対談

武道家とヨーガ行者が考える、善く死ぬために必要なこと

前編 過剰な善意は必ず過剰な暴力をもたらす

内田樹×成瀬雅春
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150人規模の共同体の実践

内田 僕はロバート・オウエン(1771~1858年)という人が割と好きなんです。
 オウエンの説いた空想的社会主義とマルクス=エンゲルスの科学的社会主義の違いというのは、突き詰めると、「規模の問題」なんです。

 オウエンは狭い地域にですけれど、公正な社会を実現しました。工場を作って雇用を創出し、住宅を建て、学校や病院を整備した。たしかに、そこには理想的な社会ができた。エンゲルスが『空想から科学へ』で批判したのは、オウエンの作った公正な社会の受益者はオウエンの身の回りのせいぜい数千人ではないかということでした。自分の周りだけ身内だけを幸福にして、その恩沢に浴すことのできない何百万人も不幸な人を見捨ててよいのか。そうではなくて、革命を起こして、すべての被抑圧者が同時的に解放され、全員が等しく公正な社会の恩恵に与れる社会を実現するのが筋じゃないのか、と。エンゲルスはそうやって空想的社会主義者を批判したのです。

 僕も若い頃にエンゲルスを読んだ時には、そうだよな、エンゲルスの言うことの方がもっともだよな、と思っていたのですけれど、さすがに長く生きているうちに考え方が変わった。今では空想的社会主義者に親しみを感じます。

 5000人規模でもいいじゃないですか。収奪も抑圧もなく、公正で愉快に暮らせる共同体を立ち上げることができたら、それだけでも大した手柄だと思いますよ。それ以上の規模の、何十万、何百万という人を含む理想社会を短期間に作り上げようなんて、考えない方がいい。

 僕自身の力量から考えて、僕が実現できるのは、せいぜい150人ぐらいの規模のこじんまりとした相互支援・相互扶助のための共同体です。150人規模の共同体であれば、僕でもなんとか手作りできるし、維持できる。これくらいなら「過剰な善意」とは言えない。僕の等身大の善意を、僕の等身大の社会的実力で発動させるだけですから。狭い範囲だけれど、そこではみんなが助け合って暮らせる。それくらいのサイズの気分のいい共同体ならイデオロギーも信仰も要らない。市民的常識とささやかな善意があれば足りる。

 だから、もし、外の人から「自分の周りの人間だけ、そうやってえこひいきしているのはフェアじゃない。他にも苦しんでいる人はたくさんいるのに、それを見捨てるのはダブルスタンダードじゃないのか」と責められたら、「はい、そうです」と答えます。「社会全体を救う気はないのか」と訊かれたら、「ありません」と答えます。

 ヨーガ行者は自分のことだけ、といま成瀬先生はおっしゃられましたけれど、僕はもうちょっと多くて、自分の周りの150人ぐらいのところまでは気を使いたい。あとは、またそれぞれが150人くらいの共同体をつくっていって、それがゆるやかにネットワークされるということでいいと思うんです。世の中全部を同時的に解放するとか、世の中の人すべてを幸福にするとかいうのは……。

成瀬 それは危険思想ですよ。

内田 危険ですよね。たいていの戦争は、そういう大義名分を掲げて起きているし。大量破壊、大量虐殺は少なくとも主観的には「よい社会」を実現しようとした人たちによって行われた。

成瀬 そのとおりです。

―― それでも、世の中を導く人、方向性を示す人はいないといけないと思いますが。

成瀬 だから内田先生の生き方や、例えば僕の生き方を見て、それで何か示唆を得て、その人が独り立ちして生きていくようになればいいわけですよ。そういう影響を与えることはできると思うんです。

内田「影響を与える」という言い方は僕はあまりしたくないんですけどね。「ああ、ああいうやり方もあるのか」と思ってもらえれば、それでいいんです。

成瀬 そうです。

内田 もし影響力があるとすると、それは本人が楽しそうにやっているということに尽きると思います。楽しそうにやっていることを見ると、「ちょっと自分もやってみようかな」と思う人が出て来るでしょ。逆に、僕が真剣な顔して、額に青筋立てて、「血縁共同体も地域共同体も崩壊してしまった今、中間共同体の構築こそ社会的急務である」というようなこわばった物言いをしたら、影響力を持ち得ないと思います。

成瀬 それはそうだね。

内田 長期にわたって、気長に取り組むプロジェクトはあまり真剣にやると身体が持たない。だから、長期的なプロジェクトは「お気楽にできる」というのが条件なんです。お気楽にできる社会的実践しか広がりを持たない。あまり真剣にやってはいけない。そんなこと言うと、怒られそうだけど。

成瀬 非常にわかりますよ。そのとおりですよ。       

 だから何しろ、自分が一生懸命生きて、人間的な成長をして、最終的に善い死に方をするしかない。生きざまという言い方は変ですけど、要するに、生きざまを見せるしかない。

 だから、あなたもこうしなさい、ああしなさいというのは僕は言いません。それをやり出したらどんどん大きくなって、新興宗教みたいになってしまうから。

 見ている人が感じてくれればいいと思うんですよね。

内田 まあ、新興宗教でも、それで救われたという人もいるわけですからね。

成瀬 そうですね。それは役割です。

内田 成瀬先生が新興宗教やろうと思ったら、それこそ1万人ぐらいすぐ集まると思いますけれど、先生はそういうことをしたくないんですよね。

成瀬 はい。

内田 それをやってしまうと、それで救われた人というのは、ほんとは救われていないから。

成瀬 救われないですね。【つづく】

 

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プロフィール

内田樹×成瀬雅春

 

内田 樹(うちだ たつる)
1950年東京都生まれ。神戸女学院大学名誉教授。
思想家。著書に『日本辺境論』(新潮新書)、『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)、共著に『一神教と国家』『荒天の武学』(集英社新書)他多数。

成瀬雅春(なるせ まさはる)
ヨーガ行者。ヨーガ指導者。成瀬ヨーガグループ主宰。倍音声明協会会長。
ハタ・ヨーガを中心として独自の修行を続け、指導に携わる。著書に『死なないカラダ、死なない心』(講談社)他多数。

 
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