いつ死ぬのがいいのか・理想の死に方
――成瀬先生のヒマラヤ修行の写真は、本にも掲載しています。氷山が落ちてくる写真は迫力がありました。氷山が崩れ落ちる姿に魅入られて、死んでしまう人もいるのですか?
成瀬 はい、います。僕も死にそうになったことが何回もあります。でも、そこでもし僕が死んでしまったとしても、それは「大成功だな」と思うわけです。
ヨーガ行者は、現世に対する執着がなくなっていくものです。財産や家族、名誉だとか、そういったものにしがみつかない、執着をなくす生き方は理想ですが、そうは言っても、なかなかなくならないものです。食欲などは、死ぬまでなくならいでしょう。
「なくせ」と言っても、なくならないんです。
だから、「なくす」のではなくて「離れる」んですよ。
「離れる」というのは、あってもいいし、なくてもいいと思えること。
そうすると、死の瞬間、もしかして氷山・氷河でアクシデントがあって死を迎えたとしても、「ああ、今、人間卒業なんだな。これはよかった、卒業証書が来た」と思えるわけです。でも、死にたいわけじゃないですよ。その逆で、一生懸命生きたいんです。
一生懸命生きた結果、今、死が来るのだったらウェルカムなんです。
――黒澤明監督に「生きる」(1952年)という映画があります。主人公を演じたのは志村喬で、市役所の小役人だった彼はそれまで小さく生きていましたが、あるとき余命宣告される。一度は自暴自棄になりますが、あるとき限られた命を「本当に」生き始める。そして市民のために公園をつくろうと奔走するようになりますが、例えば、そういうことにつながるんでしょうか。
成瀬 つながりますね。だから「生きがい」は大切です。活き活きと生きられるか、生きられないかの差は大きいです。もし僕の人生が「あと三カ月です」と言われたら、失礼に聞こえたらごめんなさい。申し訳ないけれど、僕だったら「やったね、ラッキーだな」と思いますね。あと三カ月という「輝かしい日々を与えられた」と思えるから。
「今、死にますよ」と言われてもOKですが、三カ月与えられたら、もっともっと輝けるじゃないですか。
―― 内田先生はどうでしょうか。
内田 ある医者が、「死ぬんだったら、がんがいい」と言っていました。脳梗塞とか心筋梗塞だと急死しますけれど、がんは余命何カ月とか、わかるじゃないですか。
成瀬 時間をもらえるからね。
内田 死ぬ直前までは、生活の質もそれほど劣化しないらしい。それだけの時間の余裕があれば、自分の死の準備ができるでしょ。死ぬと分かったら、これまで立場上断れなかった義理ごとも、全部やめていいわけですよね。残された時間で、「自分が本当にし残したことって何だろう?」という問いに向き合うことができる。
だから、急に死ぬのは困るんです。死を前にした時間を経験できないから。この会場で、いきなり死ぬのはあんまりうれしくない(笑)。
まあ、それでも、健康な状態から、病気を経由しないで、いきなり死んじゃうというのも、それはそれで楽なんでしょうけれど、できたら余命何カ月と正確に残り時間を言ってもらった方がありがたいなあ。片づけないといけないことがいろいろあるし、手放さなきゃいけないもの、きちんと誰かにパスしておきたいものもあるし。
本当は今のうちにやってしまえばいいんですけどね、なかなか死ぬ準備に取りかかれないんですよ。パスしてもパスしても、次のパスが来ちゃうので、手元にボールがたまっていく一方なんです。
成瀬 片づけたいことじゃなくて、もっと、「やりたいな」と思うことに食いついていったほうがいいですよ。
内田 やりたいこと、ですか?
成瀬 そう。
内田 いや、僕やりたいことを我慢したことはないので。だから今、やりたいことでやり残したことって、ないんですよ。
成瀬 見つけなさいよ。
内田 やり残したことありますかって言われたって、やり残したこと……。なんだろう?
成瀬 やり残したじゃなくて、もっとやりたいこと。例えばがんでステージⅣだった人が、どうしてもヒマラヤに登りたいと言って、それをかなえたら、がんがだんだん消滅していった、長く生きられたという例が実際にあります。
内田 僕が「あなたの人生の残り時間はこれこれです」と言われたら、おそらく今と同じ生活をしていると思いますね。これまでと同じように合気道や能楽のお稽古をして、同じように原稿書いて。同じように遊んで。僕はほんとに気が狂うほどルーチンが好きなんですよ。ふだんと違うことをするのが苦手なんです。今日は昨日とまったく同じような、判で押したような一日だと思うと、もうそれだけで、わくわくしちゃうんです(笑)。
だから僕にとって「全力を尽くしてやりたいこと」を訊かれたら、「判で押した生活をする」ことだと答えますね。たまにはそういう人がいたっていいと思うんですよ。
成瀬 もちろんそうですよ。
内田 それに「昨日と同じように、判で押したような生活がしたい」といくら念じても、やっぱり何かと用事が入ってきて、こうして東京に来たり、先生と対談したりするわけですから。
僕が凱風館という合気道の道場をつくった最大の理由は、それだとうちから一歩も出ないで済むと思ったからなんです。一階が道場で、二階が書斎ですから、書斎で仕事して、稽古が始まったら階段を降りるだけで。実際に、家から一歩も出ないで一日が終わる日もたまにあります。朝、玄関まで新聞を取りに出ただけで、あとは家から一歩も出ませんでしたというのが時々ある。それが僕の夢の生活なんです(笑)。でもなかなか実現しない。だから、もし「余命何カ月」と言われたら、それを実現したいですね。
――自分の死ではなく、身近な人間が亡くなっていくことについて伺います。自分の身内はけっこう苦しんで亡くなりましたが、悪い生き方をしてきたからだ、とは言えません。そういう場合は、どう考えればいいでしょうか?
冒頭にもお話しした川崎市の殺傷事件でスクールバスを待つ女児が亡くなりましたが(殺されましたが)、このケースでは生き方が悪かったとは言えないのではないかと思います。
成瀬 基本的にヨーガ行者は、ほかの方のことを評価、批評をしないんです。
こういう事件についてどうですかと聞かれても、それはその人が考えることなので。冷たい言い方かもしれませんが、自分自身がどう生きるか、そこに向き合う。
それはエゴだと言われるかもしれませんが、そうではありません。極端な言い方かもしれませんが、全世界の人間が一生懸命生きて、その結果、善い死に方を迎えられたというのがベストなんです。
もっと言うと、殺人をするような悪いことをする人、反対にいいことをする人など、さまざまな人がいるのが世の中であって、みんなが善人になってしまったら、人間は消滅してしまう可能性があります。すべてはバランスです。
僕は殺人を肯定しているわけではありませんが、そういう人が全体の中にいることは必然的というか、もう、しょうがないことで、犯罪をなくす努力はしたほうがいいですが、完璧になくなるかというと、なかなか難しいと思います。
戦争だって、古来ずっとあります。あんなばかなことは、どう考えたってないほうがいいけれど、戦争のなかった時代はありません。常にあります。
それはやっぱりバランスだったり、何らかの役割だと思うんですね。
だから、自分がしっかり生きるということが一番だと思います。そう思う人が一人、二人、三人、五人と、日本中の人がなっていけば、いい社会になると思います。
――先ほどもお話あったように、内田先生は凱風館という道場を構えて、子弟の育成をされています。私も何度か凱風館や関連の施設を伺ったことがありますが、皆さん本当に楽しそうです。
ですが内田先生の著述にもかかわらず、世の中はあまりいい方向には向かっていないという。この矛盾を不思議に思っています。
プロフィール
内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。
思想家。著書に『日本辺境論』(新潮新書)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、共著に『一神教と国家』『荒天の武学』(集英社新書)他多数。
成瀬雅春(なるせ まさはる)
ヨーガ行者。ヨーガ指導者。成瀬ヨーガグループ主宰。倍音声明協会会長。
ハタ・ヨーガを中心として独自の修行を続け、指導に携わる。著書に『死なないカラダ、死なない心』(講談社)他多数。