被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世 第4回

被爆二世運動の導火線になった大阪【後編】

小山 美砂(こやま みさ)

 被爆二世が生きた戦後に光を当てる本連載。原爆が次世代にもたらしたものを探る中で、遺伝的影響など原爆がもたらした「被害」については、当事者の中でも捉え方に大きな違いがあることがわかってきた。
 前回は、1974年に結成され、被爆二世への援護を求めてきた「大阪被爆二世の会」の活動を紹介した。運動の草創期に立ち上がった彼らが何を考え、どう生きてきたのか? 事務局長を務め、現在も大阪に暮らしている宮地和夫さんに伺った。しかし、当初から会長として最も熱心に活動をしてきた大久保定さんという男性の所在がつかめない。彼に会わなければ、そもそもこの会ができた経緯や理由を、知ることができなかった。
 手がかりも見つからないまま、私は取材を続けていた。

被爆地以外の被爆二世に耳を傾ける中で……

「大阪被爆二世の会」で事務局長を務めた宮地和夫さんと会ってから、私は地域の活動に目を向ける大切さを感じ始めていた。熊本県で生まれ育ち、大阪の大学へ進学した宮地さんは、自らも被爆二世でありながら「原爆のげの字も知らないで育ちました」と話している。平和運動から縁遠い場所で、自らにつながる「原爆」と突如出くわした時の衝撃は、大きいものだろうと想像する。会が発展した背景に盛んな部落解放運動があったのも、地域の特色と言えそうだった。
 被爆地以外に根を下ろす被爆二世の話に耳を傾けることで、より多面的にこのテーマを見つめることができるように感じていた。

 そこで、宮地さんと会ってから約1カ月後の2023年7月半ば、私は東海・北陸地方に暮らす被爆二世・三世の交流会を訪れた。各地の代表ら約40人が集い、今後の活動方針を話し合う目的で初めて開かれたものだ。それぞれが自身の健康状態や活動を進める上での悩み、今取り組んでいることについて語ってゆく。気持ちを共有し、同じ方向へ進む仲間をつくることは、運動の基盤を築く上でも大きな意義があるのだろう。

東海北陸地方の被爆二世・三世が集った交流会の様子=愛知県名古屋市で2023年7月16日、筆者撮影

 会場後方、車いすに座った男性にマイクが渡る。彼とは会場に向かうエレベーターでも一緒になり、印象に残っていた。

「広島に生まれ、18歳まで暮らしていました。身近に被爆者や二世が多かったので気にしていませんでしたが、大学進学で大阪に行くと『いずれ白血病になって死ぬ』とか、『見合いは無理やろなあ。恋愛結婚ならできるかも知れんけど』などと言われまして。これは明らかな差別だと感じ、初めて被爆二世であることを自覚しました。そして『大阪被爆二世の会』を作りましたけど、被爆者団体の代表に『被爆二世問題をやるんはええけども、私たちとしては取り組まない。勝手にやってください』と言われてしまいました」

――そう、彼こそが大阪被爆二世の会をつくった人。私が探していた大久保定さんだった。

 休憩時間を待って、駆け寄った。彼もまた、大阪の活動を私が知っていることに驚いている様子だった。聞くと、今は岐阜県に暮らしているという。大久保さんは今も健在で、場所を移して被爆二世運動を続けていたのだ。
 翌日、彼が住む街の喫茶店で会う約束をした。

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 第3回
被爆者の子どもに生まれて ルポ 被爆二世

広島・長崎に投下された原子爆弾の被害者を親にもつ「被爆二世」。彼らの存在は人間が原爆を生き延び、命をつなげた証でもある。終戦から80年を目前とする今、その一人ひとりの話に耳を傾け、被爆二世“自身”が生きた戦後に焦点をあてる。気鋭のジャーナリスト、小山美砂による渾身の最新ルポ!

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「黒い雨」訴訟

プロフィール

小山 美砂(こやま みさ)

ジャーナリスト

1994年生まれ。2017年、毎日新聞に入社し、希望した広島支局へ配属。被爆者や原発関連訴訟の他、2019年以降は原爆投下後に降った「黒い雨」に関する取材に注力した。2022年7月、「黒い雨被爆者」が切り捨てられてきた戦後を記録したノンフィクション『「黒い雨」訴訟』(集英社新書)を刊行し、優れたジャーナリズム作品を顕彰する第66回JCJ賞を受賞した。大阪社会部を経て、2023年からフリー。広島を拠点に、原爆被害の取材を続けている。

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被爆二世運動の導火線になった大阪【後編】