5月25日、ミネアポリスで起こった警官によるジョージ・フロイド氏殺害事件。彼が徐々に息絶えていく動画はSNSで爆発的に拡散され、事態は暴動へと発展。事件を起こした警官たちの所属する警察署には火が放たれた。黒人たちへの警官からの度重なる暴力、そして数世代に渡る差別の構造。その鬱積は#blacklivesmatterとなって炎上しアメリカ全土、そして今、全世界へと広がるプロテストとなった。
事件後、ミネアポリス、そしてワシントンD.C.入りした現代記録作家の大袈裟太郎がその内状を記録していくレポート第3弾。
80年後の奇妙な果実
ミネアポリスからワシントンD.C.についた頃、嫌なニュースが聞こえてきた。その頃、ロス、ニューヨーク、ヒューストンなどで4つの遺体が次々に見つかる事件があった。いずれも黒人男性であり、木に吊るされていた。黒人をリンチし殺害して木に吊るすという手口は奴隷制が強いられていた時代から米国で横行するもので、1939年、歌手ビリー・ホリデイが「ストレンジ・フルーツ(奇妙な果実)」という曲にしたことで広く知られている。この曲が世に出てから80年後の2020年、再び米国に「奇妙な果実」が吊るされる悪夢が蘇っていた。警察は当初、これらの事件を自殺として処理し、捜査をしなかったのだが、遺族らの抗議を受け、FBIが現在、捜査を開始している。
もしもこの歌がなければ、僕らはこの歴史的事実さえも知らないままでいたのだなと今、あらためて考えている。僕はこの奇妙な果実について教科書で習った覚えがない。習ったのかもしれないが、歌の印象が圧倒的に強いのだ。歌が持つ役割。表現が持つ役目。公には消されそうな史実を人々はいつも歌の中に忍ばせてきたのだった。
そしてその頃、アメリカ全土で、コロンブスや奴隷制を支持した将軍たちの銅像が倒され始めた。「もう2020年だぞ?」 しかし時計の針は80年、さらには400年前へと戻されていく。隠され、放置されてきたアメリカの歴史が、ついに叫びを上げるかのように大陸全土を覆っていく。
名作映画として知られている「風と共に去りぬ」を配信サービス大手のHBOが配信停止とした。米国社会で当時一般的だった人種的偏見を描いているとの理由だった。
大企業もBLMへの賛同の声を上げ始める。ナイキ、アディダス、などのスポーツブランドはじめ、Google、Apple、Facebook、Amazon いわゆる「GAFA」も軒並み賛同を示した。米Twitter本社も公式アカウントのプロフィールを#blacklivesmatterにし、シンボルの青い鳥も黒く染まった(その後、FBでは差別的な投稿を放置しているという理由から、広告の引き揚げ運動が起こった)。
さらに2020年を感じさせたのは、NetflixやAmazon Prime 、Hulu、Spotifyなどのサブスク企業がトップページでBLM支持を表明したことだ。Netflixは特別枠を組み、黒人差別への理解を深めるための45作品をレコメンドした。Spotifyはblacklivesmatterと冠した75曲5時間5分のプレイリストを公開した。サブスクはもはや僕らの世代の日常には欠かせないインフラとなっており、このような動きは世界中に問題意識が共有される助けとなった。イギリス、フランス、ドイツなどの欧州でもプロテストが加速してゆく。
そして日本でも東京、大阪、沖縄などでBLMマーチが行われた。「日本に人種差別などない」という幼稚な言説がネットを駆け巡るなか、そしてコロナ禍の「強制的自粛」のなか、このマーチに踏み切るのは大変なことだっただろう。僕はアメリカからその様子を温かく見つめていた。しかし翌日の朝日新聞ネット版の見出しが「大阪で「ブラック・ライブズ・マター」 外国人ら行進」だったのは、最悪な気分だった。外国人だけではない。日本国籍の黒人たちや白人、ミックスルーツの人々、そしてそれに賛同(アライアンス)する日本人たちも多く駆けつけたことを不可視化する見出しだった。事実の矮小化にマスメディアが加担する姿に遠く米国から落胆していた。
ミネアポリスからワシントンD.C.までは国内線で2時間20分。那覇─羽田間と同じくらいの感覚だ。飛行機の中で「チャーリーズエンジェル」を見た。中国語、韓国語字幕はあれど日本語字幕はない。世界での日本のプレゼンス低下を寂しく思う。キャメロン・ディアスもルーシー・リューもドリュー・バリモアもいない2019年版。驚くほどに価値観がアップデートされている。社会からの圧を跳ね返していく女性たちの姿に新時代を感じさせた。
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