バイブス人類学 第8回

ミナクシの恋愛

長井優希乃

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていく。
【前回までのバイブス人類学】 文化人類学を学んでいた長井優希乃は、メヘンディ(植物を用いた身体装飾)を描く人々の暮らしを調査するためにインドに渡る。そして、デリーのハヌマーン寺院で出会ったメヘンディ描きで三児の母、マンジュリと父ハリシュの家に住むことに。マンジュリの娘、ミナクシとラヴィ―ナとともに路上商をしながら暮らしていくなかで、インドの文化や価値観にぶつかり、打ちのめされながらも、インドでの生活に深く入り込んでいった。
今回はミナクシとその恋人ヨギーの恋愛をとりまく、家族とジェンダーについて。
 

前回までの「バイブス人類学」でも、たびたびミナクシとミナクシの恋人ヨギーについて書いてきた。ヨギーはニックネームで、実際の名前をヨギーシュという。

ふたりは高校の同級生で、私がミナクシに初めて出会った2015年には、もう2人は付き合っていた。ミナクシは、ヨギーシュのことをいつも情熱的に私に語って聞かせる。

ミナクシと出かける時、しばしばヨギーシュが一緒に来る。ヨギーシュはものすごく優しくて、ものすごくミナクシのことを愛している。そしてめちゃくちゃにいいやつである。血気盛んなミナクシと、ありえないほど優しいヨギーシュは、正直言ってものすごくお似合いの二人だ。

私が参加した最初のカルワチョートではミナクシがヨギーシュによる「サプライズ断食」のノロケ話を延々と続けたり(第2回参照)、家族に内緒で夜中にヨギーシュとクラブに行ったり(第5回参照)と、とても仲の良い2人だ。インド・ニューデリーという場所でミナクシがどのように恋愛に向き合い、人生を送ってきたのか。本人に「ぜひ私たちのことを書いてくれ」と言われたので、書かないわけにはいかない。

 ディワリの客待ちで

私がまだミナクシと出会って間もない頃から、ミナクシは私によくノロケ話や恋愛相談などをしてくれた。ミナクシは家族にヨギーシュと付き合っていることを隠していた。付き合ってからもう数年は経つが、ずっと秘密にしているのだ。だからこそ、日本からいきなりやってきたなんの利害関係もなさそうな私が、ちょうどいい恋愛相談相手だったのだ。話したくて話したくてたまらないから、一度話し始めると止まらないのがミナクシの恋愛話だ。

2015年11月10日、明日はヒンドゥー教の光の祭典、ディワリだ。ヒンドゥー教徒にとっては「お正月」みたいなもので、実家に帰省したり、着飾ってディヤという伝統的なオイルランプに火をつけてプジャ(祈り)をして、そのあとはみんなで爆竹を鳴らしまくって花火を打ち上げまくる祭りである。そんな祭りの数日前から前日は、メヘンディ描きたちにとっては稼ぎどきである。マンジュリはもちろん、私とミナクシを店番に駆り出した。ミナクシは、カンパニー・セクレタリーという秘書や経理のような資格を取る学校に通いながら、IT関連のオフィスでも働き、日々忙しくしている。ディワリ期間はオフィスは休みだが、今度はメヘンディで忙しいのだ。

朝から店番をしているが、カルワチョートの時ほど混雑しているわけではない。そこで、ミナクシがまた恋愛話をはじめた……と思ったら、今日は少し様子が違った。

「今日、アマルジートが、ひどい言葉を私に言ったの」とミナクシが言う。アマルジートは、ミナクシの3歳年上の兄である。

「どうしたの?」

「私がヨギーシュといるところを、アマルジートの女友達が見つけてアマルジートに電話で告げ口したんだって。それで、アマルジートが私に口にするのもはばかられるようなひどい言葉を言った。そのうえ、「一体お前は何人彼氏がいるんだ?!」とも言ったんだよ。ひどい。アマルジートは彼女がいることを公にしているし、うちに連れてきたこともあるのに!男は良くて、女はダメということが多すぎる。たまに、私の人生を呪うことがあるよ。……まあ、いいんだけど。私は、自分の足で立ちたいんだ。パパも、私が男友達がいるというだけで、ものすごく怒ったことがあるの。ここはそういう場所だよ」

「ここって?」

「インドのこと。家族は外からは幸せに見えても、中には問題がたくさんある。……ああ、ディワリは毎年、なんでこうなるんだろう。このハヌマーン寺院の雰囲気も嫌。もし男友達と一緒に歩いていたとして、それの何が悪いの?アマルジートは色んな女友達と遊んでるくせに」

と、ミナクシは怒りを吐き出すように一気に言葉を吐き出した。

ミナクシは「アマルジートと仲がいい時期もあったけど、今はマジで無理。お兄ちゃんだから、仲良くしたいとか優しくしてほしいとか本当はそういう気持ちがあるけど、いまのアマルジートの頭の中は、何かが間違っている」という。

アマルジートには、彼女がいる。でも、ミナクシが男と歩いているのは、許せない。これは一体なぜなのだろう。

「家父長的規範」とミナクシ

人類学者のマンデルバウムは、「北インドにおけるジェンダー規範では、女性は男性の前でヴェールを被るなど「隔たりの振る舞い」をし、家の中にとどめておくことが重要とされており、それは公共の維持と男性の名誉のためになされる」と述べる[1]

名誉のためには「ウチ」の領域に女性を隔離しとどめておくことが重要であるにもかかわらず、貧困層の女性は「ソト」に働きに行くために、厳密に隔離することができない。そのため、女性が「ソト」の領域に出て行くことは貧困層の証であるとみなされるという。ゆえに、社会的な階級上昇を望む家族は一般的に女性を「ウチ」にとどめることを促進する、とマンデルバウムはいう。

アマルジートは自身に向けられるまなざしに常に気を配っている。彼は、自身の生きづらさを、何度か私に吐露してくれたことがある。

「自分はお客さんにも丁寧に接して良い体験をしてもらいたい、あのメヘンディ描きは良かったねとリピーターになってもらいたい。なのに、ママときたらあんなふうに外で客と喧嘩したり、ぼったくりのような値段を言ったり、これ以上、人から変な目で見られるのはもうたくさんだ」

社会的に、メヘンディ描きはしばしば「小さな仕事」「村からの出稼ぎの人々」というまなざしを投げかけられる。実際にお金を持っているかどうかは関係なく、メヘンディ描きだというだけで隅に追いやられたり、いわゆる「貧困層で低い階級の人々である」という「まなざし」で見られることにアマルジートも少なからず傷ついてきたのだろう。

ハヌマーン寺院でたまにある、ホテルの余り物を炊き出し的に配る列にマンジュリが並んだときは、烈火の如く怒った。「あの列に並んでいる人たちを見てみろ!同じだと思われたいのか?!」とマンジュリに詰め寄ったが、マンジュリはそれにブチギレ返してタダで昼食をゲットしていた。

マンジュリは、小さなころからこの広場でメヘンディを描いており、とにかく生きるために稼ぎ、客とやり合い、自らの人生を切り開いてきた。外からどう見られるか、というよりも、とにかく稼ぎ生き延びることが大切という感じである。

一方、アマルジートはどうにか「貧困層で低い階級の人々」というイメージから脱したいという思いを持っている。そのため、振る舞いや装いに気を遣っている。自己の名誉とアイデンティティを守るために、「規範」を守りたい。

「女性を「ウチ」にとどめておくことは、男性の名誉のためになされる」「社会的な階級上昇を望む家族は一般的に女性を「ウチ」にとどめることを促進する」というマンデルバウムの記述を引用するとしたら、男性であるアマルジートの名誉に関係してくるのは、親族の女性であるミナクシや母マンジュリである。親族の女性が規範を飛び越えることによって、親族の男性の名誉が傷つく……まさに「家父長的規範」である。

だからこそ、ミナクシが「ソト」で自由に恋人をつくって、自由に遊びに出かけることが、「ウチ」の領域から飛び出すことになり、アマルジートの名誉を「傷つける」。アマルジートに彼女がいてもいいのは、アマルジートが男性だからであり、女性のミナクシがそれをやると、途端に許されないのは、ミナクシに「家父長的規範」が適用されているからだと言っていいだろう。

ミナクシの自由な恋愛を阻むのは、家父長的規範だけではない。

 

(2016年11月7日、アマルジートの誕生日を家族でお祝いした時)

 「あんな家の子」

2015年11月29日、あのディワリの前日から2週間ほどがたったある日、ミナクシと私は一緒にメトロに乗っていた。

そうすると、ミナクシが堰を切ったように話し出した。

「ヨギーシュのママに嫌われているの。『あんな家の子』みたいな感じで。彼のカーストはブラーマンだから、私とは違う。ヨギーシュはまだ20歳なのに、お母さんが私とヨギーシュを離れさせるためにヨギーシュをお見合いに連れて行ったの!クレイジーすぎる!『カースト』は、いまは人のマインドの中だけの話。私のカーストを他人に言ったら、少し、おお、みたいな顔をされたりする、そういうマインドの話。もう今は職業の話じゃない。私たちのカーストはもともとはパンジャーブの靴作り職人で、地元では大きい一族だった。でも今は誰も靴なんて作ってない。私たちはお金もあって、低いカーストには見えない暮らしをしているでしょう。お金さえあれば、好きなものを買って、豪華な暮らしができる。だからカンパニー・セクレタリーの勉強もやってるし、自分が勉強すれば、大きな仕事につけるんだ」

ヨギーシュはカーストでいうと最上位に位置付けられるブラーマンである。対してミナクシは差別対象とされるカーストだ。親のカーストに子供のカーストは従うため自らの能力や努力とは全く関係がないものだ。

インドにおけるカーストを取り巻く状況は複雑である。現在、カーストによる差別は禁止されており、大学や企業も被差別カーストの人々が理不尽な扱いを受けないようにアファーマティブアクションをおこなったりしている。ただ、人々の心の中にある差別の心までは拭えない。こと、結婚となると顕著である。


およそ90%以上がお見合い結婚のインドにおいて、基本的には親が子供の結婚相手を決める。「自分の家にふさわしい、同じカーストの同じような家柄の人」を探し、結婚する張本人は、自分のパートナーとなる人とは結婚式の前に数十分会うだけ、というのも全く珍しくない。

もし違うカースト同士で結婚するとどうなるのか、というと、女性が男性のカーストに合わせる。そのため、女性の方がカーストが低い場合、男性側の親族は「あんな家の子」が自分の親族に「上昇婚」してくるのが許せない、というわけだ。異カースト間での恋愛結婚なんてもってのほか!という親が大多数だろうし、家族を捨てて駆け落ちする異カーストのカップルや、異カースト同士で結婚しようとして親族に殺されてしまう「名誉殺人」のケースもある。

ミナクシは、付き合って最初の3年間はヨギーシュに自身のカーストを伝えることができなかったそうだ。しかし、3年が経った頃にミナクシが泣きながら自身のカーストを伝え、ヨギーシュも戸惑いながらも、二人の愛は固く、将来を見据えて行こうとしている。

しかし、ヨギーシュの親族はそれを許さない。ミナクシとの関係には気づいており、どうにか二人を引き裂こうとしているのだ。無理やりお見合いに連れて行くなんて、なんてこった。

ミナクシはカーストは変えられないから別の部分でなんとか認めてもらおうと、勉強して「大きな仕事」に就こうとしている。ヨギーシュもミナクシが「路上のメヘンディ描き」ではなく、なんとか大きな会社に入って成功するために応援している。ミナクシにも常に「大きな仕事をして」と言っている。そうしたら、認めてもらって、結婚できるかもしれない、と。どうにか二人で人生を歩んでいくためには、さまざまな障壁を乗り越えなければならないのだ。

なんというハードモードなのだろう。ミナクシの話を聞いて、私の心もずっしりと重くなった。夜、ベッドで寝る前に、ミナクシから将来の不安を聞く。路地を歩きながら、どうしたらいいのかと相談に乗る。ミナクシの人生が、私の人生と交わる。この二人のために、私には何ができるだろう。

秘密のゴア旅行

その次の年、私はまたインドにやってきた。いつものようにハヌマーン寺院の広場でメヘンディをやったり、日常を過ごしていると、ある日、ミナクシからこう言われた。

「ゴアは好き?」

ゴア、とは南インドにあるビーチが多くあるリゾート地だ。1960、70年代には「ヒッピーの聖地」とも呼ばれ、現在でも毎晩ビーチパーティーやレイブなどが開催されている。ヨーロッパからのバックパッカーなどが多く滞在し、インド国内からの旅行客も多い。私は2012年バックパッカーをしていた時にゴアには訪れて楽しかったので、「好きだよ。なんで?」と答えた。

ミナクシは、「よかった!実は・・・ヨギーシュとゴアに行きたいねっていう話になってるの」と言った。

それはいいね!と思いつつ、2人で旅行なんてどうするんだろう?と思った瞬間、
「ユキノも一緒に来て!建前は私とユキノで2人旅行。でも、本当はヨギーシュも合流して秘密の3人旅行だよ!もちろんユキノはおまけなんかじゃなくて、3人で旅行したら最高だと思ってる」

なんてこった!素晴らしいアイデアだ。なんならおまけでも全然いい。2人のゴア旅行を成功させるためには、どんなことでも協力しよう!

まず家族を説得しないといけないので、ミナクシと相談して「ユキノがゴアに行きたくて、ミナクシについてきてほしいと言っている」というストーリーで説得することにした。パパ(ハリシュ)を呼び、きちんと向かい合って座り、話した。パパは「娘が遠くに行く」ということに葛藤しているようだったが、最終的にOKを出してくれた。

パパの了承を得たら、もうこちらのもの。ヨギーシュがちょうど旅行関係の仕事をしているので、国内線やホテルなど、諸々手配してくれた。彼も家族には上手いこと言って何も疑われていないらしい。

いざ、秘密のゴア旅行へ!


(次回へつづく)


[1] Mandelbaum, David G.
1993 Women’s Seclusion and Men’s Honor: Sex Roles in North India, Bangladesh, and Pakistan. The University of Arizona Press. Arizona.
 

 第7回
第9回  
バイブス人類学

文化人類学専攻の学生、ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザーとして、様々な国で暮らしてきた「生命大好きニスト」長井優希乃。世界が目に見えない「不安」や「分断」で苦しむ今だからこそ、生活のなかに漂う「空気感」=「バイブス」を言語化し、人々が共生していくための方法を考えていきます。

プロフィール

長井優希乃

「生命大好きニスト」(ヘナ・アーティスト、芸術教育アドバイザー)。京都大学大学院人間・環境学研究科共生文明学専攻修士課程修了。ネパールにて植物で肌を様々な模様に染める身体装飾「ヘナ・アート(メヘンディ)」と出会ったことをきっかけに、世界各地でヘナを描きながら放浪。大学院ではインドのヘナ・アーティストの家族と暮らしながら文化人類学的研究をおこなう。大学院修了後、JICAの青年海外協力隊制度を使い南部アフリカのマラウイ共和国に派遣。マラウイの小学校で芸術教育アドバイザーを務める。

 

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