も性愛も貧しいままタワマンで孤独死するんだよ。

おおた それでは何のための教育だか……。

宮台 特に日本ではこの傾向が顕著です。劣化した親が、劣化した子どもを量産しています。「言葉の自動機械・法の奴隷・損得マシーン」の自己増殖です。実におぞましい。

おおた どうして日本の親はそうなってしまったんでしょうか。

宮台 ヒラメ(上にへつらう)とキョロメ(周囲に合わせる)という日本人の劣等性のせいです。抽象的には、適応(適応的学習)優位で、貫徹(価値的貫徹)劣位という、あるまじき構えです。

でも、日本に「世間」があった頃は、この「日本人の劣等性」が「日本の劣等性」としては露呈しなかった。ところが、60年代団地化と80年代コンビニ化(新住民化)で、地域と家族が空洞化し、世間が消え、クズが野放図になりました。

60年代の団地化は、「専業主婦への依存」が「地域の空洞化を埋め合わせて加速」した。80年代のコンビニ化は、「システム(市場と行政)への依存」が「家族の空洞化を埋め合わせて加速」した。コンビニ化と新住民化は表裏一体です。

子どもが育つ環境から見た大きな変化は80年代のコンビニ化=新住民化です。土地に縁のない新住民が多数派になり、子どもをトータルに承認する力のない劣化した新住民親が、安全・便利・快適を望む一方、「子どもの領分」を奪った。

おおた 危険だという理由で公園から遊具がどんどん撤去されました。

宮台 「骨が折れたら誰が責任とるんだぁ~!」とか。このひとたちが行政訴訟を連発したせいで、行政がビビッて遊具撤去し、マンション管理組合が屋上ロックアウトし、教育委員会が放課後校庭をロックアウトしたわけです。

おおた 要するに大人が責任を取りたくないから、子どもが危ないことをすることを全部閉じちゃった、っていう。

森のようちえん全国ネットワーク連盟の理事長の内田幸一さんは1970年代後半に東京都渋谷区にある幼稚園で働いていたそうです。1980年代に入って、子どもたちに危ないことを禁止するようになっていって、これじゃまずいって思って、時計の針を巻き戻さなきゃって考えたそうです。実際には長野県の山の中に移住して、そこで昔ながらの環境を生かした子育てを実践しようとして、森のようちえんの先駆け的なことを始めるわけです。

 

社会学者・宮台真司氏(右)と教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏(左)

《次回予告》
森のようちえんの紹介から始まり、話題は「日本社会」の劣化へ。次回は宮台さんが劣化の原因を鋭く指摘しながら、「文明の再生」に至るための道筋を大胆に提案します。そしてさらには、いま話題のメタバースも議論の俎上にのぼります。注目を集めているメタバースですが、人間の疎外にも繋がりかねない危うさを孕んでいるとのこと。その危険性を感知できる人間を育てるカギになるのが、意外にも森のようちえんだというのです。宮台さんの真意とは、果たして……?

※本記事は2022年1月10日(月)に本屋B&Bで行われた『ルポ森のようちえん SDGs時代の子育てスタイル』(集英社)刊行記念イベント「『日本の劣化』を食い止めるカギは『森のようちえん』にある!?」の内容を一部再構成したものです。こちらのイベントについては2023年1月10日(火)まで、以下のページでアーカイブ動画が販売されております。
https://bbarchive220110a02.peatix.com/

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プロフィール

宮台真司

1959年宮城県生まれ。社会学者。映画批評家。首都大学東京教授。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。社会学博士。1995年からTBSラジオ『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の金曜コメンテーターを務める。社会学的知見をもとにニュースや事件を読み解き、解説する内容が好評を博している。著書は『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』『日本の難点』(いずれも幻冬舎)、『14歳からの社会学』(ちくま文庫)、『社会という荒野を生きる。』(ベスト新書)、『子育て指南書 ウンコのおじさん』(共著、ジャパンマシニスト社)、『音楽が聴けなくなる日』(共著、集英社新書)など多数。

おおたとしまさ

1973年東京都生まれ。教育ジャーナリスト。1997年、株式会社リクルート入社。雑誌編集に携わり2005年に独立。数々の育児誌・教育誌の編集に携わる。新聞・雑誌・Webへのコメント掲載、メディア出演、講演多数。著書は『ルポ塾歴社会』(幻冬舎新書)、『受験と進学の新常識』(新潮新書)、『麻布という不治の病』(小学館新書)、『いま、ここで輝く。: ~超進学校を飛び出したカリスマ教師「イモニイ」と奇跡の教室』(エッセンシャル出版)、『名門校「武蔵」で教える東大合格より大事なこと』『ルポ森のようちえん』(いずれも集英社新書)、『ルポ名門校 ――「進学校」との違いは何か?』(ちくま新書)など70冊以上。

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「日本の劣化」を食い止めるカギは「森のようちえん」にある!?【前編】