「疎外感」の精神病理 第6回

トラウマと疎外感

和田秀樹

トラウマとの出会い

 これまで様々な形で日本人の疎外感を考察してきましたが、人と世界を引き離し、心理的孤独の世界に落とし込んでしまうものにトラウマがあります。

 トラウマ(心的外傷)という言葉は、今では日常用語になっていますが、1995年までは日本では精神科医の間でもあまり使われるものではありませんでした。

 95年がトラウマ元年といわれるようになったのは、その年に立て続けに起こった阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の際に、マスメディアで盛んにトラウマという言葉が使われたからです。

 自然災害や生死をさまようような体験はトラウマ的出来事と呼ばれ、それによって生じた心の傷をトラウマと呼びます。

 阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件は、日本で初めて「トラウマ的出来事」として注目された出来事でした。

 これまでの地震やテロ事件と違って、その後の心のケアの重要性が専門家に指摘され、一気に広まったということでしょう。

 実は私は、それより少し前に、トラウマについて学ぶ機会がありました。

 1991年10月から94年の3月まで、私は米国カール・メニンガー精神医学校に留学していました。その母体であるメニンガークリニックは、アメリカで最初に精神分析を精神科の入院治療に応用した精神科病院でした。

 薬物療法の進歩で、その頃、精神分析は落ち目になっていましたが、「薬が効かない心の病」にはやはり精神分析は有効だと考えられていました。

 その代表格といえるのが、トラウマの後遺症のPTSD(外傷後ストレス障害)と、児童虐待など反復性のトラウマによるパーソナリティ障害と呼ばれるものや多重人格と呼ばれるものです。

 これらの治療で、メニンガークリニックは全米から患者を集めていました。この病院はUS News & World Reportという雑誌が毎年発表する全米ランキングの精神科部門でもその当時は1位か2位にランキングされていました。そのくらい、メニンガークリニックのトラウマ治療は評価されていたのです。

 ちょうどアメリカでトラウマがトピックワードになっていた時期だったので、留学期間はトラウマを学ぶのが主になったといっても過言ではありませんでした。

 実際、このクリニックの重鎮の精神分析家とキャンパスを歩いていた際に、その先生がポツリともらしたことがあります。

「この病院にトラウマを経験していない患者さんなどいないよ」と。

 かくして、トラウマは私にも重要なテーマになりました。

 留学から帰ってきて1年も経たないうちに阪神淡路大震災が起こりました。

 この際のトラウマや心のケアが精神科医の間で急激に注目を集めたのは、同時期のアメリカの事情が背景にあると私は考えています。

 いずれにせよ、この震災は神戸の中学・高校を出ている私にとっては他人事ではありませんでした。学校の創立50周年の卒業生からの寄付でできた、立派な畳張りの柔道場が遺体の安置に使われている映像がテレビでも流れたのです。

 当時、土居健郎先生の精神分析を受けていた私は、先生のつてで当時の神戸大学精神科教授の中井久夫先生を紹介してもらって、心のケアのボランティアに手をあげました。

 それから1年間毎週神戸に通いました。

 私は今は高齢者専門の精神科医になっていますが、トラウマは今でも重要なテーマで、東日本大震災で福島原発で働き、その後、廃炉作業に務める人たちのメンタルケアのボランティアを10年以上続けています(現在はコロナ禍のためZoomになりましたが)。

 トラウマをほかの精神科医よりきちんと語れることが留学の最大の果実かもしれないと思うくらいなのです。

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プロフィール

和田秀樹

1960年大阪府生まれ。和田秀樹こころと体のクリニック院長。1985年東京大学医学部卒業後、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て、現職。主な著書に『受験学力』『70歳が老化の分かれ道』『80歳の壁』『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』『70歳からの老けない生き方』『40歳から一気に老化する人、しない人』など多数。

 

 

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