駅に入った。誰もいない。駅員も乗客も誰もいない。今回の取材で「Jヴィレッジ」「夜の森」「富岡」「大野」「双葉」と再開区間の様々な駅に立ち寄った。そのどれもが駅員のいない無人駅なのだ。Suicaをかざす改札機はある。しかし、かざさなくても、ゲートが閉まるわけでもない。その気になれば無賃乗車できてしまう。
電車が来た。東京圏でも走っている、銀色の車体に青い線を引いた常磐線の車両である。車内はすいていた。作業服を着た工事関係者らしき男性が数人。退屈そうにスマホをいじっている。線路の両側には、9年間無人のまま朽ち果てた民家や商店が放置されている。家が傾き、瓦が落ち、天井が崩れ、雑草と灌木に埋もれた建物が車窓に現れては消える。
列車は下り、つまり仙台方面へ走っている。次の駅は、原発立地町の双葉町にある「双葉駅」である。地図の上では、進行方向右側に福島第一原発が見えるはずだ。窓際に線量計を置いている。大野駅から列車に乗り込んだ時点では、駅構内と同じ0.35マイクロシーベルトを指していた。
列車が進むにつれ、線量計が上がり始めた。私の線量計は0.6、0.8と上がって1.0に近づく。急上昇するとアラームが鳴るようにセットしてあった線量計がピーピー言い始めた。周囲を見回す。ほかの乗客は無関心だ。線量計は車内にはない。窓の外側に広がる廃墟の街に目をくれる人もいない。みんなスマホをいじっている。
同行していたカメラマンの線量計は毎時1マイクロシーベルトを超えた。そのとき、進行方向右側の、森の向こうに福島第一原発が見えた。排気筒、白い建屋、赤白模様のクレーンが林立している。そこに今もメルトダウンして崩壊熱を放ち続ける原子炉が3つある。それを思うと背中に冷たいものが走った。
列車がカーブを曲がり、原発はすぐに視界から消えた。その時間、ほんの数秒。乗客たちはスマホをいじり続け、顔すら上げない。メルトダウンしたままの原子力発電所を車窓から眺めることができる鉄道というのは、世界でここだけだろう。テレビ朝日の人気番組「世界の車窓から」で取り上げてはどうだろう。まあ、どうせ「スポンサーの関係」云々で無理だよな。そんな戯言を考えて、ひとり苦笑いした。
プロフィール
うがや ひろみち
1963年、京都府生まれ。京都大学卒業後、1986年に朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て、1991年から『AERA』編集部に。1992年に米国コロンビア大学に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号取得。2003年に退社して、フリーランスの報道記者・写真家として活動。主な著書に、『世界標準の戦争と平和』(扶桑社・2019年)『フェイクニュースの見分け方』(新潮新書・2017年)『福島第一原発メルトダウンまでの50年』(明石書店・2016年)『原発事故 未完の収支報告書フクシマ2046』(ビジネス社・2015年)『スラップ訴訟とは何か』(2015年)『原発難民』(PHP新書・2012年)