国が宣伝しようとしているのは「復興」だけではない。最後に浪江町に行ってそれがわかった。
スタート地点に立って、またびっくりした。今度は住宅すらなかった。海沿いに造成された工業団地に、真新しい工場と太陽電池のパネルが広がっている。復興もなにも、そもそも人の姿が見えない。「福島ロボットテストフィールド」の滑走路前をスタートし、ゴールは「福島水素エネルギー研究フィールド」である。工場敷地のあいまを、わずか600メートル。これが聖火ランナーのコースだ。自転車を漕いだら、3分もかからず終わってしまった。ラクである。海風が涼しくてなおラクだった。
私がラクなのはいいのだが、民家も商店も何もない新築の工場の間を走って、どこが「復興五輪」なんだろうと不思議で仕方がない。
念のために言っておくと、この工業団地の外側では、浪江町にも少しずつ住民が戻り始めている。商店ができたり「道の駅」が開いたりしている(気の毒なことに道の駅はコロナのために開業1ヶ月で閉鎖になった)。しかし、この工業団地は、そうした人々の生活圏からは4キロも離れた辺鄙な場所なのだ。
ゴールした門にある「FH2R」(福島水素エネルギー研究フィールドの略)というロゴを眺めていて、思い出した。ここは今年3月7日の開所式に、安倍晋三総理がやってきて挨拶した「水素工場」ではないか。ちょっと長いのだが、その時の安倍総理の言葉を引用しよう。なぜここが聖火ランナーコースに選ばれたのかが伺い知れる。
「再生可能エネルギーから水素を生み出す、世界最大の施設がいよいよ稼働します。ここで製造されるCO2を全く排出しないクリーンな水素は、年間200トン。現在国内で走っている、全ての燃料電池自動車が一年間に使う水素の半分以上を、ここだけで賄うことが可能となります。原発事故で大きな被害を受けた福島から、未来の水素社会に向けた新しいページが、今、正に開かれようとしています。福島新エネ社会構想が大きく動き出します。
今月26日には、ここ福島から、2020年聖火リレーがスタートします。その火を灯すのは、この場所で生まれた水素です。さらに、オリンピック・パラリンピックの大会期間中、街の中でも、自動車やバスが水素で走り、選手村では、水素を活用した電気が利用されます。2020年、更にはその先の未来に向かって、水素社会を一気に実現していく。福島水素エネルギー研究フィールドは、その世界最大のイノベーションの拠点となるはずです」
なるほど。ここで製造される水素は、自動車用燃料電池の基幹材料で、その水素でオリンピックの聖火が点火されるのだ。国のエネルギー政策の拠点だからこそ、安倍総理がわざわざ来たのである。そういえば、運営主体には「国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構」「東芝エネルギーシステムズ」「東北電力」などなど、国のエネルギー政策の担い手が名を連ねている。
種明かしをしよう。この水素工場とロボットテストフィールドの用地は、原子力発電所の予定地として東北電力が買収していた場所なのだ。計画が発表されたのは1968年。「浪江・小高原子力発電所」という名前で2008年に運転を開始する予定だった。だが、住民の反対で工事は遅れ、2011年に福島第一原発事故が起きた。2013年3月に東北電力は「原発事故で多くの人が長期の避難を余儀なくされ、その心情を考えると、建設を進めるのは適切ではない」として計画の中止を表明した。
原発が建つ予定だったのに、原発事故が起きたら、今度はちゃっかりと「原発事故で大きな被害を受けた福島から、未来の水素社会に向けた新しいページが開かれようとしています」と宣伝する。もちろん安倍総理のスピーチは、ここがかつて原発が建つはずだった土地であることは触れない。「災い転じて福となす」というか、さすがに日本国政府は図太い神経の持ち主である。
もう少し大きく引いた背景を説明しておく。経済産業省は、震災後の2014年に「福島イノベーションコースト構想」という計画を公表した。直訳すると「技術革新海岸」。つまり津波で甚大な被害を受け、人口が内陸部に移動した福島県の海岸部に、国が構想する新世代エネルギーやハイテクの生産・研究拠点を作ろうというのだ。
その経産省の傘下、資源エネルギー庁が「福島新エネ社会構想」と銘打って、水素電池や風力発電を推進している。同庁の資料を読むと「原発事故を経験した福島が、新エネルギー社会のモデルを世界に発信し、再エネ先駆けの地となることを後押しする」「国としてエネルギー分野から復興を後押しする」などと、美辞麗句が並ぶ。
さらに詳しく資料を読んでいて気づいた。ちゃっかりと「東京オリンピックで水素の可能性を世界に発信」と書いてあるではないか。何のことはない。聖火ランナーのコースは経産省・資源エネルギー庁の国策で生まれた空間を走る。東京オリンピックをエネルギー国策の宣伝に使うと宣言している。これは「復興を後押し」するのではなく「福島の被災・復興とオリンピックに便乗して、国策を宣伝する」という意味ではないのか。
原発事故の影に隠れてあまり指摘されていないが、福島県は東日本大震災で死者1709人・行方不明者245人の被害を出した(2011年6月、福島県災害対策本部)。死者の73%が津波に襲われた太平洋沿岸部に集中している。浪江町でも112人が亡くなり、71人が行方不明になった。
震災後、津波被害の大きかった沿岸部は、瓦礫などの片付けや除染が終わっても、人が戻る気配がなかった。国が沿岸部の人口を内陸部に移す政策を取った。再度の地震・津波を恐れた住民たちも、それを受け入れた。津波で塩水に浸かった沿岸部の田畑は、農地として使うことを諦める人が多かった。
この工場が造成された「棚塩」地区でも、津波で11人が亡くなり3人が行方不明になった(2016年3月の町の調べ)。いま水素工場とロボットテストフィールドに真新しく造成された場所も、震災前は田んぼと雑木林が広がる海岸の土地だった。少し南に行くと、プラネタリウムやバーベキュー場のある町営の「マリンパーク」があった。震災がなければ、今ごろ夏休みは家族連れで賑わっていたことだろう。が、それも津波で破壊されて廃墟になったままである。
2017年3月の強制避難解除から3年半が経つが、震災当時2万1434人いた町民のうち帰還したのは1200人にすぎない。約5.6%である。裏返すと、町民の約95%がいなくなってしまった。そうやって空洞化した町の片隅、海岸部に新しく造成された土地をいま、太陽電池パネルが埋めている。水素工場やロボット工場になっている。それが「イノベーションコースト」という美名の現実である。
そこを東京五輪の聖火ランナーが走る。テレビやネットが中継する。国が書いたシナリオはこうだ。「原発事故を経験した福島が、新エネルギー社会の先駆けの地となったのです」
まとめてみよう。聖火リレーのコースは、東京電力が作った「Jヴィレッジ」を出発して、原発予定地に国がまた新しいエネルギー政策のために作った「福島水素エネルギー研究フィールド」に続いている。その途中の大熊町の新しい役場や住宅街も、国が予算を注ぎこんで作った「復興のショールーム」である。
つまり聖火ランナーのコースはずっと、国が予算を注ぎ込んで作り上げた「国策空間」ばかりを走っているのだ。
かつて福島県には福島第一・第二と、2つの東京電力の原子力発電所が作られた。原発事故がなければ、同じ海岸に3つ目の原発ができているはずだった。原発事故が起きるまで、日本政府は原子力を「夢のエネルギー」と謳って推進していた。福島県はその原発を2つ受け入れた。太平洋岸はその国策を実現する場所として栄え、原発事故によって破壊された。
いま、その同じ場所を国は自らが推進する水素エネルギー政策のために使っている。福島県太平洋地域を国策のために利用するという点で、国がやっいることは、原発事故前と大差がない。私にはそう思える。
(次回につづく)
取材・文/烏賀陽弘道 撮影/五十嵐和博
図版作成/海野智
●福島は世界に復興をアピールする“ショールーム”と化した
– 五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第1回 –
●子どもたちは戻らず、町に新しい学校だけが遺された…
– 五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第3回 –
●「車窓から事故原発が見える常磐線」全線開通の異常性
– 五輪聖火リレーコースを走ってみた! 第4回 –
プロフィール
うがや ひろみち
1963年、京都府生まれ。京都大学卒業後、1986年に朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て、1991年から『AERA』編集部に。1992年に米国コロンビア大学に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号取得。2003年に退社して、フリーランスの報道記者・写真家として活動。主な著書に、『世界標準の戦争と平和』(扶桑社・2019年)『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書・2017年)『福島第一原発メルトダウンまでの50年』(明石書店・2016年)『原発事故 未完の収支報告書フクシマ2046』(ビジネス社・2015年)『スラップ訴訟とは何か』(2015年)『原発難民』(PHP新書・2012年)