「疎外感」の精神病理 第6回

トラウマと疎外感

和田秀樹

解離という不思議な病理

 トラウマが、ある種の疎外感を引き起こすと私が感じたのは、前述ですこし触れたように、トラウマが「解離」という症状を引き起こすことを知ったからです。

 この症状はピエール・ジャネというフロイトのライバルとされた心理学者によって提唱されたものです。

 フロイトは、不快な記憶を抑圧という形で無意識の世界におしこんで意識に上がらないようにするというモデルを考えたのですが、ジャネは、人間にはいろいろな意識状態があって、不快な記憶を別の意識状態においやることで、ふだんの意識状態ではこれを意識しないで済むようにするという「解離」のモデルを提唱しました。

 昔、多重人格とか、多重人格障害と呼ばれていた心の病は、現在は、解離性同一性障害という診断名になっています。

 解離によって別の意識状態になり、別の同一性をもつ(子供になったり、別人格の他人になったり)際に、この症状になるのですが、この別人の意識状態の中にトラウマの記憶をもっていることがあります。その際に、過去を恨み凶暴な人格になったりするのです。

 もっと軽い解離性障害に解離性健忘と呼ばれるものがあります。

 解離した意識状態になっていたときのことを覚えていないというものです。

 神戸の震災ボランティアの心のケアで、グループ治療をしていたとき、そのメンバーの一人の青年が、震災後、解離性健忘の症状を呈したことがありました。

 恋人や職場の人にいろいろなことをいうのですが、その時のことを覚えておらず、矛盾した発言をするので「嘘つき」扱いをされるというのです。

 結局、1年のボランティアのグループワークでは、完全に回復したように思えませんでした。今は連絡が取れないのでどうなっているのかはわかりません。

 解離状態になることで、忌まわしい記憶や忌まわしい人間関係から逃げることができ、ふだんは比較的まともな人間関係や精神生活を送ることができます。

 しかし、なんらかのストレス状況になると、解離の意識状態に逃げ込むのです。

 現実世界から、疎外感の世界に逃げ込んでいるのだろう。私にはそう思えてなりません。

 トラウマが、ある種の疎外感の病理なのだと考えたのは、この解離について学んだからです。

 今、現実の世界に生きていたくないと思うような心理状態がトラウマ経験者にはあり、実際に、心理的な意味ではそれができてしまうということなのです。

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「疎外感」の精神病理

コロナ孤独、つながり願望、スクールカースト、引きこもり、8050問題……「疎外感」が原因で生じる、さまざまな日本の病理を論じる!

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プロフィール

和田秀樹

1960年大阪府生まれ。和田秀樹こころと体のクリニック院長。1985年東京大学医学部卒業後、東京大学医学部付属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェローなどを経て、現職。主な著書に『受験学力』『70歳が老化の分かれ道』『80歳の壁』『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』『70歳からの老けない生き方』『40歳から一気に老化する人、しない人』など多数。

 

 

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